text01填詞詩余楹聯  此方からも探せます

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基本編論旨

第一章  緒論として、漢詩に関しての大まかな事を述べるが、漢文や漢詩という言葉は知っているが、漢字の平仄に付いては理解が難しいようなので、中国語の発音まで遡って、平仄を説く。
第二章  形式編として、漢詩を種々の形式に分類するが、方法として一句の文字数に依る事として、最短の三言から雑言までとする。
第三章  近年中国に於いて作り始められたと云う漢俳について。
第四章  現代中国では詩よりも、詞の方が屡屡作られると聞く。
第五章  散文と韻文の、中間の位置を占める賦。
第六章  現代中国人は口語体の詩の方が多く作られると聞き及ぶ。
第七章  此の小誌は後記の参考文献手許に編集した

・ 振り仮名は読み易いように、易しい漢字を当てて有るので、本文と意味を異にする所も有り、あくまで補助として、本意は本文に従って下さい。
・ 本小誌は読み物と言うよりは、教材としての意義に重点を置いているの でその点に留意し、詩文の読みに就いては、読みと解説を付ける、読みだ けを付ける、解説だけを付ける、全く添え字を付けない等、一見バラバラ な編集のようだが、この方が読解力が付くので、敢えてこの様にした。
・ この小誌は漢詩の構成を解析し、そこから色々な規則性を探り出すと言 う編集方法を執って、鑑賞の為の解説は施して居ないが、姉妹誌「技巧編」 を読めば、鑑賞書に頼らなくても、自分で解釈が出来る様になる。
・ ・印を付けて、注意を要する事項を特記した。


  第一章 緒論

一の一 漢文とは何か

 日本人の我々が漢文と言う場合、中国古典を指して言う場合が多いが、これは中国、漢の時代に日本に入って来た文献を指して呼んだ呼称で、これが後日一般的な呼び名となったものである。
 この漢文は、本家の中国ではどうなって居るかと云えば、日本の古典と同様の状態にあると言える。
 紙の消費は文明のシンボル等と云うが、古い時代に於いて、紙に代わるべき材料はとても高価なものであって、経済的な面からも、より少ない文字数で、より多くの内容を記載できる方法が求められた。
 ただ内容を記載するだけの殺風景な文よりは、多少の工夫を凝らして読み易い、見易い等の文化的な要素が包合される様になった。
 一般には、文語体で書き著した文章を漢文と云うようだが、これも現在まで続いては居らず、宋代後半から、当時の話言葉に近い、又は話言葉その侭の文章が次第に現れた。
 ここに三国史演義の文章で、文語体と口語体(白話体)の混ざった部分が有るので紹介しよう。
 この部分は中国三国時代に、蜀の劉備玄徳が諸葛孔明を三度尋ねて行って、味方に招いた故事、これを世に三顧の礼と云うが、この部分の言葉のやり取りの一節である。 録三国演義

  孔明「昨観書意、足見将軍憂国優民之心、但恨亮年幼才疏、有誤下問」
 諸葛亮 「昨日のお手紙拝見しました、将軍の国を憂い民を憂うお気持ちは充分拝察致しましたが、只恨めしい事に私は未だ歳も若く才能も御座いませんので、お声を掛ける相手をお間違えでは御座いませんか。」

  関羽「兄長両次、親往拝謁、其禮太過矣想諸葛亮、有虚名而無實學、故避而不敢見。兄何惑於斯人之甚矣」
 関羽 「兄貴達が二度も行ってお願いし、随分と礼を尽くしたと思うけど、ひよっとすると名前ばかりで本当は実力が無いのかも知れないな、だから会わないのかな。兄貴達、もうあんな人なんか当てにしない方がいいよ」

  劉備「不然。昔齊桓公欲見東郭野人、五反而方得一面、況吾欲見大賢耶」
 劉備 「いやそうじゃあない、昔、齊の桓公という人は、東の郷の官を去った人に、五回も尋ねてやっと一回会って貰ったそうだ、そこへいったら、こっちは偉い人に会うんだからな」

  張飛「哥哥差矣。量此村夫、何足為大賢。今番不須哥哥去、他不來、
我只用一条麻縄将来」(張飛の言葉は口語体)
 張飛 「よお兄貴達、きゃっは只の田舎爺いよ、何で偉くなんか有るもんか、今度から兄貴は行かなくていいよ、奴が来なかったら、紐で引くくって連れて来てやるさ」 差ー錯誤 哥ー兄

・ ここで文体に就いて少し考察すると、文体にもランクがあり、格式高い 文語体から低い口語体に到たり、登場人物の人格と文体の形式と、互いに 配慮している事に芸の細かさがある。

