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お断り
 漢俳は俳句との関わりが言われているので、俳句関連の諸賢も閲覧される機会が有ると思われます。編者は俳句の詩法を知りません。依って本稿の解説は漢詩詞の一類としての解説で、俳句との関連については、一切の考慮をしておりません。

第一項 総論

 漢俳は中華人民共和国建国以後に誕生した定型で、歴史は極めて浅い。

 この定型の、他の定型と基本的に異なる点は、中国側が、2005年3月に、中國北京に漢俳学会を設立し、日本の俳壇を招いて、俳壇との詩歌交流をするための共通詩歌として、披露した点である。

 漢俳は、この日を堺に大きくその性格を転換したのである。本稿では、漢俳学会成立以前の漢俳を殊に、「漢詩詞類型漢俳」と区別して解説する事とする。

 此によって、俄に脚光を浴び、この新顔の定型に興味を示す者も現れた。

 此によって、漢詩詞とは全く詩法を異にする俳句愛好者が、漢字詩歌に手を染める事となった。依って、漢詩詞詩法で漢俳を扱えば、俳句詩法との間で齟齬が生じ、俳句詩法で漢俳を扱えば、漢詩詞詩法との間で齟齬が生じる事となる。

 なお、本稿に於ける、中国国内の状況や、詩歌に対する見方や判断は、日本という外国から看た、意見である事を前もって断っておく。




第二項 漢詩詞類型漢俳の誕生以前

 中華人民共和国成立以後、人心の安寧を諮るための一つの手段として、文字の簡略化と詩歌の普及が図られた。

 既に漢民族には長い歴史に培われた定型詩歌が有るが、革命による新国家建設という政治状況と、従来の定型が、必ずしも簡易とは言えない現状から、自由詩の普及が図られた。

 然し、その後も自由詩は國の内外に廣く普及して大衆化される迄には到らなかった。

 長い革命の時代を経て、国内も平穏と成り、改革開放の時代が到来した。

 改革開放の時代と成って、長年にわたり、沈静化していた古典詩歌が、息を吹き返したのである。

 各地に詩詞壇か結成され、日本人との詩歌交流も、雨後の筍の如く、数は増え成長も著しく早かった。



第三項 漢詩詞類型漢俳の誕生

 詩歌関連交流は、漢詩詞、俳句、短歌、吟詠、詩舞、書道などの、団体や個人的な交流が盛んに行われた。

 偶々、俳壇交流の席上、中国側が日本側俳壇に敬意を払い、五七五字句の漢字による即興詩を披露した。この事は、日中双方に興味深く受け取られ、「(漢詩詞類型)漢俳」と言う、定型としての名称を得た。

 その後(漢詩詞類型)漢俳は、中国国内で詩歌普及の方途として、歓迎され、徐々に広まっていった。



第四項 漢詩詞類型漢俳の中國での環境

 古典定型は、長年の経過によって習熟の度を高め、著者が知る限りでも、数百の詩法が云われている。

 古典漢詩詞は詩法の難しさが却って障害となって、誰でも簡単に創作できる状況ではなかった。

 かと云って、簡易に創作出来るであろうと思われた自由詩も、予想に反して思ったほどの拡大を見せなかった。

 時は移り、改革開放政策が叫ばれた丁度その時、詩法に余り囚われない、自由詩と古典詩の折衷した定型としての、(漢詩詞類型)漢俳の誕生である。

 誕生して間もないから、詩法も整っていない。此が却って幸いして、詩歌の知識が少ない者でも、自由に趣旨を綴る事が出来、容易に創作が出来るとの評価を受け、此が詩歌大衆化の要求に合致した。



