ma-sintan04.htm 填詞詩余楹聯  此方からも探せます

四 音数律を基本とする日本の詩歌は、殆どの場合仮名五文字は漢字三文字に、仮名七文字は 漢字四文字に、仮名九文字は漢字五文字に置き換えることが出来、例えば民謡や歌謡曲は七 七七五が多く、今様は七五七五で、何れの場合も其のリズムを壊すことなく、容易に漢字に 置き換えられる。

 酒は飲め飲め 飲むならば 日の本一の 此の槍を   七五七五  黒田節  福岡県民謡
 お前お発ちか お名残惜しい 名残情けの くくみ酒  七七七五  お発ち酒 宮城県民謡
 幻の 影を慕いて 雨に日に 月にやるせぬ 我が思い 五七五七五 影を慕いて 藤山一郎 花も嵐も 踏み越えて 行くが男の 生きる道     七五七五  旅の夜風  霧島一郎
 君が御胸に 抱かれて聞くは 夢の舟歌 鳥の歌    七七七五  蘇州夜曲 渡辺はま子
 優しさと 甲斐性の無さが 裏と表に 付いて居る   五七七五  雪椿    小林幸子
 貴方変わりは 無いですか 日毎寒さが つのります  七五七五  北の宿から 都はるみ

五 例外として考察の三に示す如く意味の構成から、決められた漢字総数の範囲内にて、適宜 句の文字数を変えることが出来る。

六 平仄は日中不要、

七 押韻は中国人必須、日本人は自由。

八 韻位は四体に共通で、意味上の末字とする。

九 既存の俳句作品を置き換える場合の季語は、既存の日本の季語を用いるが、文字面だけの 理解しかできない提供をしても、俳句の理解にはほど遠く、極端に云えば、冬しかない地域 もあり夏しかない地域もあり、地域によって季語に対する認識に雲泥の差のあることを前提 にし、季語の解説書を充実させる必要がある。

十 新たに漢字の季語を創る場合は、先ず漢詩作品の中より俳句に翻用されて居る季語が相当 数有るので、これを摘出し、次に人口に膾炙している漢籍の中より季語に翻用出来る語句を 摘出し、新たな季語として位置付ける。
  なお季語の選定に当たっては、既存の季語に執着することなく、国際性有る新たな季語の 発掘に勤めることが肝要である。

十一 章法として五七五の関係は、例えば四句の漢詩の様に、起承転結の関係がほぼ決まって いるのに対して、俳句に於いてそれらの関係は希薄で、相互に独立してはいるが、かと云っ て箇々に独立して居るとも云えず、互いに微妙に関係し合って居るので、漢字三文字四文字 三文字の句に於いても、箇々に独立させ然も微妙に聯系を持たせることが肝要である。

十二 此処に作り出された新たな詩は、漢字を用いてはいるが、句法章法リズムに於いて明ら かに日本の詩の手法である。
  然るにこの改寫法を用いて、既存の俳句、川柳、短歌、都々逸、今様、民謡、歌謡曲等の 詩歌を置き換えるなら、其の本来のリズムを壊すことなく、今まで理解の困難だった漢字圏 の人々に、日本人と同様の認識で作品を提供できる。

十三 作品の書き方

スプライト  8.gif (5881 バイト)

 