 中国語の文法に就いて簡単に説明をしてみよう。
 先ず中国語には、「テニヲハ」が無いという事が日本語との最も大きな相違点で、日本語なら言葉の順序は多少変わっても「テニオハ」がしっかりして居いれば、どうやら言葉は通じるが、中国語では詞の配置順序が重要な要素で、配置に依って内容を異にする。
 日本語は、主語+目的語+述語 の順であるが、
中国語では、概ね主語+述語+目的語 と成っており、
更に時刻と場所は、述語の前に配置され、主語+時刻+場所+述語+客語 と成るのが大まかな配置である。
 日本語から見てそれぞれの語句に制限を加える語句は、其の語句の前側に配置し、例えば「山」に対して青い山であると限定する語句、即ち「青」は「山」の前に配置して、「青山」と成る(修飾関係)。
 場所に付いては、前に「在」を置き、場所を配置するが、「在」が動詞で有るから、述語客語の関係を一纏めとして、場所を表示する語句としている。
更に日本語と同様に、表示しなくとも言外に理解できる言葉は、省略する事が出来、主語は当然わかりきった事柄なので、往々にして省略される事が多い。
そして、前句に続く後句の場合は、代名詞に依って引き継がれるか、或いは省略される。
 文は切れ切れな語句の配置だけで構成されるのではなく、例えば主語にあ
っても「我」「君」ばかりとは限らず「昔斉桓公」等は「その昔斉の桓公は」と云う事柄が主語であって、「見」動詞、「欲」は見に対する制限語句、「野人」が客語で東郭が制限語句である。
 即ち最小の単位は「制限語句+被制限語句」又は「従+主」の関係であって、次は「主語+述語+目的語」の関係である。
 又「主語+述語+客語」の句が大きな構文の一部、即ち「主語」と成ったり、「述語」「客語」と成ったりもするが、漢詩にあってはせいぜい十四文字の間であるから、そんなに面倒な構文はない。
 前例は散文であったが、詩文は極度に洗練された文語体で、一句が五文字とか七文字とか、限られた文字数で作らなければ成らないので、構文上省けるところは省き、詩語と云って詩文だけに使われる単語もある。  

・ 中国語でご飯を食べないは、平叙文で云えば 我不吃飯 と成るが、把 の用法では 我把飯不吃 と成って日本語の語順とほぼ同じとなる。
  詩句は当然に判っている事は省略する事が多く、主語と把の文字は其の 対象となる場合があり、「飯不吃」だけが残って、平叙文の「不吃飯」の 逆となって、奇異に思われる事がある。
・ 詩は歌で有るから、調子の良さが重要な要素で、韻や平仄などメロデイ に関する規約がなかなかやかましい。
・ 詩文と口語文を示すので、相互のニュアンスの違いを比較してみよう。

九月九日憶山東兄弟   王維

独在異郷為異客 毎逢佳節倍思親
 我一個人居留在外処、做他郷的客人。毎次遇到佳美的節日、就加倍想念着父母了。

遥知兄弟登高処 遍插茱萸少一人
 我在遠処知道家裏兄弟們在登高的地方。大家都插了茱萸葉避邪、只是少了我一個人了。

子夜秋歌  李白 

長安一片月 萬戸擣衣聲
 長安城裏的一片月光裏、家家放出槌洗衣服的声音。

秋風吹不盡 総是玉関情
 一陣的秋風吹不散這種声音、声声総是牽掛着玉門関。

何日平胡虜 良人罷遠征
 不知道那一天能撃打平了胡人、丈夫可以停止了在遠処的戦争回来・。

・ 文語体では、長い文体もあるが、口語や詩文では殆どが短い文で構成さ れている。
・ 口語では、同じ事柄を述べるのに随分と文字を使用する物だ!


一の二 漢詩とは何か

 今日では漢詩と言えば中国の詩を指すが、明治時代以前は「詩」と言えば漢詩を指していて、明治時代になって「新体詩」が現れて、其れが何時のまにか新体の二字を取り去って、ただ詩と称するようになると、其れまで「詩」で通用していた物が、頭に漢の文字を付けられ、漢詩になった。
 詰まり中国で創造された一定の形式の詩を指す物で、其の形式を守っていれば、例え日本人が作っても漢詩であり、現在の中国語(口語体)でもないし、勿論現在の日本語に依るものでもない。
 そして一定の古典形式でありながら、文語体として生きているので、必ずしも死語を綴るものでもない。
 漢詩を作るという事は、昔の人の作った古い形式の詩を真似て、似たような詩を作る事と思っている人があるようだが、ただ古い時代の詩を真似て作るだけなら、物好きと言えるだろうが、詩の本道ではなく、擬古の詩と呼ばれる物で、一般の詩とは別物である。
 日本語でも、古事記や日本書紀に見えている種種の歌謡形式は、後世使用されていないが、五七五七七の短歌形式だけが、千数百年の生命を保って、日本人の感情表現に適当な方法を与えてきた。
 だからと云って現代の歌人が、上代や中世の和歌の口真似をしている訳ではなく、自分自身に切実な内的体験を詠っている訳である。
 漢詩の場合も全く同様であって、多くの詩人の手に依って洗練された形式だけが、千年二千年の時代の淘汰を越えて生き続けて居るのである。
 我々は、日本語でしかも現代語で作る方が適当な内容なら、そうするのが良い、何もわざわざ漢詩を作るには及ばない。
 ところが現代日本語という物は、チヨット見ると甚だ自由なように見えて、実は詩を作るには甚だ不自由であって、現在無数の詩人が排出しているにも係わらず、其の割りに振るわないのは、詩的な盛り上がりが容易でなく、短歌や俳句のような伝統的な詩形に圧倒されている。
 詰まり自由詩として長くなってくると、散漫に流れだらけてくる傾向があるからで、言葉は柔軟であっても、韻律を作り出す事が困難で、ただヒョロヒョロと、よろめめくような口調が切れ切れに並ぶのが詩だと思っている人も少なくない。  (漢詩入門 大法輪閣)
 どんな事柄でも、各々の詩形で表現を独占出来るとは限らない、漢詩も其の一端を担う物で、短歌などで表現の難しい内容の大きな詩情をこの詩形で表現しようとする物であり、又漢詩は互いに言語の違いがあると云う様々な困難を乗り越えながら、なお現在に於いても中国と日本が同じ地盤を共有する数少ない文化の一つである。

