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定型と非定型TopPage

 日語を含めて漢詩詞にも定型と非定型が有る。そして定型にも非定型にも各々、長所と短所が有る。

1−創作の難易
 これには二つの要件がある。

 巧拙を問わなければ、定型よりも非定型の方が易しい。

 巧拙を問えば、非定型よりも定型の方が易しい。ただし此は、熟達者には適用されない。熟達者は定型の埒を越え、非定型との区別が無い。

 

2−努力と成果
 努力と成果の関係は、定型と非定型には、大きな違いがある。定型は努力の度合いと成果の度合いが、ほぼ均衡しているが、非定型では、努力の度合いと成果の度合いは均衡していない。

 定型詩歌の学習努力と作品成果の関係は、比例するが、非定型詩歌の学習努力と作品成果の関係は、比例しない。即ち、非定型の場合は、作品の拙と巧に偏在し、中程度の作品に欠ける。

 

3−民衆の要求
 詩歌を学ぶ殆どの民衆は、研究や佳作に熟達することを目標にはしていない。程ほどの努力と程々の成果を期待している。

 三分の努力と三分以上の成果、五分の努力と五分以上の成果を期待している。十分の努力と十分の成果は、研究者や佳作を目指す者であって、一般の民衆とは、学習の目的を異にする。

 

4−民衆の嫌う要件
 努力と成果が均衡しない状況は嫌われる。三分の努力に対して三分以上の成果、五分の努力に対して五分以上の成果が得られない事への不満である。

 当初の成果は沈滞するが、努力が有る程度以上に達すると、将来努力以上に成果が得られるとしても、目前の成果が得られない事への不満と不安は有る。

 

5−定型と非定型の詩法
 詩歌は定型と名乗られた段階から、詩法の錬磨と共有化が始まる。この定型に相応しい詩法が確立する。依って誰が作っても、努力に応じた成果が得られるようになる。その成果は更なる学習意欲を刺激する。

 非定型の場合は、詩法の錬磨は個人の成果であって、愛好者共有の成果とは成らない。依って、誰が作っても、努力に応じた成果が得られるとは限らない。その成果は、個人の能力に委ねられる。

 

6−中国の詩歌事情
 漢語の社会では、非定型は常に有り、殊に建国当初、国家政策として、詩歌の普及に依って人心の安寧を諮ろうと、一見易しそうに見える非定型詩歌の普及に努めた。

 然し、一見易しそうに見えた非定型詩歌は沈滞し、代わって定型詩歌が蘇ってきた。結局非定型は、定型には及ばなかった。

 その理由は、多くの民衆は、余暇の一端で専門家を志してはいない。だから、少しの向上心と少しの努力をするだけである。然し、努力に相応しい成果は得たいのである。則ち、半分の努力に対して、それ以上の成果が欲しいのである。

 定型の場合は、少なくとも五分の努力に対して五分の成果が得られるが、非定型の場合は、二極分化しているので、五分の努力に対して五分の成果が得られるとは限らない。依って、一時的に大衆の興味を引くが、歳月と共に霧散し、一部の努力家の域を出ず、大衆化は難しい。

 

7−漢俳
 漢俳は漢字五七五字だが、非定型としての五七五は以前から、時宜に応じて散見した。その非定型の五七五を定型の五七五とした訳は、非定型では、詩法が共有化されない。非定型の詩法は、臨機応変で、作者の技量に委ねられ、臨機応変に対応できる人にしか対応出来ない。

 然し、定型にすると、定型としての詩法の研究錬磨を重ねるから、何れ近い時期に詩法が共有される。詩法が共有されると、臨機応変に対応出来ない人でも、努力の成果が作品の巧拙に反映されるようになる。

 民衆の、それぞれの努力が、それぞれに、作品の巧拙に反映される。努力が酬いられれば、愛好者が定着する。非定型であった五七五を定型の漢俳と銘打った意義は其処にある。

 漢俳という定型が世に出てから、既に二〇年経つ。二〇年前の作品は、バラバラだったが、今日では詩法が定着した来た様で、ばらつきが少なくなった。

 

8−中山四短詩
 小生が、提唱した四短詩は、日中交流の橋梁と為す目的で、合理的に設計して創出した。曄歌・坤歌は極めて簡易で、偲歌は少し複雑だ。瀛歌は絶句に相当する。この様に、個々の学習努力レベルに対応可能な様に、設計されている。

 定型の有利性を承知の上で、定型と銘打ったことによって、歳を重ねる毎に、詩法が定着してきた。恐らく、あと四十年も経てば、詩法が定着した定型詩歌と成るだろう。

 

9−定型に片足を掛けた非定型
 漢詩においても、定型の埒を少し越えた非定型は、時折生まれる。一見、定型の長所と非定型の長所が加算され、有利のように見えるが、あながちそうではない。

 往々にして、定型の欠点が非定型の長所を食い潰す結果に成りやすい。或いはその逆でもある。何れにせよ、定型よりは難しいことは確かである。

 如何に提唱者が長所を力説し、其れが妥当で有ったとしても、非定型の難しさ故に、霧散することが殆どである。大衆は少ない努力で大きな成果を望んでいるので、その希望を叶えられるかは疑問である。ただ大衆化を目標にしなければ、提唱者個人の問題である。

10-広まるか?広まらないか?
 何事にも言えることだが、優れたものが広まるとは限らない。

 コマーシャルも要因の一端を担うが、所詮は、民衆の要求に応えたものが、受け入れられて、広まるのである。

 

 

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