第五項 漢詩詞類型漢俳の日本での反応

 (漢詩詞類型)漢俳誕生と詩歌大衆化の情報は、既に二十年前に、日本の漢詩壇にも、伝わった。

 (漢詩詞類型)漢俳が、日本の漢詩壇に紹介された理由は、「詩法知識の乏しい者でも簡単に対応出来る」から、である。

 漢詩壇では、古典定型を創作出来る能力があるのだから、敢えて、簡単な定型を取り入れる必要はない。

 又、一時期(漢詩詞類型)漢俳が話題となって、定例討論会の議題に上ったが、編者の知る複数の漢詩壇でも、(漢詩詞類型)漢俳創作の必要性は無い!との結論に到った。

 日本漢詩壇では、(漢詩詞類型)漢俳に関する情報は夙に広範に伝わり、恐らく半数の漢詩人は、既に二〇年前に(漢詩詞類型)漢俳の創作を試みている。

 編者は、日本詩歌壇の情報には疎いが、例えば会員一千万人と自称する俳壇に於いて、その半分の五百万人に(漢詩詞類型)漢俳の情報が伝達されたであろうか?創作を試みたであろうか?研究討論会を開催したであろうか?



第六項 漢詩詞の側から看た漢詩詞類型漢俳

 (漢詩詞類型)漢俳誕生当時、中国詩詞壇では、知識未熟な者でも対応出来る定型詩歌、と云はれ、この簡便性が幸いして、詩歌の大衆化が図れると云われた。

 編者も既に二〇年前(漢詩詞類型)漢俳の創作を試み、多数の添削に応じたが、そこで得た結論は以下の如くである。

 (漢詩詞類型)漢俳を純粋な漢詩詞と捉えて、未熟な詩法の儘で対応するのならば、極めて簡単に創作する事が出来る。

 然し、その結果として、長年に亘る衆目に堪えられる作品が出来る確率は低い。

 詩法を駆使して対応する場合は、余りにも従来の定型からかけ離れているので、詩法の安定的な対応が、極めて難しい。

 安定的な詩法の対応を為す技量を得るためには、少なくとも百余の詩法を熟知した後で無ければ、対応が不十分と成るである。

 依って衆目に堪えられる作品を創る事は、とても難しく、七言律詩創作以上の技量を必要とする。



第七項 漢詩詞類型漢俳創作の傾向

 漢詩定型の殆どは、偶数句、四句以上で構成されている。(漢詩詞類型)漢俳は三句構成であるから、起承轉合の何れかが欠落する。更に、五字句と七字句が混在する。

 この事は、従来の定型とは基本的に異なり、従来詩法の対応に頗る支障を来す。

 依ってこの事を解決するには、新たに高度な詩法を創出しなければならない。

 然し、殆どの創作者は、安易な方向を選び、自由な発想、新たな詩法となどと自称して、安直に逃れる傾向がある。



第八項 俳句の関連詩歌として看た漢俳の定義

 漢俳学会設立を契機に、(漢詩詞類型)漢俳は大きく其性格を転換した。

 即ち、漢詩詞類型漢俳が俳句関連漢俳に成ったのである。俳句の詩法は漢詩詞の詩法とは全く異なるので、漢俳を日本俳句と関連付けて対応する場合は、既に漢詩詞の一定型ではなくなる。即ち、漢語綴りの俳句と云う定義が、妥当である。

 依って、漢俳は、漢詩詞とは性格を異にし、詩法を異にする處の、日本俳句関連漢語綴り定型詩歌と定義するのが妥当である。



第九項 漢詩壇の漢俳対応

 漢詩壇は漢詩詞の創作を専らとしていて、俳句関連の詩法は学んでいない。依って、漢詩詞壇として漢俳創作に対応する事は、事実上不可能である。

 又、総論で示すとおり、漢俳提案の相手方は、日本の俳壇であって、日本の漢詩詞壇ではないのである。

 更に、第四項での結論の示すとおり、漢俳の創作を殊に取り上げる必要は全くない。漢俳は、数百有る定型の一つに過ぎない。

 又更に、詩法の全く異なる俳句の学習をすると、漢詩詩詞法との混乱を生じ、その結果、漢詩詞の創作が拙くなると云う、現実的な問題がある。

たとえ話
 漢詩詞壇が漢詩詞を創作するのは、中国服を着た京劇人形を作っている様なもの。
 或いは、四角い穴に四角い棒を通すようなもの。

 俳句関連漢俳を創る事は、中国服を着た日本人形を作るようなもの。
 或いは、四角い穴に三角の棒を通すようなもの、或いは三角の穴に四角い棒を通すようなもの。




第十項 漢俳入門以前の基礎知識

 漢俳は中国側で云うとおり、初学者でも、初歩的な対応は十分に出来る定型である。
 著者は、専門外で漢俳への対応は出来ないが、門前に到るまでの対応は出来る。
 漢語詩歌の知識として