・ 漢詩に就いて平仄不用論もあるが、詩とは其の各々に定められた規則に 則った文体を指す物だから、漢詩と規則が異なるという事はそもそも漢詩 ではないのだから、作るのは自由だが別の呼称を用うべきだ。
漢詩は本来中国の詩で有って、過去に於いても現在に於いても日本独自 の文化ではない、中国の詩を日本人が作ると云う認識は、現在に於いても 同様で、中国人に評価されない作品は既に漢詩ではない。
・ 和臭とは日本で作られた漢語を意味し、古来忌み嫌われてきたが、然し 現代のように国際化社会での詩となれば、和臭に限らず様々な造語もあり、 日本から逆輸出されて中国語となった言葉もある。
  従って平仄の無い日本漢字は別として、平仄のある場合は其の意味を中 国語で注記すれば使用する事が出来る。
  ただ其れに先立って該当の言葉が中国語に有るか無いかを中国語辞典で 確かめ、無かった場合に注を付して使用する事が妥当であろう。


一の三 漢字の平仄とは

 中国人の会話を聞いた事が有るだろうか、とてもアクセントの多い事に気付かれた事と思うが、アクセントの違いを日本語では同音異義と云い、例え
ば橋端箸 雨飴編め 菓子仮死貸し などそんなに沢山は有りません。
 言葉にアクセントを付ける場合、上げるか下げるかなどする訳で、中国語ではこれを五種類に分け
第一声 平かな発音
第二声 上がる発音
第三声 下がって上がる発音
第四声 下がる発音
軽音  短い発音
註 一般には中國語の発音は四声なのだと云っていますが、これは普通話に限って云われることで、広東や福建では、八声有ると云われています。著者も確認しています。

 この様にみますと、日本語の発音は殆どが第一声で、第二声、第三第声、第四声、軽音と云われる部分が、同音異義の言葉に相当します。
 然し中国語は、全ての言葉即ち文字が、前記何れかの発音に該当し、子音母音の組み合わせの数が約四百種類、アクセントが四種類ずつ有ると仮定しますと、一千六百種類の発音がある事になります。
 でも漢字は数万文字有りますから、一つの発音で幾つもの文字が有る事となり、又更に一つの漢字に幾つもの発音がある場合があり、其の発音毎に字義を異にし、一文字多音多義の文字を破音字と云い、この文字だけを集めた辞典を「破音字辞典」と云います。
 漢詩は「詩歌」ですから、リズムを大切にします。そして漢字は当初から一文字一文字に(四声)を持っているので、これの組み合わせに注意を払う必要があります。
 そこで平仄という言葉が出て來るのです、第一声を陰平と云い第二声を陽平と云い共に平声の分類に入ります。第三声と第四声は、かたよると云う意味から、即ち偏るという意味の「仄」とした訳です。
 漢詩は「平仄」の組み合わせを大切にしますが、これは平かな発音と、変化有る発音の組み合わせを大切にすると言う事で、日本語ならば最初に詩句を作って、これにどんなリズムを付けても、大概詩句の意味は変はりませんが、中国語の場合には文字に最初から固有のリズム(四声)が付いて居りますから、日本語の詩の様に、これに勝手にリズムを付けると、言葉の意味そのものが変わって仕舞うという弊害があり、結果として、リズムに合った発とします。

音の文字を使って詩句を作ると云う手順を踏まなければ成らないのです。
 日本と中国とは文字は一部で共通だが、発音は共通でないのだから、やかましい規則は無用だという人も居ますが、現在中国人の作品が日本で発表されて居ますし、日本人の作品も上海や台湾で発表され、漢詩に限っては、中国と日本が共通の地盤に立つ文化であると言えます。
 相互に互換性のある文化なれば、止むを得ない事で、中国人にしてみればリズムに考慮を払わない詩句は、既に「歌」ではなく、只の文にしか過ぎず、「詩」(うた)で有ればこそ拙い日本人の作品でも一見の価値があるが、詩でない只の文では、単なる好き者の作った擬古文という事となり、何の価値もなくなって仕舞う事でしょう。
 詩とは形式文学であるから、形式に従わない作品は、既に其の範疇に入らない、漢詩でない物をわざわざ中国古典文で綴る事も無かろう。
 漢詩は規則が難しいと云うが、一番やかましい近体詩でも平仄を規定する部分は約半分、韻を規定する部分は四句の中三句で、見方に依っては随分緩やかとも云え、更に古体詩にあっては、平仄は問はず只最初の一句と次からは、落句のみに韻を踏めば良い。
 ここに宋の時代の作品、「春夜」蘇軾作を例示し、現代の北京語の発音を旁記した。
 言葉遣いや発音は、時代と場所に依って多少異なる事は当然で、また読みは連続して発音する場合、一文字一文字の発音には忠実ではなく、前後の文字の関係に依って声調を変える物だから、沈沈の部分だけが第二声で、陽平ですから前記の理由に依って詩法に叶っています。