 A 曄歌、坤歌、瀛歌の名称を書く
 日本人が中國に投稿する場合、相手方に認識の無さそうな単語には註を付け、文字は旧漢字を用い、日本製文字の使用は出来ません。

五 交流

 イ 中国詩歌と日本詩歌の関係

 中國詩歌の現状は、古来より綿々と続く定型詩歌と、近年になって盛んになった散体詩歌が有るが、然し散体詩歌が思ったほど揮わず、徐々に格律詩歌が見直されてきている。
 日本に伝わってきている中国詩歌は、日本人の馴染みに合わせてほんの一部が輸入されて居るだけで、中國では詩歌の定型だけでも二千余種類有ると謂われて居り、筆者が体験しただけでも数百種類の定型がある。
 詩歌の主体はあくまで叙事で、定型は叙事を入れる器で、器は沢山あった方が適情適器でしっくりと馴染み、数が少なければ無理矢理押し込むことも屡々であろう。
 依って内容や技法により詩歌の名称を変える認識は無いので、本論の漢字圏通用新詩体詩歌に於いて、同じ格律なのに名称が変わる事への説明に苦慮苦したが、日本では音数律だけで沢山の定型を作ることは、事実上不可能であるとの説明から、辛うじて納得を得て貰った。
 中國の歌人は昔から謂われているように、詩 書 画がセットのようで、人によって巧劣は有るが、誰でも一通りは嗜んで居て、詩歌についてもあまり専門化はして居らず、これと比べ日本の詩歌の組織は、叙述方法によって別個で、専家は各々一つの叙述方法が殊に突出している。
 筆者は中国詩歌との係わりが長く、詩歌に対する考えも、中国詩歌を基点として居るので、本論の提案も日本詩歌の側から考察したものではない。
 日本詩歌の音数律を漢字詩歌の音数律に対応させ、新たな形式を産出したので有って、形式に対する名前を付ければよいのだが、日本の現状に留意して、内容に併せた名前を付け、さし当たり巷間盛行している四形式とした。
 日本人は幸いにも四文字熟語が好きで、巷の本屋を覗けば四文字熟語の本は何処にでも売っている。
 読むことと作ることとは格段の違いがあって、例えば五文字句に成ると、作るには相当の学習と慣れが無いと難しく、七文字に成ると更に難しくなる。
 其れに比べて三文字句と四文字句は比較的簡単で、筆者が一時間も話したら出席者一同みな簡単に出来るようになり、四文字句と五文字句の隔たりの多いことを実感した。
 其れなら三文字句四文字句を使って詩歌は出来ぬものか、中國の詩友とも度々論じあい、日本の詩歌との整合性と、中国詩歌との整合性も確認して、此処に新たな詩形が生まれた。
 川柳や都々逸なども、なかなか面白いものがあり、中国の詩友に坤歌や偲歌の詩形で改写して示したら、理解は以外と正確で、筆者の蛇足を必要としなかった。
 従来より日本の詩歌を中國の既存定型詩歌に改写する事は試みられていたが、詩歌の手法の違うものどうしでは、リズムの反映など作品の意図を転寫させる事は不可能で、却って文字数が多い分だけ余計なことまで書き加える結果となり、翻訳の域を出ていないのが現状である。
 この新詩体詩歌は漢字は用いているが、句法章法に於いて明らかに日本の詩の手法であるので、改写しても原型を崩すことなく、新作に於いても先方に此方の意思を正確に伝えることが出来ることは筆者の経験済みである。

 ロ 詩社

 中國に於ける詩歌団体は、詩社吟社学会などの名称を持ち、漢字を使用する人が居る所なら國の内外を問はず全世界を網羅している。
 中國での詩歌は、書画と共に文化人の教養の一つで、詩社に籍を置く人は巧拙は有るが詩書画は何方も嗜んでいて、詩とは自己の表現の具象化で有り、定型は其の器で手段でもある。
 器を沢山使いこなせることは詩家の能力に通じ、一人の人が詩情の赴くままに適情適器縦横に使っていて、詩家の集まりである詩歌団体は如何なる作品も縦横に展覧されて、作品の偏在は見られない。
 中國詩社の会員は、現役の人も多数居るが、多くは大学教授や政府高官などの退職者で占められ、文化的エリートの集団で、箇々の顔ぶれを見ると、詩家有り、画家有り書家や音楽家などさまざまである。
  新短詩テキスト続きへ

楹聯散曲元曲自由漢詩笠翁対韻羊角対漢歌漢俳填詞詩余曄歌坤歌偲歌瀛歌三連五七律はこの講座にあります