編輯後記
【註】中国と謂う國名は中華民国と、中華人民共和国の二國がある。中華民国は辛亥革命のあと1912年に建国された漢民族の国家であり、中華人民共和国は1949年建国された漢民族の国家である。
現在では兩国共に存在するが、日本人は概ね1949年建国された、中華人民共和国を中國と呼称している。
中國(中華民国)と呼称される国家は1912年(大正元年・明治45年)以前には存在しない。然し日本人は習慣として、歴史的事実に関係なく、中華大陸に住む漢民族を総称して、中国人、並びに中国(台湾でも大陸でも)と呼称している。
なお中華民国建国の1912年から中華人民共和国建国の1949年での三十七年間は、中華民国は存在するが、中華人民共和国が存在しない時期である。然しこの三十七年間を曖昧にしている日本人も居る。
本書では、歴史的な事実と異なる事を承知の上、日本人の習慣に倣い中国(台湾でも大陸でも)、並びに中国人の呼称を用いた。
中華大陸には幾多の民族が居住し、西暦2011年の中華人民共和国は、漢民族が統治する漢民族の国家である。
日本に渡来した漢詩詞作品の殆どは古典で、現代の作品は僅かである。因って漢詩詞と言えば古典を指し、漢詩詞書籍と言えば古典漢詩詞の書籍を指す。
観賞ならば古典であろうが現代で有ろうが、各々なので、一向に差し支えないが、創作となると、それぞれを明確に区別しなければ成らない。
ただ現代は古代の延長上であり、総ての事柄が変わっている訳ではなく、その基本は殆ど同じである。
また幸いにも日本人は、古典漢詩詞関連の基礎知識を既に持ち合わせているので、本講は日本人が入りやすい古典から説き始め、古典の云々と現代の云々が異なる場合には、その都度現代詩法と差し替えて解説することとした。
詩詞の本旨は、創作者個人の意思を、文字を使って他者に訴える手段の一つである。因って既に創作者には持論があり、其れを受け止める読者にも持論が要求される。
作品の本義は、創作者の持論と詩を読む者の持論とが、交わった處に生まれる。因って持論の交わらない読者には、本義が読み取れないという宿命がある。因って持論を共有する相手にだけ、私意を伝達するには有効な手段である。
そして、中華大陸は長年に亘って、渾沌不穏の途切れたことがなく、文筆家の身には常に危険が迫っている。
詩詞作品の叙法は、情を写して情を述べ、情を写して景を述べ、景を写して景を述べ、景を写して情を述べ、の四通り有るが、漢民族詩詞の殆どは、情を写して情を述べ、景を写して情を述べ、の二通りである。
叙事趣旨は、その殆どが思想に依拠し、文字面では花鳥風月に見える作品でも、根底は思想に依拠し、純然たる花鳥風月は、未だ目にしない。
現代中国の詩人達は、口を揃えて次のように謂う。
中国の詩人は、国家と国民を憂い!
日本の詩人は、自分自身を愁う!
日本人が漢詩詞作品を読む場合は、先ず文字面を読み取らなければならない。これは誰が読んでも殆ど同じである。
この講座全巻は勿論のこと、本冊での読み取りも、此処までである!