春|  夜\ 蘇|  軾\
chun ye   su   shi

春|  宵|  一/  刻\  値/  千|  金|
chun xiao ye   ke   zhi qian jin

花|  有>  清|  香|  月\  有>  陰|
hua  you  qing xiang yue you yin

歌|  管>  楼/  台/  声|  寂\  寂\
ge   guan iou  tai sheng ji   ji

鞦|  韆|  院\  落\  夜\  沈/  沈/
qiu  qian yuan lou  ye chen chen


一の四 韻書略解

 「四声」は漢語の最も基本となる声調(イントネーション、抑揚の調子)で有るが、六朝以前の中国人は、口語の中に四声は有ったものの、これを詳細に分析する事はせず、ただ自然の口調に任せてリズムに乗る詩(古辞)を作ったり、読み易い文章を作ったりしていた。
 ところが五世紀の初めに、インドから仏教の経文が中国に伝来し、漢訳も行われる様になって、初めて漢字音を分析する機運が起こった。
 仏教教典は(梵語 サンスクリット)表音文字で書かれ、表意文字の漢字とは異質なもので、ここで漢字も表意だけではなく、表音にも注意を払わねばならない事態となった。
 即ち自国語を発音の面から再考察すると云う考えが起こり、齊の時代には王融 謝眺 沈約などが、文章に初めて四声のリズムを用いるようになった。
 六朝以前には専門的韻書はなく、詩人達は自由に同音と感じた文字を選んで押韻していた。
 所謂る古詩の時代で、魏晋時代に「李登」が編んだ「声類」とか「呂静」が選んだ「韻集」などがあったと言うが、非成熟の名著と云うところで、後世の音韻研究の先鞭を付けた事に意義がある。
 声律、音韻が学問的に確立したのは、隋の陸法言の「切韻」という云う韻書が始まりで、次に孫緬の「唐韻」であるが、これも現在では散逸し、次に現存する韻書は「大宋重修廣韻」で、これは唐韻を修訂した物で、名を賜って、大宋重修廣韻としたと言われ、現在「廣韻」と呼ぶのがこれである。
 その後時代と共に各種の韻書が編纂されたが、これはとりもなおさず中国文学にとって「韻」は重要な要件である事を意味する。
 次いで、鏡韻 礼部韻略 刊修広韻(集韻)(諸橋徹次漢和辞典はこれを採用) 五音集韻 壬子新刊礼部韻略(後世これを平水韻と称す)中原音韻 韻府群玉 洪武声韻 韻會小補 佩文韻府(新刊書店で購入できる)近くでは民國三十年に政府が発行した中華新韻がある。
 現在大方の漢和辞典に掲載されている韻は「平水韻であって、これは西暦一二五二年湖北平水の人、劉淵が編纂したと言われる物を拠り所にしている。
 韻表は漢和辞典や漢詩関係の参考書に掲載されているので、ここでは敢えて掲載する事は避けるが、多少の説明を加えよう。
ここに書かれている番号は、昔からこれを付けて覚えたそうで、通韻と云うのは、古体の詩ではこれだけの分類でよいと言う事で、言い換えればそれほど韻に対してやかましくないと言う事だ。
古詩を作る場合は一般に「通韻して宜しい」と云われて居るが、言い方を変えれば三十五韻で作って宜しいとも云える。
 唐以前には音韻に付いて未だ系統的に分類されて居なかったので、現代に云う通韻の範囲内の、韻は同一と考えられていて、現在百六個有る韻分類が、当時は三十五個の韻文類であったと云える。
 韻字とは何か、例えば平声一東とは、「東」と言う文字と似通った発音の一グループを表す標識に過ぎないが、其の配列の順序は、グループの中でも使用頻度の多い文字順に並べられている。
 表でも分かる通り、「東」と読む韻は沢山有るし、其れが平上去入(第一声 第二声 第三声 第四声)と四声有るのだが、日本人には音を聞いただけでは平仄は分からない。
 然し表を見れば判別できる。ただ入声だけは、語尾にFKTが付くので古くから「フクツチキに平文字無し」と云われて判別の材料にされている。
 文字の組み合わせで有る「句」の発音はどうかと言えば、文字の発音は前後の関係で決り、個々の発音が声調を変えず其のまま連続する場合、前後何れかの文字が声調を変える場合、後に続く発音が短発音で軽音となるもの、
   アル
末尾に兒の字がつき「アル!」と発音し、これを「儿化」と言うなど色々有るが、漢詩に於いては其れ程細かな事に注意を払う必要はない。
 日本人の漢詩に付いての諸知識は、概ね古典の知識に依っているが、漢詩その物は例え日本で有ろうと中国であろうと、本来同一で其の基本は中国の其れに依らなければならない事は当然である。
 言葉は常に僅かずつ変化する物で有れば、発音も当然で、日本で行われている知識は既に百数十年を経過し古典の類と言え、現在の中国の発音とは合はない場合があっても当然である。
 発音の規範を一覧提示した物が「韻表」で有れば、韻表が時勢と共に変化するのは尤もな事で、また変化するべき事柄でもある。
 以上の事柄を踏まえ、一九六0年代になって「新韻新篇」が編纂された結果、十八韻に整理され各々は第一聲から第四聲までを含むので、声調毎に分類すれば七十二韻と謂う事になる。
 更に新体詩に於いても古詩と同じ様に通韻(旁韻)が認められ、更に作り易くなっている。
 茲に中国の現状に付いて少しく述べたが、現在日本で用いられている古典の韻が作法に合わぬと言う物ではないが、古典で有ると言う認識を持つ事は必要で、何れ日本にも「新韻新篇」が普及する日がくる事と思う。


   第二章 漢詩

 総論

その一 古体詩

 又の名を古詩(古い形式の詩という意味)と云い、詩経(毛詩) 楚辞 楽府 六朝時代の古い形式の詩 又は六朝以後の作品でも、古体の形式を擬した詩編などを云う。
 古体詩に於いては一句の文字数で分類すれば、三言詩、四言詩、五言詩、六言詩、七言詩、雑言(三言から八言ぐらいまで混ざっている)と有り、句の数では四句以上、大抵は偶数句で相当長い作品があり、長い作品(十句以上)を殊に長句と呼んでいるが、七言古詩で白楽天が詠む「長恨歌」は百二十句で、楚辞における「離騒」や「天問」などは三百七十五句の長きに及んでいる。


