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起承轉合

 起承転合とは屡々漢詩詞で謂われるが、漢詩詞に限った事ではない。起承轉合は、文や詩詞、或いは説話を構成する基本要素である。
 ここでは漢詩詞についての説明とする。

注:日本の漢詩壇では「起承転結」と言うが、中華詩詞壇では「起承転合」と言う。中華詩詞壇では、起承転結と起承転合とは、明確に区別されている。漢詩詞は「起承転合」を採用する。

起承轉合之配置図

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 起承轉合の位置関係を図示すると、上記の如くである。

 起句は左端より右上へ伸びる斜線で示す。

 承句は右上から右斜め下へ伸びる斜線。この二辺に依って二次元の「面」が形成される。起句と承句の離れ具合によって面の総量が変動する。
 承句は起句と共通する一点で交わり、起句の意を継承発展させる。ただ、起句と同一視点で述べたのでは、単に起句の継承に過ぎず、承句としての存在価値がない。
 承句は、起句との交点を保ちながら、視点を異にすれば、一面的ではあるが広がりを作ることが出来る。

 転句は下から上へ伸びる線で表現される。起句とも承句とも基点を異にするのである。転句の大きさと離れ具合の塩梅が肝要である。

 起句とは書き出しの部分を言う。作品の入口である。承句とは起句の跡を継ぐ句を言い、必ず有るという訳ではない。承句を置くスペースが不足する場合は往々にして承句を省く事がある。起句の延長と言っても、起句と同じ傾向の事柄を述べたのでは、承句の存在意義はない。起句を基点として起句とは違う見方を述べるのである。
 起句の延長で有れば単なる「線」に過ぎないが、基点を同じくするが異なった方向を述べるならば、それは広がりを持った「面」となるのである。

 転句は起句とも承句とも基点を異にする句であり、「厚み」を構成する爲の句である。

 合句は、承句と転句との双方に繋がりを持ち、起承轉の結びの句として位置づけられ、「結びを引き出す為の句」であって、結びの句ではない。

起承転合之配置圖

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注;起承転結の場合は、作品には結論があり、例えば事件ドラマの犯人が明らかなように、読者との対話は想定していない。
  由って、起承轉結に由って構成された作品は、読者が異なっても読み取る内容は同じである

  起承轉合の場合は、結論を導き出す資料はあるが、あくまで結論は読者に委ねられていて、根底に読者との対話がある。
    由って、起承轉合に由って構成された作品は、読者によって、幾通りにも読み取れる

起承転合配置の要点

起句は出だしの句である。
 軽妙に陳べることを肝要とし、主題の位置を陳べる。
 起句は承句より大きくてはならない。

承句は起句を受け継ぎ発展させる句である。
 起句から離れてはならないが、重なりすぎてはならない。
 承句は起句より小さくなってはならない。
 承句と転句は繋がってはならない。むろん重なってはならない。

転句は主題とは異なる視点の句である。
 起句や承句と重なったところが有ってはならない。
 起句や承句と重なれば、最早、転句ではない。承句の延長となる。
 承句と離れる度合いは、表面上は離れているが視点の異なる情に於いて、一縷の繋がりを肝要とする。
 承句との離れ度合いは、合句に於いて、集束可能を限度とする。

 

合句は承句と転句を繋ぐ句で有る。
 合句は承句と一縷の繋がりを持ち乍ら、転句とも一縷の繋がりを持つことを肝要とする。
 合句が承句と重なり過ぎれば、合句ではなく承句の延長と成り、合句の存在意図をなくす。この場合は、起承合のグループと転のグループと並列し、作品の趣意を集束できなくなる。
 合句が転句と重なりすぎれば、転句の延長となる。この場合は、起承のグループと転合のグループと並列し、作品の趣意を集束できなくなる。

合句は結句ではない。
 合句は承句と転句に多く重なって、双方句を結束させてはならない。図示の如く、趣旨の繋がりは僅かである。即ち結句とは異なり、未完で有る。即ち余情或いは余白、未完を肝要とする。

@AB の要点
 @は起句と承句の繋がりである。繋がりであって、重なりで有ってはならない。
 Aは承句と合句の繋がりである。繋がりであって、重なりで有ってはならない。
 Bは合句と転句の繋がりである。繋がりであって、重なりで有ってはならない。

参考;漢詩は二句一意一章である。首尾一貫は基本原則である。この原則を弁えて句を綴らないと、趣旨不明の作品となります。起承転合をバラバラに作っては、纏まりのない作品になります。

参考;例えば出句の構成を 主語+述語+客語 として落句で 述語+客語 にしますと、省略された落句の主語は、出句の趣旨と言うこととなります。この統一性を欠きますと、意味不明に陥ります。

笑えない現実
 
○形で書き表した起承転合配置図に書かれているように、起承転合は少しずつ聯繋している。この少しずつ聯繋している事が、重要な要件である。
 重なりすぎることは、進展に欠けるが、離れて聯繋を失うと、句がバラバラになって仕舞う。漢詩詞の基本構成は、句の聯繋が骨格であるから、聯繋を欠くと詩詞構成の骨格が崩れて仕舞う。
 日本指導者の多くが、起承転合は強調するのに、二句一意一章を説き忘れ、往々にして各句の聯繋を欠く弊に陥りやすい。
 もう一点、日本では漢詩作品を一句ずつ分けて書く習慣がある。見た目はバラバラな配置となる。更に「 ,も 。も;も」書かれていないから、二句一意一章を認識出来ない。
 これらの要件が重なって、現実には中華詩詞壇に於いて日本人の作品を「離れすぎている!意図が読み取れない!」と評され、作品評価の対象に成らない事が多い。漢民族には「鼎」の構成には馴染めないのである。

 

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