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 賦は詩詞と文の間に位置するもので、文の一類とも言えるが、一部に押韵が有るので、その点を考慮すれば「韻文」の一類とも言える。

 詩詞は「詠う」事を前提にして居るので、平仄配列と押韵が厳格に決められており、比較的自由な自由詩でも、平仄は詩詞の方法を踏襲し、押韵も必須である。

 それに比べ「賦」は、「読む」事を前提にして、「押韵(詠う)」は、朗読の際の高揚効果を演出する手段として用いられたものと言える。依って強調したい部分に對句や押韵(二カ所以上に亘って、同じ母音を用いること)を為している。

 読むことを前提にして居るとは言っても、其処には矢張り「読みやすさ」と言う条件はある。この読みやすさの判断は、「中国人が読んで」と言うこととなる。間違っても、日本人ではない。

 また、内容の変更に伴って、「韵」を変更してている。これも平仄交互が多い。

 例え現在の作品でも、文言は「文語体」を基本としている。白話体で書いても「賦」には成らないと言える。

 Waveで表示できない文字は適宜入れ替えました。

註:韵の所在は、「,。也乎」の手前の文字を重点に調べると良い。
  此処に同韵と思われる箇所を表示した。錯誤も有るかも知れぬので、各自検証を試みて下さい。

   古典作品
  前 赤壁賦  蘇軾

 前赤壁の賦

壬戌之qiu1 七月既wang4
 壬戌の年(一0八二年)秋七月十六夜の事

蘇子與客泛遊於赤壁之下xia4。
 蘇先生は、客人達と舟を浮かべ、赤壁の下に遊んだ。

清風徐來 水波不xing4。
 涼風が穏やかに吹き過ぎ、川面には波も興らない。

擧酒屬客 誦明月之詩shi1
 杯を擧げて客人に勧め、「明月の詩」を口ずさみ、

歌窈窕之zhang1。
 「窈窕」の一節を歌った。

少焉 月出於東山之shang4
 暫くすると、月が東の山の端に昇り

徘徊於斗牛之
 斗牛の星座の間に浮かぶ

白露横、水光接tian1。
 露の気が大川に広がり、水面の光が彼方の空へと接ながる

縱一葦之所如 凌萬項范ran2。
 一葉の小舟の行くが侭に任せ、広々とした水面を遥かに進む。

浩浩乎如馮虚御feng1 而不知其所止zhi3
 心の果てしない様は、虚空に身を任せ風に乗り止まる所を知らぬが如く、

飄飄乎如遺世獨立 羽化而登xian1。
 風に漂い行く様は、世を忘れ独り有り、羽を生じ仙界へ昇り行く如く

於是飲酒楽甚、扣舷而歌之zhi1。
 かくて酒を飲むほどに楽しさが極まり、舷を叩いて歌を歌う

歌曰、桂櫂兮69f3、 ○;將+木=舵
 其の歌は、木犀の櫂木蘭の舵、

撃空明兮沂流guang1。
 水に映る月影に竿さして流れる光を遡る。

渺渺兮予懐、望美人兮天一fang1。
 当て度ない我が懐い、佳き人を空の彼方に望みつつ。

客有吹洞簫者zhe3、倚歌而和之zhi1。
 客人の中に洞簫を吹く者がおり、歌に合わせて吹き始めた。

其聲鳴鳴然ran2、如怨如
 其の音は低く流れて、怨むが如く慕うが如く。

如泣如su4。
 泣くが如く訴えるが如く、、

餘音嫋嫋、不絶如
 余韻は長く尾を引いて、糸すじの様に絶えようとせず。

舞幽壑之潜、泣孤舟寡fu4。
 深い谷間の蚣をも舞い躍らせ、一葉の小舟に身を伏せる寡婦の涙を誘う。

蘇子愀然正襟jin1、危坐而問客曰、
 蘇先生顔を引き締め襟を正し、座り直して客人に尋ねた、

何爲其然也ye3。
 どうしてかくも悲しげなのか。

客曰、『月明星xi1、烏鵲南fei1、
 客人は云う『「月さやかにして星暗く、鵲は南に翔ける」

此非曹孟徳之乎hu1。
 曹孟徳の詩で御座らぬか。

西望夏口、東望武chang1、
 西のかた夏口を望み、東の方武昌を望めば、

山川相繆、鬱乎蒼chang1。
 山と河とがもつれ合い、こんもりと薄暗い辺り。

此非孟徳之困於周者乎hu1。
 孟徳が周郎に苦しめられた辺りでは御座らぬか。

方其破荊州zhou1、下江ling1、順流而tong1也、
 むかし孟徳が荊州を破り、江陵を下し、流れに従って東へ向かった時、

舳艫千、旌旗蔽tong1。
 舳艫接する事千里、旗指物は空を蔽った。

灑酒臨jiang1、横槊賦shu1。
 酒を注いで大川を前にし、槊を横たえて詩を作り。

固一世之xiong2也。而今安在哉zai1。
 まことに一代の英雄だったが。扨て其の彼も今はいずこ。