その二 近体詩

 新体又は近体詩(唐の時代に於いて近代)を云い、絶句 律詩 排律、ともに五言七言に限り、句数の面からみると絶句は五言七言とも四句、律詩は八句、排律は六句(八句は律詩に当たるから当然除いて)から十句以上、十二句十四句と偶数句で増して行く。
 唐詩選では、杜甫の「落日洛城謁玄元皇帝廟」「陽韻」が五言排律で二十八句と云うのがいちばん長い。
 
・ 七言排律の作品は極めて少ない。
・ 詩の傍系であるが、唐末宋に於いて発達した「詞」がある。
  今世紀中国人は、往々にして「詞」の方をふつうの「詩」よりも好ん  で作ると言われ、八百二十六調、二千三百六体の詩譜は、世界の定型詞の 中で将しく類を絶している。
これを「詩余」という別称の下に、詩の余流と見做すには対象は余りに も巨大である。
・ ここに云う漢詩とは中国古典文学の一つであって、二十世紀初頭の文学 革命で、古典文学の打倒と写実文学の建設が叫ばれてから、口語文は文語 文に取って代わり、「詩」も次第に口語体の新詩が盛んになり、この詩は 散体無韻である。
・ ごく近年の事であろうか、日本の定型詩である俳句に興味を持っての事 か、中国に於いてもこの定型詩を真似て、「漢俳」という作品が作られる 様になり、俳句の五七五を真似て、漢字で五字句、七字句、五字句の組み 合わせとなっている。
・ 太古の黄河流域に発達した生活に即した歌、これが後に孔子の手に依っ て選別編集された「詩経」三百余編の詩であって、中国における最古の詩 集となっている。 

詩経の伝授には諸系統があり、漢初に毛亨(大毛公)が伝えた物を「毛詩」といい、現在の詩経はこの毛詩で、詩編は自然と生活、生活の知恵を含み持ちつつ、多くの詠み人知らずの歌である。
又これに対し中国の南の地方には、北の地方の詩とは異質な形式を為す「楚辞」という歌が発達し、諺に「四面楚歌」と云うのは南国人の歌声に包囲されたと言う事である。(派生した意味は別にある)
 然し文学として後世の詩壇に影響を及ぼすのは、楚歌そのものではなく、形式はやや同じくするけれども、神懸かり的な内容を持つところの、「楚辞」という抒情詩で祭儀における叙事読誦の辞章」、いわば祝辞の如き文章から発達した抒情詩と言える。
そして神秘に向かって辞を述べると言った、哲学的な思索を持つ学者詩人の歎詠である。
以上北方の詩歌「毛詩」と、南方の陳辞「楚辞」とが、即ち中国古典韻文の二大源流である。


二の一 三言詩

 漢字で状態や行動を表現するには、最小限二個の文字が必要で、二文字と二文字の組み合わせなら四文字、二文字と一文字なら三文字、三文字の詩は最も短い句の作品である。
 当時は文字に対して平仄の考え方が認識されて居なかった様なので、平仄は問はないが、句の末字には押韻されている。

詩経 (毛詩)國風 召南 
江有氾 (詩の題名)大川 小川
江有氾   紙韻  同 通韻 江に氾あり
之子歸   微韻  同 通韻 この子は嫁ぐに
不我以   紙韻  同 通韻 我と共にせず
不我以   紙韻  同 通韻 我と共にせず
其後世悔 隊賄韻 同 通韻 其の後悔いやる

江有渚   語韻・・・・・・ 江に渚あり  
之子歸   微韻     韻 この子は嫁ぐに   
不我與 蒸徑韻・・韻 同 我と共にせず     
不我與 蒸徑韻・・同 ・ 我と共にせず   
其後世處 語御韻・・・・・ 其の後悩む  

江有沱   歌韻・・・・・・ 江に沱あり
之子歸   微韻 韻 この子は嫁ぐに
不我過   個歌韻・・・・同 我に過ぎらず
不我過 個歌韻・・・・・ 我に過ぎらず
其嘯也歌 個歌韻・・・・・ 其のうそぶくや歌う

 君主は一夫多妻で、当時の掟として正夫人は嫁入りの際、一族の女性何人かを副夫人として引き連れていくのが定めであった。
 ところが此の掟を無視して、引き連れて行くべき女性を連れずに嫁入りした正夫人があったが、後に後悔して置き去りにした女性を掟どうりに副夫人として迎え取った。 これは迎えられた副夫人が、正夫人の改心を誉めた歌という。(録岩波中国詩人選集)

・ 現在では、平仄や韻に対する考え方が厳然としているので、同韻や通韻 と云うが、当時は未だ漠然とした状態だったので、現在通韻と定義された 分類も、当時は同韻として扱われて居たと考えられる。
・ 詩ではないが、四字句と六字句の組み合わせで、駢文又は四六文がある。
・ 韻は句末とは限らない、特別な例として毛詩には句の初めに踏む頭韻や 句の途中に踏む腰韻がある。
・ ここに例示した詩句は、文字と解釈との繋がりが乏しい様に見えるが、 これは述べようとする事柄を他の物事に置き換えて表現する「興」と言う 手法だからである。
・ 三言詩は最短の詩と云うだけあって、毛詩の中にも作例はとても少ない、 文字数の少ない作品は概して古い時代の作品の様で、散逸して現在に其の 姿を留めないと言う事情も、理由の一つであろう。
・ 毛詩は、文字の普及しない時代にあって、民衆に歌われていた歌である
やす  やす
 から、覚え易く歌い易くの為に、句の反復や対句が多い。
・ 詩家によく云われる事だが、「毛詩を勉強して」とは、毛詩は詩の基本 的な姿をしているからで、詩の基本である風雅頌賦比興がその侭の姿で学 べるからだ。