1−平仄に付いて
2−韵に付いて
3−語彙の作り方
4−句の作り方
5−句意配置の要領

 以上五項目は、漢語詩を綴る上で最低限の必要知識である。以下その大略と練習法を示そう。練習にはその所用時間を傍記したので、参考にされたい。

 なお、此から行う練習は極めて易しいから、他人に教えを請う必要は全くない。

 幾らのんびりしても、一ヶ月で基礎練習は完了するから、その後は、俳句の知識を持った者に教えを請う必要が有る。

 本屋の番頭ではないが、練習用のテキストが必要なので直ぐに用意して貰いたい。

呂山 太刀掛重男著
詩語完備 だれにもできる漢詩の作り方
発行所 呂山詩書刊行会
〒737- 呉市長ノ木町8-36  電話 0822-24-1088
振替 広島 5-6473番
注;東京神田 松雲堂書店でも店頭販売している。



第十一項 平仄について

 漢語を多少なりとも学んだ経験がある者なら、ご存じと思うが、漢語では概ね四っのアクセント、即ち四聲を縦横に使って、多数の漢字を読み分けている。

 先ず音律の面から述べると、漢語詩には、流暢に読めて、然も感情の移入が容易である!と言う条件がある。
 この条件を満たす爲に、多年の淘汰に耐え抜いた作品をモデルとして、これに倣って、文字数とアクセントを予め決めて置いたものを定型と言う。

 そこで、漢語詩では、予め定型に定められたアクセントに合致した語彙を用いて、句を綴ると言う作業をしなければならない。これは日本語と、ちょうど逆で、こうして造られた作品は、流暢で感情に満ちた作品となる。

 お手元のテキストには、白○、黒●、の印が書かれているが、この印は、文字のアクセントを示す印で、現代漢語では、第一聲調を陰平と言い、第二声調を陽平と言い、共に白○に該当し、第三聲調と第四聲調は共に仄聲と言い、黒●に該当する。

 

第十二項 韵に付いて

 韵とは、日本語に言い換えれば「母音」に相当する。日本語の母音は「あいうえお」と、とても数が少ないが、漢語ではアクセントが母音構成要素となるので、とても数が多く、古典韵では、百六韵有る。

 時代の推移と共に、漢語の発音も変わり、また詩法も変わり、現在では、三十六韵・三十二韵・二十八韵などが云われている。

 漢俳を学習する者は、現代中国の方々との詩歌交流を目指している訳だから、現在中國で用いられている「韵」を用いるのは当然だが、残念ながら初心者用の現代韵に依るテキストが販売されて居ない。

 依って、古典韵のテキストを使用する事となる。なお、古典韵から、現代韵への移行は、多少異同はあるが、概ね分割数の縮小だから、後日此を修正する事は、簡単に出来る。

 テキストには、平聲の韵◎だけしか編集されていないが、韵は、平聲○と仄聲●の両方に有るので、練習の期間を過ぎ、漢俳の指導者に付いたなら、現代通用の韵と合わせて仄韵に付いても、指導を受けられると宜しいでしょう。



第十三項 語彙の作り方

 漢俳の綴りは、漢字五字句+七字句+五字句の構成である。更に五字句は二字+三字の構成で、七字句は四字+三字の構成である。四字句は一字+三字の構成と二字+二字の構成と三字+一字の構成である。

 これは、仮に四字を二字+二字とすると

□□+□□□+□□+□□+□□□+□□+□□□
 これを看ると、四字と三字の組み合わせが基本にある事が分かる。



第十四項 句の作り方

 準備無しに五七五字句に挑むのは聊か難しいので、先ずは三四三字句の取り扱いから練習を始める。

 テキスト76頁を開くと、□の中に庚・尤の字が書かれている。此は韵の分類で、□の上側と下側の文字の末字の母音が同じである事を示している。

 練習と言っても、無闇に並べるのではなく、後々使える技倆と成るように、●○◎。●●○○,●●◎。の平仄押韻譜を示した。

 押韵とは、一作品の中に二カ所以上同じ母音を配置する事を云い、漢俳でも末句を含み二カ所以上と定められている。

 さあ!練習を始めましょう!

