漢詩詞論攷創作態度の10 中山逍雀漢詩詞創填詞詩余楹聯作講座こちらからもお探し下さい

詩を作る態度−私の場合 其之十TpPage

 漢詩の創作に手を染めて二十年近くになるが、その殆どは散逸して、たまに本に挟まったのが出てくる事がある。タイムカプセルの封を解いたように、その当時の様子が思い起こされ、過去に行くことが出来る。

 十年前と現在と・・・巧拙はどうかと聴かれれば、「どっちとも言えない!」と云わざるを得ない。十年経っても進歩しないのかと聴かれれば、そうとも言えるし、そうで無いとも言える。

 漢詩詞を綴る規約や手法は、順序立てて学べば、そんなに複雑でもなく難解でもない。だから趣味の域で学んだとしても数年でほぼ完了する。だが実際には、何年掛かってもなかなか思うに委せないのは、何を表現しようかと云う、個人の内面心情に拘わる問題とテクニックが成熟しないからである。

 個人の内面心情とテクニックとどちらが先かと云えば、心情が主でテクニックは従と言える。前稿の「十才童子の作品も九十才古老の作品も、同じ俎上に載せることが出来るのが詩歌だと言える。」の言葉が如実に語っている。

 「十年前の作品と今の作品の優劣は一概に言えない」、と云ったのは、十年前は体力も充満していたし、欲望が漲っていた。だが今は体力も大分落ち、欲望も大分凋んでしまった。だから以前は作品に力強さが感じられたが、今では屁理屈が多くなった。

 壮年と年寄りの狭間だからだろうと、自分自身で勝手に納得しては居るが、それは今の自分と作品とがが乖離している状態と言えるだろう。

 而六十耳順、と云うが、有りの儘を受け止める事が出来る心構えが欲しいものだ!。

 

 

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