二の二 四言詩

 毛詩の始んどの作品は四言詩で、漢や魏の時代の作品にも四言詩は多い、二文字と二文字の組み合わせでは、どうしても単調なリズムとなり易い。
短歌行 楽府題 録一  魏曹操

對酒當歌 歌韻 人生幾何 歌韻
 さあさあ歌おうや、人生はどれ程ぞ

譬如朝露    去日苦多 歌韻
 例えば朝露のように、儚ない物じゃないか(人生の儚なさを詠っている)

慨當以憂 陽韻  憂思難忘 陽韻
 思う存分興奮しようや、心のうさを晴らす事など出来ないのだから

何以解憂   惟有杜康 陽韻
 俺の心の虫をどうしたら退治できるやら、それは酒にかぎるな

青々子衿 侵韻 悠々我心 侵韻
 青い青い君の衿、俺はお前さんにぞっこんだ

但為君故    沈吟至今 侵韻
 ただお前さんのお陰で、一人ぶつぶつ云って居るんだぞ

・・鹿鳴 庚韻 食野之苹 庚韻
 鹿はピーピー鳴いて、嬉しそうに草を喰って居るぞ

我有嘉賓    鼓瑟吹笙 庚韻
 俺には良い友達が居るんだ、さあさあドンチャンやろうや

明明如月 月韻 何時可綴 月韻
 輝く月を取ろうとしても、どうせ取れやしないんだから

憂從中來    不可斷絶 屑韻
 俺の悲しみはムクムク吹き出してくるが、断ち切る事など出来やしない

越陌度阡 先韻  枉用相存 元韻
 酔ってやる瀬ない時こそ、懐かしいのは君だよ、遠くからわざわざ来て呉                          れたとは嬉しいね
契闊談讌    心念舊恩 元韻
 苦労話を肴に飲もうや、古い友情は忘れはせんぞ

月明星稀 微韻 烏鵲南飛 微韻 ・ 典古参照
 月明らかに星稀な今宵、烏と鵲は南へ飛んで行く

繞樹三匝    何枝可依 微韻
とど
 樹の回りをグルグル回っているぞ、留まる枝が無いと見える
 サアサア頼りが欲しかったら俺の所へ来なよ

山不厭高 豪韻 海不厭深 侵韻
 どんな人物だって受け入れてやるぞ

周公吐哺    天下歸心 侵韻
 昔周公は喰いかけの飯を止してまで、人に会ったそうな、だから天下が皆心を寄せたそうだ、俺だって負けやせぬぞ

 短歌行とは、人の寿命の長短は予め定まっていて、みだりに求められない事を詠うから其の名があるとも云うが、亦詠われる時の音声の長短によりこう呼ばれたとも云う。
 酒を飲む時の感慨から詠い起こして、友情を求め天下を経営する抱負を述べている。

  ○○行ー○○の歌と訳したらどうか
  月明星稀ー後日蘇軾の赤壁の賦に引用されている
  杜康ー古の酒作り杜康さんの酒
  契濶ー苦労に身をすり減らす事
  青々ー詩経国風に用いられる言葉、知識人の事
  三匝ー何度も回る
  吐哺ー史記 魯周公世家に依る
  山不厭高ー管子形勢篇参照
  譬如朝露ー漢書 蘇武伝
・ 文字の説明にも有るように、此の詩の中には他の文章からの引用が多く、 これを典古と云うが、漢詩はこの様な引用句が多いので、多くの書物を読 んで充電しないと、字句通りに読んで思わぬ失敗をするから要注意。
・ 此の詩の句末の文字を見ると、歌何多ー歌韻  康忘慷ー陽韻
衿心今ー侵韻  鳴賓苹ー庚韻  月綴絶ー月屑韻 阡存恩ー元韻 稀 飛依ー微韻  深心ー侵韻

 詩句の内容と韻字の関係を見ると、四句で一つの内容を表現し、四句毎に韻文字を換えている。
 即ち第一句目と第二句目は歌の出だしだから、調子を整えるために押韻し、第三句目を除いて第四句目に押韻するという具合で、更に韻を換える度に同様に一二四六八、、、と続いて偶数句に押韻する。
 此の詩は「月韻」を除いて、全て平韻で押韻しているが、後の時代になると平韻と仄韻を交互に用い、更にリズムを持たせる様に工夫されている。


二の三 五言詩

五言の一 五言古詩一韻到底格

 先ず古詩の定義をすれば、古詩とは近体詩に対する古体詩という名称であって、古い時代の詩と云う意味ではなく、古い時代に作られた詩は、「古辞」と云い、歴史編を参照して欲しい。
まと
 詩句は二句一纒まりの内容で構成され、出だしの句を「出句」と云い、続きの句を「落句」と云い、五言古詩一韻到底格の場合、出句に押韻する必要はなく、落句全てに押韻する。
 名称の示す通り何箇所押韻箇所が有ろうとも、全て同一の韻で押韻しなけ
な な
れば成らず、古詩の場合通韻が許される事に成っているので、言い換えれば現在より少ない韻分類で良いという事である。
 句の構成は二文字と三文字の組み合わせを基本としており、これは三言詩の短小さと四言詩の単調さを相補う構成である。

・ 落句韻文字を除いては、文字の平仄は一切問はないが、平平平平平と並 べたり、仄仄仄仄仄とした作品は、漢詩としては余り見受けられないが、 「詞」に有っては屡屡見受けられる。(詩詞譜篇参照)

