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編輯後記

 趣味の一環として始めた漢詩詞も、そろそろ締め括る時が来たので、その集大成として漢詩詞講座を著し、その一隅に作品集を作ることとした。

 さて世間一般に謂われる作品集の殆どは、自分用に創った作品を集積展示する形態である。読む人の立場からすれば、自叙伝の様なもので、偉人なら兎も角として、凡人の場合はその生き様を追尾したところで、差ほどの意義はない。

 著者と漢詩詞聯との関わりは、中華詩詞壇諸賢との作品応酬が根底にある。応酬の相手は中國の全省都に亘り、更に海外華僑も居り、概ね四百数十名程の方々である。その方々との応酬は毎月五十通余りと、応酬作品を添えて往来し、二十年余りに亘っていた。一通の郵便で数首は送っていて、重複も相当数有ったが、その数は膨大である。

 応酬数は多いが重複も多く、駄作も多いのである。応酬すれば、個人的に指導も受けられ、詩法や句法や巧拙を指摘してくれて、知識の多くは文通から得たものが多い。

 勿論、作品は沢山創ったが、その殆どは駄作である。先方が評価に値すると想えば、手紙で評を書いてくれたり、同人誌紙に掲載してくれたりして、原稿料として一冊を、贈ってくれもする。偶には模範作品として作品評も付けてくれるし、国家行事の時には作品応募を案内してくれる。その都度応募していたが、何しろ相手は漢民族の詩家なのだから、その中に混じって外国人の著者が、選に入る事は至難である。

 年齢も七十歳近くに成ったので、諸般の残務整理に取りかかったが、その一環として本冊の上梓を思い立った。先ずは詩稿を集積しなければならない。相当の労力を費やして散逸した詩稿を集めたが、数は多いが駄作ばかりで手に負えない事が分かった。

 更に漢民族に通用しないかも知れない作品が、少しでも混ざっていたら、井の中の蛙の背比べで、恥をさらすだけで何の意味もないことは既に承知している。

 両者の要件を満たすために、手紙で評が与えられた作品と、中華詩詞壇誌紙に掲載された作品だけを集めることとした。収集作業のやり直しである。

 だが此も想うほどに容易な作業ではない。送られた同人誌紙と手紙をもう一度見直すことから作業が始まった。

 手紙は箱詰めにされ、誌紙は、ただ束ねて重ねられ、整理整頓してある訳では無いので、地階の書庫は足の踏み場もないほどの紙面で溢れ、二階の書斎との往復は数百次で有った。御陰で足腰は丈夫に成った?いや疲れた!

 この作業は矢鱈に骨が折れた。作品は殆ど忘れているし、二十年前に中國から送られた紙面は、その殆どが黄色く破れそうであった。

 現在でも手紙の殆どは手書きであが、以前の同人誌紙は手書き謄写版刷りだったし、文字の違いもあり、相当の努力をしたが到底全部を集録する事は出来なかった。

 現代の利器が有るにせよ、漢字の打込は矢鱈と手間暇の要る作業で、それでも漸くに集積に漕ぎ着けた。

 だが此処で文字の打ち間違いが露見して、老い耄れ頭を更に混迷させた。何度も読んだ資料から打ち間違えを拾い出すことは、却って記憶が災いした。

 想像以上に難しい作業で、全く手に負えない事態に直面し、もう一度やり直しを考えると気が遠くなる。著者の頭では手に負えない!ギブアップ!である。

 数が充分に有ったので、取り敢えず誤記を削除する事にした。この作業は中國の詩友、橋本新歌氏に頼み込んだら、快く引き受けてくれて本当に助かった。

 誤記を削除したら三割は減った。これで漸くに本稿の基礎が出来た。更に編輯の途次にも再発見されて、その都度削除したが、それでも概ね六割は残った。

 作品選択の基準は詩詞聯集の重要な要件である。掲載数量を半分にしてレベルを上げる事も考慮したが、この本は漢詩詞聯講座の一端を占めるとの観点から、テキストとしての要件も加味して、編輯する事とした。

 即ち創作者の立場からすれば、作品の巧拙を知るためには、拙も巧もそれぞれに存在意義が有るのである。因って本書は選択せずに拙も巧も混在させて登載した。

ご案内

 

 このテキストは著者が長年に亘って学習した漢詩詞知識を、集大成したものです。

 資料の大半は中国国内の諸賢より直接に習得した知識です。依って本講では、日本国内には、詩法知識として、その語句そのものが存在しないものもあります。

 日本の詩歌文化が、そのときどき、民衆と共に有るのと同様に、漢詩詞も中国人にとっては、時代の趨勢と共に、民衆の身近にあるものです。

 現在の作品は、現在の民衆と共に有るのです。小生は、作品の相互交流を前提にしていますので、西暦2000年に通用する句法詩法を説いています。

 依って、日本の古典漢詩を扱う立場からは、古典漢詩との間に齟齬が有ることは、考えられます。この問題は、ご自分の作品を現代の中華詩詞壇に通用させ、評価の対象にするか否かの、前提に因ります。

 

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  2009/11/08

         著作権者 中山栄造

 

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