況吾與子、漁樵於江渚之shang1、
 まして私と貴方とは、大川の辺で漁をし薪を拾い、

侶漁鰕而友麋鹿lu2、
 魚や海老を仲間に大鹿や鹿どもを友とする身、

駕一葉之扁zhou1、擧匏樽以相shu3、
 一葉の小舟を操りつつ、瓢箪の酒を注いでは勧め、

寄蜉蝣於天地di4、渺滄海之一su4。
 天地の間に預ける陽炎の如き命、大海に浮かぶ粟粒の如きではないか

哀吾生之須、羨長江之無qiong1。
 我が命の定め無きを哀しみ、長川の尽きぬ流れを羨ましく思う。

挟飛仙以遨you2、抱明月而長zhong1。
 空翔ける仙人と手を携え気侭に遊び、明月を抱いて永久に生きる事の

知不可乎驟得、託遺響於悲feng1』。
 俄かには果たせぬ夢と知り、余韻を遺すこの響きを悲しい風に載せた迄』

註:『月明星稀、烏鵲南飛、、、、、託遺響於非風』は客人の会話

蘇子曰、『客亦知夫水與月乎hu1。
 蘇先生は云う、『貴方も亦あの川と月とをご存知の筈

逝者如、而未嘗wang3也。
 川はあの様に流れ去るが、去って無くなる訳ではない。

盈虚者如、而卒莫消chang2也。
 月はあの様に満ち欠けするが、決して増え減りはしないもの。

蓋将自變者而guan1之、
 そもそも変化という事から見るならば、

則天地曾不能以一shan4。
 天地の全ては一瞬たりとも不変で有り得ぬ。

自其不變者而guan1之、
 不変と云うことから見るならば、

則物與我皆無jin3也。而又何乎hu1。
 物我ともに尽き果てることは無い、然れば何を羨むことが有ろうか。

且夫天地之jian4、各有zhu3。
 そもそも天地の間の万物には、それぞれ持ち主があり。

苟非吾之所雖一毫而莫qu3。
 苟も己が所有するで無ければ、一筋の毛と雖も取ってはならぬが。

惟江上之清風feng1、與山間之明
 大川を渡る涼風と、山間に出る月だけは、

耳得之而爲聲sheng1、目遭之而成
 耳に聞けば妙なる響きとなり、目に眺めれば美しい景色となり。

取之無禁jiu4、用之不jie1。
 幾ら取っても禁ずる者なく、幾ら使っても尽き果てることはない。

是造物者之無盡藏chang2也。
 これぞ造物者の無尽蔵。

而吾與子之所共。』
 そして今貴方と共に味わっているもの。』

註:『客亦知夫水與月乎、、、而吾與子之所共適』迄は蘇軾の会話。
 この様に蘇軾と客の会話を設定し論旨を展開している。

客喜而笑、洗盞更zhao2。
 客人は喜んでうち笑い、杯を洗って飲み直す。

肴核既盡jin4、杯盤狼ji2。
 酒の肴はもはや尽き、杯も皿も散らかった侭。

相與枕籍乎舟中zhong1、
 舟の中で互いに枕に折り重なって眠りこけ、

不知東方之既
 東の空がはや白むのも気付かなかった。

明月の詩………詩経陳風、月出の詩。「明月の様に美しい女性を思う心を歌う」歌。
窈窕之章……… 詩経周南、関雎の詩。「君子の相手にふさわしい、しとやかな女性の事を歌う」歌。
赤壁……………蘇東坡が訪れたのは、黄州城外の揚子江左岸赤鼻磯、東坡はここを赤壁になぞらえた。
赤壁の戦い……三国時代魏の曹操と呉の孫権、屬の劉備の連合軍とが、赤壁で行った戦い。

註:
 赤壁は湖北省嘉魚県の北東、揚子江南岸の地にあり、哀詔を討ち破って河北を平定した曹操は、中国を統一して八十萬と号する大軍を率いて南下し、赤壁で呉屬の軍と相対したが、呉の周瑜、黄蓋の火攻めの計に依って軍船の焼き討ちに遭い、大敗して河北へ逃げ還った。
 孫権が江南に、劉備が四川に独立するのを許したが、漢の皇帝をロボットとして、大祖皇帝と云われ事実上中国の主権者の地位に有った。
註:
 赤壁の賦は元豊五年、干支で言えば壬戌七月十六日蘇東坡は客(揚世昌と云われている)と舟で赤壁の下に遊んだ。
 其の夕べは実に好く晴れ、舟で江水を遡ると羽化して登仙する思いがあり、客が自分の歌に和してくれ、其の音色はとても悲しい。
 そして此の赤壁は一世の英雄曹操が槊を横たえて詩を賦した所、然し今いずこにかある。
 我らは一葉の扁舟に駕し、蜉蝣の生を天地に寄せている蒼海の一粟にすぎない、我が生は定めなく長江は無窮である、何で音色を非風に託せざるを得ようか。
 私はそこで客の悲哀論を説破してみた、「水と月を御覧」それは見方に依る、万物は変化するという見方に従えば、悠久の天地と雖も一瞬たりとも変化しない者はない。
 変化しないと云う見方に従うときは、万物も吾も共に尽きる事なきと云える、何で悲しんだり羨んだりする事が有ろうか。