凶宅  白居易

長安多大宅 列住街西東    東韻
 長安には大きな屋敷が多く、並んで町の東西にある

往々朱門内 房廊相對空 東韻
 往々立派な門の中、建物に人気がない

梟鳴松桂枝 狐臧蘭菊叢     東韻
 梟は居るし、狐はいるし

蒼苔紅葉地 日暮多旋風  東韻
 苔むした紅葉のところ、夕暮れにはつむじ風まで起こる有り様だ

前主為将相 得罪竄巴庸 冬韻
 前の主も大臣だったが、悪い事をして遁走して仕舞った

後主為公卿 寝疾没其中   東韻
 其の次の主は公家さんだが、病気がちで其のうち死んで仕舞ったそうだ

連延四五主 殃禍繼相鍾 冬韻
 続けざまに四五人の主が災難続き

自從十年來 不利主人翁    東韻
 十年このかた、年寄りの主人を見た事がない

風雨壊簷隙 蛇鼠穿墻庸     冬韻
 風や雨は廂の隙間を壊し、蛇や鼠は垣根に潜り込む

人疑不敢買 日殷土木功 冬韻
 人は何かの因縁を訝って買い手も付かない、日に日に壊れ放題

嗟嗟俗人心 甚矣其愚蒙 東韻
 嘆かわしいかな俗人の心とは、甚だしいかな其の愚かさに

但恐災将至 不思禍所從    冬韻
 ただ災いに成った事を恐れ、どうして成ったかを考え様としない

我今題此詩 欲悟迷者胸 冬韻
 私は今此の詩を作り、只恐れてばかり居る人に、どうしてか教えてやろう

為大官人 年禄多高嵩       東韻
 大概、位の高い人は、俸給も多いし崇められてもいる

権重持難久 位高勢易窮    東韻
 権限も重ければ持ち堪えるのも大変、位が高ければ其の分勢いも沈み易い

驕者物之盈 老者數之終     東韻
 裕福さと、若さと 老いる者は人生の終わり

四者如冠盗 日夜來相功 冬韻
 権限と地位と裕福さと若さと、この四者はちょつと隙を見せるとすぐに離れて行って仕舞う

假使居吉土 執能保其躬      東韻
 例え良い場所に居ても、其の身を安定して保つ事は容易な事ではない

因小以明大 借家可諭邦         江韻
 小さい事柄から問題を提起して、大きな事柄を明らかにして見よう、例えば家を例にして國政を明らかにするとか

周秦宅淆函 其宅非不同         東韻
 周も秦も淆函に都して、其の場所は同じだつたのに

一興八百年 一死望夷宮     東韻
 片方は八百年も続いたのに、片方は望夷宮に滅んで仕舞った

寄語家與國 人凶非宅凶      冬韻
 家と國との関係を語って見れば、人の吉凶は場所に有るのではなくて、人に依るのだと。

・ 一韻到底格と云っても、全く同一韻ではなく通韻に依って許される範囲 内にあって韻を換えているが、然し此の詩にあっては多少の違和感は残る。
  歌である以上、内容とリズムは密接な関係を持っている事は当然な事で、 例えば白居易の凶宅を見ると、内容の変わり目には韻文字も変わっている 事に気付くであろう。 
・ 偶数句に押韻していて、韻文字は東冬の通韻であるが、江の文字もあり、 この江の文字は陽の文字と通韻で、余り良い例ではないが、東冬江が通韻 になっている分類もある。

青々河畔草  文撰 古詩十九首

青々河畔草 鬱鬱園中柳
 青き青き川の辺の草 鬱鬱たる園中の柳

盈盈樓上女 皎皎當窓・     有韻
 美しき高殿の女 明かるく明るく窓に向かう

娥娥紅粉粧 纖纖出素手     有韻
 艶やかに紅白粉で装い たおやかな白い手を出す

昔為倡家女 今為蕩子婦        有韻
 昔は遊び女が家の女 今は行商に人の妻となる

蕩子行不歸 空牀難獨守    有韻
 行商に行って帰ってこない 独り寝のベットで辛抱して待って居るのは本当に辛いわね

彼女は何処から見ても幸福そのものの様な、令嬢か若夫人としか思えないが、然し実際は思いも依らぬ哀れな身の上なのだ。
 彼女の前身は、色町の女として散々苦労を重ね、やっと苦海から身を脱し
つ うかれお
て、縁付いたと思えば夫は蕩子、家を後に旅稼ぎに歩く男であったとは。


五言の二 五言古詩換韻格

 一韻到底格は、一首一韻で統一しているが、換韻格は一首の中で韻を換える形式で、詩句はただ綿々と事柄を述べるだけでなく、何句かで一纒まりの事柄を述べ、これの組み合わせで一首が出来上がる。
 何句かの纏まりを「解」と云い、解毎に韻を換え、これを換韻すると云い、平仄交互に用いるのでより一層の喚起を促し、長編に付きもののダラケを少なくする事に役立っている。
 然しこの事は中国語の発音にあって云える事で、日本人にあっては其の意義を有さないが、この事をして平仄不用論の根拠にはならない。
 この詩形は文字の平仄は問はないが、ただ落句の末字に韻文字を用いるだけで、他は前記一韻到底格に順ず。
 一韻到底格と換韻格とを比べてみると、換韻格の方がリズムに富み、また韻を換えられ作り易そうだが、却って作例は少ない。