次に、本義を読み取る。これは、作品を読者個人の持論に照らし合わせて、その交点を見出して読み取る。読み取りの如何は、当人の云々による。
因って、著者と読者とは持論が異なるので、著者が懇切丁寧に作品の本義を書いたとしても、読者の読み取る本義と、同じとは限らない。強いて著者が本義云々を説けば、それは読者の持論に口を挟む、傲慢な態度と謂える。
この講座は、現代中華詩詞壇に通用する漢詩詞を創作する爲のテキストである。執筆を完了した十巻(続巻執筆中)を一段落として、茲に出版する。
1−通説 歴史と詩形
2−通説 詩体詩派
3−通説 詩法と曄歌
4−概説 持論
5−概説 創作と書籍
6−詳説 叙法と定型
7−詳説 句法と對法
8−詳説 填詞
9−詩集 鶏肋集
10−別体 日本漢詩辞典
11−応酬 渡海詩詞
通説・概説・詳説・詩集と別体と応酬で構成される。
別体を除く九巻を読み進めば、現代中華詩詞壇で、漢民族諸賢とほぼ等しい知識で応酬が出来る。
1−通説 歴史と詩法は、日本人が馴染む古典を題材にして、 漢詩詞に係わる一般的な知識を解説した。
2−通説 詩体詩派は、詩体と詩派を年代別内容別に、概ねの 理解が得られるように編輯した。
3−通説 詩法と曄歌は、詩・詞・聯・曲・曄歌、それぞれの 詩法概略を解説した。漢詩詞の観賞者は、此まで読めば 作品の本義では無いが、表面だけならば概ね理解で きる。
なお新短詩(曄歌・坤歌・偲歌・瀛歌)は、日中文交流 の懸け橋として、著者30歳頃に発明し、中國での普及に 努めた。その後中華詩詞学会が認める定型詩歌となり、 現在では中国全土と華僑にまで、広範に普及している。
4−概説 持論は、作品の本義は表面だけの理解では識る ことは出来ない。本義は作者(作品の)の持論と読者の 持論との交点に存在する。依って読者の持論が顕在で無 ければ、作品の本義を知ることは出来ない。
勿論創作者は、己の持論が確かで無ければ、作品を作 ることは出来ない。本冊は各位の持論を呼び覚ます爲の、 ドリルである。
5−概説 創作と書籍は、簡単な知識を使って、作品を作るた めのドリルで有る。中華詩詞壇での詩法知るには中國の 詩詞壇紙誌が必要である。著者が先方から贈呈された書 冊を、ISBN を書いて紹介した。依って購入することも、 入会することも出来る。次いで簡単な作品例を提示した。
6−詳説 叙法と定型は、現代中華詩詞壇で通用している、叙 法と定型である。日本にある詩法解説書は概ね古典に準 拠していて、現代に通用する詩法とは弱冠の相異がある。 因って現代の詩法を学ばねば、現代人には通用しない。
7−詳説 句法と對法は、現代中華詩詞壇で通用している、句 法と對法である。日本での詩法解説書は概ね古典に準拠 していて、現代に通用する詩法とは弱冠の相異がある。 因って現代の詩法を学ばねば、現代人には通用しない。
8−詳説 填詞は、填詞の押韻律體符號(俗称詞譜)と、観賞 並びに創作のための詞法を適宜解説した。本稿は現在の 中華詩詞壇で通用している総ての作品に対応できる内容 である。填詞の観賞や創作を為すには、その前に巻七ま での、詩法を熟知しなければならない。
本冊は、詞法に疎い日本人向けに、中国国内版解説書 よりも、更に詳細な解説を為した。なお日本には、本冊 の他には、填詞創作のための解説書はない。
9−詩集 鶏肋集は、著者の個人作品集である。本冊に収容し た作品は総て、中華詩詞壇紙誌に掲載された経緯のある 作品で、概ね一千首ある。
決して佳作ではないが、創作法学習の総仕上げとして、 此を飜用するならば、中華詩詞壇紙誌に通用する最低限 のレベルには到達できる。
10−別体 “日本漢詩”辞典は、日本に普及している“日本漢 詩”を題材に、単語の使い方を学ぶ爲の一講である。
詩語の用例を学ぶ爲に“日本漢詩三百律詩”を題材に、 単語と作品と用例を対照出来るように編輯した。
前もって断っておくが、この作品を真似て創っても、 現代の中華詩詞壇に通用するとは限らないが、“日本漢 詩”を学ぶには有益である。
11−応酬 渡海詩詞集は海外詩詞友との応酬作品を集めて記 載した。漢詩詞愛好の醍醐味は、実は茲にあるのかも知
漢詩作品は、古い時代から日本人に愛好され、観賞のみならず若干数の創作者も居る。ただ漢詩は漢民族の詩歌で、日本人の詩歌との間には、文字の違いばかりでなく、民族性にも相異がある。
因って、ただ詩法を真似て創れば漢詩が出来ると言うような、単純な物事ではない。
現代の日本人が作る日本漢詩の多くは、古典漢詩の延長上にあり、古典と現代とが混在した作品である。因って中華詩詞壇では、評価の対象には為り難い。
本講は、現代中華詩詞壇通用の詩法に依拠し、熟知創作すれば、その作品は中華詩詞壇に通用する。
本書の読み方
全巻共通
編輯後記は綿密に読む必要がある!
此から後は
1−紙面を一頁ずつ捲り、最後まで一通り眺める!
2−目次や索引の項目を一通り眺める!
3−本文のページを捲り、易しく読めるところだけを読む!
4−漢詩詞(漢語)作品を眺める!
5−気になる作品があったら、読める字だけで読む!
此で本書ので学習は終了である!
次の巻へ!
6−暇が出来たら、辞書を頼りに作品を読む!