 

 次に現代作品と、後赤壁之賦を掲載したので、各自押韵箇所を検証して下さい。現代作品は、句末押韵が窺われる。猶、古典作品である後赤壁之賦は古典韵、現代作品は現代の韵に準じることは当然の理である。

現代作品
任丘賦   河北省任丘市 ○(カク 90DD)書香

  白洋茫々,古陽滔々,鄭水齋○581E(垣),阿陵周遭。古邑澤國,濱海汐潮。

  曽幾何時,茫々海域列幾許称雄侯國;漫々荒灘造一方翼中平疇。漢平帝初始二年,巡海中郎将于是地筑似防海侵,遂似名冠城,任丘始建。

  古邑任丘,東臨滄海,西接太行,襟白洋而帶五溘,京畿通衢以貫其間,地属要冲。

  是乃故里,文風深蘊。此望三関烟雲杳杳,極目荊軻故里;南眺瀛州文風薫蒸,毛公傳纏之所;西指太行,巍巍蒼黛,迎納三晋古風;東極滄海,浩浩蕩蕩,直接齋魯邉城。近朱濡染,任丘自建縣以来継魏晋,続兩朝,延唐宋,更明清,至當代綿延二千年,造就出多少英雄。

  古邑任丘,文物転籍,風流余韻,兩年薪火傳承。遡古州○9853○980A城,凭弔炎黄始祖;陵城任光墓;引發思古幽情;思賢太傳祠,景仰一代文宗;明清四書院,傳承歴世文明。神医扁鵲,杏林之鼻祖;魏将張○90C3,武林之魁元。漢将李廣,功高難封;老将勝英,劍侠称雄。皆一代清英,留萬世于丹青。

  歴代先賢,或生爰邑,或成爰邑,或戦爰邑,或没爰邑,倶増乃邑之榮。

  又吾桑梓,鐘霊毓秀,人傑地霊。一俟元明,先哲不已,后俊迭出。任丘八大家,明廷半朝官,李時一代廉相邉憲当時忠武。及値近代,反封建,争民主,抗倭寇,抵外侮,更是英雄倍出。雁○7FCE隊抗日寇,聞風喪胆;自衛軍除偽奸,所向披靡;區小隊端砲樓,痛殲窮寇;縣大隊抜城池,赤幟高フ。

  世代賢達,或躋身政壇,造福一方;或効命疆場,爲國干城;或従事科教,成果不斐;或従事文気,文苑清英。皆諳寫一曲華章,倶垂留千古英名。

  古邑任丘,民風淳厚,物阜稔豊。白洋淀有華北明珠之誉,十里荷花,千頃稲菽,魚鮮蟹肥,岸柳弄影;古陽河有任丘母親河之称,似海麦浪,萬畝綿花,果蔬瓢香,一碧萬項。華北油田,古潜山献宝;京九京大,交通騰巨龍。光線接通,千里傳佳音;衛星電視,萬戸看彩屏。科技下郷,任丘大地満園春色;教育興邦,文化殿堂桃李芬芳。

  追往昔,緬歴世賢達伝承薪火;看今朝,喜當代英雄各領風騒。“三個代表”萬民同心,衆志成城;與時倶進,○62FC搏進取,五業倶興。

  党的“十六大”在即,任丘将又淋浴春風;○8E7A首明天之展望,我縣将是虎躍龍騰。

15-10/5 載

 

参考掲載

  後赤壁賦

  是歳十月之望,歩自雪堂,将歸于臨皐。二客従予、過黄泥之坂。霜露既降、木葉盡脱。人影在地仰見名月。顧而楽之行、歌相答。已而歎曰、『有客無酒。有酒無肴。月白風清。如此良夜何。』客曰『今者薄暮、挙網得魚。巨口細鱗状如松江之鱸。顧安所得酒呼。』歸而謀諸婦。婦曰『我有斗酒、藏之久矣。以待不時之需。』於是携酒與魚、復遊於赤壁之下。江流有聲、断岸千尺。山高月小、水落石出。曾日月之幾何。而江山不可復識矣。予乃攝衣而上。履巉巌、披蒙茸、踞虎豹、登□龍、攀棲鶻之危巣、俯馮夷之幽宮。蓋二客之不能従焉。劃然長嘯艸木振動、山鳴谷應、風起水涌く。予亦悄然而悲蕭然而恐、凛乎其不可留也。反而登舟放呼中流、聴其所止而休焉。時夜將半四顧寂寥。適有孤鶴横江東來。翅如車輪、玄装縞衣、戞然長鳴、掠予舟而西也。須臾客去、予亦就睡。夢一道士、羽衣翩遷、過臨皐之下、揖予而言曰、『赤壁之遊楽呼。問其姓名俛而不答。嗚呼噫△、我知之矣。疇昔之夜飛鳴而過者、非子也耶。』導士顧笑。予亦驚悟閉戸視之不見其處。

注:□;U+866C ミズラ    △;U+563B  口+意

 

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