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句の配列原則

 日本で出回っている漢詩作品の殆どは、絶句と律詩であるが、漢民族詩歌の・・・一般に言う漢詩は、八句以上の作品がとても多い。

 日本人には句数の多い作品と思われている律詩は「短詩」の範疇に入る。中華の詩詞壇では、七字×八句の五六字から、五字×四句の二十字迄を短詩とし、二十字以下を超短詩と言う。

 十句でも二十句でも、単に句が不規則に並べられているのではない。平仄の規約があり押韵の決まりがあり、起承転合が言われている。

 更に規約ではないが、傾向、或いは習慣と言うかは定かではないが、句は相互に繋がりを以て綴られ、バラバラではないのである。

 句意が重なり過ぎれば進展に欠け、次の句への繋がりが欠けると、意図が途切れてしまう。句意が途切れずに連綿として、而も重なりすぎない事が肝要である。

 この要件は、律詩のみ成らず、絶句や漢俳でも、曄歌でも要求される。

 絶句・漢俳・曄歌に於いて、中国人の作品と日本人の作品に相違が看られる。それは、中国人の作品では、例え超短詩の漢俳や曄歌で有っても、句の聯繋は失われていないが、日本人の作品は、句は各各が独立し、鼎の構成が多い。

 日本詩歌、殊に俳句を学んだ砂粒ほどの中国人を除けば、概ねの中国人には、連綿を欠いた鼎の構成では、作品の意図を理解することは難しい。依って人知れず、解らない!離れすぎる!と言う。

 作品構成が鼎になる弊は、日本人は起承転合と言わずに、起承転結と言い、二句一意一章を殆ど説かないことが、その一因でもある。テキストに於いても作品の掲示でも、四句若しくは八句を並べて書き、「」を書かないので、句の連続性が眼から認識できないのである。酷いのになると、一句ごとに「○」点をつけて、句の連続を否定した印刷物まである。

 

 

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