殆どの漢詩詞作品は、五字か七字の句で、語順は厳格だが、省ける文字は省いても成り立つ文法なので、辞書を頼りに誰にでも読める。 ○○主語+○○述語+○○客語
漢詩詞は外国語の作品で、貴方は貴方の好きに読めば良いので有って、訓読法に拘束されることは全く無い。
創作の基本姿勢
漢詩は日本に上陸してからの歳月が長いので、半ば日本詩歌の一隅を占めているとも言える。依って日本詩歌の一類として対応するのか?或いは本来の漢民族詩歌として対応するのか?の二者択一がある。
日本詩歌の一類として、創作に対応する立場ならば、日本詩歌として取り扱えばよいので、此処に基本姿勢をあれこれ言う必要はない。詩法も句法も日本独自に開拓しても何ら差し支えないが、其れでは、海外には通用しない。
日本独自の創作法が言えるのは、「模擬古典漢詩」だけで、「詞・聯・賦・曲・・」等は、日本では殆どが観賞で、創作者が少なく、日本詩歌の一類とは言い難い情況である。
本講は現代詩・詞・聯の創作法を講じ、其の事は取りも直さず、現代中国に数ある詩詞壇の中国民衆の作品と、分け隔て無い立場と技量で通用することを前提にしている。
漢民族詩歌の依拠するところは、過去に於いても現代に於いても、生活に密着している。生活とは、個人を取り巻くあらゆる事象、即ち国際・国内・地域・政治・経済・官民・近隣・親朋・夫婦・親子・自分・・・等である。
漢詩詞作品は、文字面を追う限りは、自然描写と喜怒哀楽を叙している様に見えるが、その根底にあるものは、広範にして深淵な持論に依拠している。これ以上のことは、活字には出来ないが、この事には留意しなければならない。
更に詩法の一類として幾つかの詩法は有るが、故意に作らぬ限り、現実から離れた作品は作らず、模擬古典の創作は、故意や戯作の範疇に入る。
著者の詩詞作品は総て、現代の漢民族社会を相手に、彼等と同等の作品を作ることにある。
何故に創作するのか?詩詞創作の目的は、自分の考えを示すこと、或いは、訴える!と謂った方が適切でもある。
“読者”は自他を問わないが、中華詩詞壇での漢詩詞は、その殆どが他者である。(因みに日本人の作品には、自己詠嘆が多い)物事には、主観的と客観的な見方の二通り有るが、中華詩詞壇では、客観的な見方が殆どである。
(因みに日本人の作品には、主観的な見方が多い)
何をどんな心がけで綴ったらよいのか?其れは自分の考えを、人様に知って貰う事である!読者の側から言えば、語りかけてくる!此が解らないと作品は出来ない。自分の考えとは、自分自身のことではなく、持論である。
人様に知って貰うとは、自分勝手ではなく、相手が一緒に聴いてくれ、聴いて貰える、と言うことが無ければならない。即ち根底に、広範な持論が有ると言うことである。
作品は観察と意思で構成される。作者と対照との、意思の位置関係には、三通りある。1−見下ろす;2−並列;3−見上げる、の三通りである。
創作に相応しい位置関係は、少しばかり見上げるが、最も宜しい位置である。
詩人の眼は、少し高いところから、対象を客観視する。
詩人の心は、少し低いところから、対象を敬仰する。
此は創作者当人の人となりであるが、対照に對しては敬意を持たなければなるまい。
ご案内
このテキストは著者が長年に亘って学習した漢詩詞知識を、集大成したものである。
資料の大半は中国国内の諸賢より直接に習得した知識です。依って本講では、日本国内には、詩法知識として、その語句そのものが存在しないものもあります。
日本の詩歌文化が、そのときどき、民衆と共に有るのと同様に、漢詩詞も中国人にとっては、時代の趨勢と共に、民衆の身近にあるものです。
現在の作品は、現在の民衆と共に有るのです。小生は、作品の相互交流を前提にしていますので、西暦2000年に通用する句法詩法を説いています。
例えば、日本で古典漢詩を扱う方々にとっては、古典漢詩と現代漢詩との間に齟齬が有る事は当然です。
この問題はご自分の作品を、現代の中華詩詞壇ならびに諸外国の漢詩詞壇に通用させ、評価の対象にするか否かの、前提によるのです。
この著作物には著作権があります。利用者は法を遵守して下さい。
2009/11/08
著作権者 中山栄造
曄歌坤歌偲歌瀛歌三連五七律自由漢詩笠翁対韻羊角対漢歌漢俳填詞詩余元曲散曲楹聯はこの講座に記載があります