 此処で一番大事な事は、何を述べようか?等という事は、一切考えない事である。
 ただ漢語文法に違わぬように文字を並べる事だけに注意を払って下さい。
 少し字句が並べられるようになると、色々と自分の思いを書きたく成るのだが、グッと我慢して欲望を抑える事、此が上達の近道です。

 ●○◎。●●○○,●●◎。に倣って文字を充ます。
尤韵上段から「満村秋」を選びます。次ぎに●●から、「萬頃」を選び、○○から「黄雲」を選びます。次ぎに、尤韵下段から「半日遊」を選びます。

 此を全部合わせますと、
 
満村秋。萬頃黄雲,半日遊。

が出来ました。

 同様に、繞村流を選んでは、四字と三字を付け合わせ、一つ完成させます。同様に、野村幽・夕陽収を次々と選んで、同様に完成させます。

 最低限百箇は創って下さい。延べ十五時間で完了する。

 同様に●●◎。○○●●,●○◎。を創ります。これは、尤韵下段を選んでから、次は上段から選べばよいのです。最低限百箇は創って下さい。延べ十時間で完了します。

 何時も同じ韵では飽きてしまいますから、このテキストは何処を捲っても同じ構成ですから、色々な頁を開いて、創ってみましょう。



第十五項 句意配置の要領

 句の作り方も、韵の事も覚えた。二字も三字も自由に扱えるようになった。今度は、この知識を使って、句意配置の要領を覚えよう。

 また、75頁を開いて下さい。
 ○○●と○●●は、頁の下の方に「転句」と書かれたところがあります。そこから選べばよいのです。

●●+○○●, 目に映る景を書く
○○+●●◎。 その景を看た自分の思いを書く
○○+○●●, 前句に関わりない自分の思いを書く
●●+●○◎。 前句の思を景に置き換えて書く

 尤韵から選んでみましょう。このときも、頭の中は空っぽです。大したことは考えていない。ただボンヤリと窓の外を見ているだけである。これが練習には最も効率的な方法である。

一路西郊景,
題詩紅葉秋。
無人田舎趣,
柿熟夕陽収。

 こうすれば簡単に出来ますから、五十箇創って下さい。延べ十時間で完了します。
 此で、門前に到る準備は完了しました。最所から順を追って練習すれば、ここに至るまでは人様に教えを請う必要は全くありません。

 簡単に創る積もりなら、五字句+七字句+五字句と並べれば良い訳ですから、漢俳は、もう何時でも創る能力は備わりました。

 ただ此が、漢俳と言えるかどうかは、漢俳の分かる人に聴いてみないと分かりません。其れには、漢詩詞が出来て、更に俳句が出来る人を探さなければ成りません。



第十六項 入門しよう

 漢俳は非常に易しいから、此でほぼ綴り方は習得した。素人に見せるなら、此までの学習で十分対応出来る。
 ただ、少しでも評価を得るには、指導者に教えを請うのが手っ取り早い。然し漢詩詞が綴れれば誰でも良いという訳ではない。

 漢詩詞が出来て、更に俳句が出来る人でなければ、その任に当たる事は出来ない。

 漢詩詞関係の人に教えを請うても、俳句に関連する漢俳は教えて貰えない事を念頭に置く必要がある。



第十七項 海外論文の視点

 漢俳は誕生して日も浅いので、詩法も未熟である。依って詩法の論説を為す者も多い。然し此処で、論拠を見定める必要がある。漢詩詞の中の一定型としているのか?俳句との連携を承知しているのか?何れかを見定めなければ成らない。

 俳句との連携を拠点にしているのでなければ、2005年3月漢俳学会が示した日本俳句との連携を前提とした漢俳の詩法としての論説には成らない。

 論者がどれ程に、俳句を理解しているか?を先ず見定めなければならない。

 

曄歌坤歌偲歌瀛歌三連五七律自由詩笠翁対韻羊角対漢歌漢俳填詞詩余元曲散曲楹聯はこの講座にあります


2005-5