徑下・・橋懐張子房 李白
 下・の・橋を経て張子房を懐う

子房未虎嘯 破産不為家      麻韻
 子房さんが未だ威勢の良くなかった頃 家の事は余り省みなかった

蒼海得壮士 椎秦博浪沙 麻韻
 蒼海君から屈強な若者をかり 博浪沙で秦に鉄椎を食らわせた

報韓雖不成 天地皆震動 董韻
 韓の為の復讐は不成功だったが 天も地も皆びっくり仰天

潛匿遊下・ 豈日非智勇 董韻
 彼は地下に潜り悠々としていた これを知勇と言わずに何と云おうか

我來・橋上 懐古欽英風       東韻
 私は彼の縁の橋の上にきて 昔を懐い英雄を慕わしく想う

唯見碧流水 曾無黄石公 東韻
 ただ目の前には青い水が流れるだけで 彼の黄石公も姿を表す筈もない

嘆息此人去 簫條除泗空   東韻
 彼の張良が去ってから 除泗一帯が寂しくなったのを想うと嘆息が出る

・ この詩は麻董東の韻が用いられ、麻は平声、董は上声、東は平声で、平 仄平と交互に配置されている。


五言の三 五言絶句

 絶句とは唐の時代になって、リズムに対する認識が高まり、一定の旋律を持った形式が定まった。
 この旋律(漢詩のリズム)を一般には平仄式と云い、四句で構成される作品を「絶句」、八句で構成される作品を「律詩」と云う。
 五言絶句の場合平仄の組み合わせは、韻文字が平の場合に仄の文字から始まる仄起式、平の文字から始まる平起式、韻文字が仄の場合に仄の文字から始まる仄起式、平の文字から始まる平起式、更に起句に押韻する起句押韻式、又更にこれ迄の組み合わせの各々を、前二句と後二句に分離し、これを互い違いに組み合わせる(拗体と云う、拗とは捻れると云う意味で、不粘格とも云う)形式がある。
 然し実際に作例が多いのは、平韻の平起式亦は仄起式と、平韻の平起起句押韻と仄起起句押韻の計四種類だけと理解した方が良かろう。

△ 基本は平だが仄でも可   ・ 孤平孤仄に注意
▲ 基本は仄だが平でも可   ・ 孤平孤仄に注意
○ 平文字   一  聲
● 仄文字  二三四聲
◎ 平韻 韻文字に平の文字を使用する   一  聲
・ 仄韻 韻文字に(上去入)仄の文字を使用する  二三四聲

五言絶句正格(仄起式)
▲ ● △ ○ ● 起句    △ ○ ▲ ● ◎ 承句
△ ○ ○ ● ● 転句    ▲ ● ● ○ ◎ 結句

五言絶句偏格(平起式)
△ ○ ○ ● ● 起句   ▲ ● ● ○ ◎ 承句
▲ ● △ ○ ● 転句    △ ○ ▲ ● ◎ 結句

五言絶句変格仄起式(起句押韻)
▲ ● ● ○ ◎ 起句    △ ○ ▲ ● ◎ 承句
△ ○ ○ ● ● 転句    ▲ ● ● ○ ◎ 結句

五言絶句変格平起式(起句押韻)
△ ○ ▲ ● ◎ 起句   ▲ ● ● ○ ◎ 承句
▲ ● △ ○ ● 転句    △ ○ ▲ ● ◎ 結句

・ 仄韻の平仄律は詩形としては存在するが、作品はとても少ない。
・ 平仄の配置を比べてみると、五言絶句偏格(平起平韻押韻)と五言絶句 側体仄起式(仄韻押韻)は平仄は位置が丁度逆だ。

五言絶句側体仄起式(仄韻押韻)
▲ ● ● ○ ○ 起句    △ ○ ○ ● ・ 承句
△ ○ ▲ ● ○ 転句    ▲ ● △ ○ ・ 結句

五言絶句側体平起式(仄韻押韻)
△ ○ ▲ ● ○ 起句   ▲ ● △ ○ ・ 承句
▲ ● ● ○ ○ 転句    △ ○ ○ ● ・ 結句

五言絶句側体仄起式(仄韻起句押韻)
▲ ● △ ○ ・ 起句    △ ○ ○ ● ・ 承句
△ ○ ▲ ● ○ 転句    ▲ ● △ ○ ・ 結句

五言絶句側体平起式(仄韻起句押韻)
△ ○ ○ ● ・ 起句   ▲ ● △ ○ ・ 承句
▲ ● ● ○ ○ 転句    △ ○ ○ ● ・ 結句

・ ここに八種類の平仄形式を提示したが、この外にこれ迄の組み合わせを 更に前二句と後二句に分離し、これを互いに組み合わせる「拗体不粘格」 と云う形式があるが、仄韻の詩と並んで作例は極めて少ない。

 実際の詩に於いて、原則的平仄式に合致する作品の外、一首のどこかに規約を破った箇所が見られ、其の破った箇所を「拗句」と呼び、一句でも拗句が入って居れば、其の詩全体の名称を拗体と呼ぶ。
 五言絶句の構成は、出句落句十文字で一纒まりの句意を構成し、この十文字の発音のリズム、即ち平仄の組み合わせにも一定のルールが有って、このルールを守った組み合わせが、平仄式で有るとも云える。
 五言絶句と七言絶句とは、平仄の組み合わせが共通で、五言に上二字を追加した物が七言で有ると云える。
 七言絶句の場合は、起句に押韻する事が基本で、押韻しない形式を殊に「踏み落とし」と云い、この場合は起句と承句を対句にする事を条件とする。

・ 近体詩に「同字重出を禁止する」原則は、同字に限らず同義語の重出を も避ける事で、同じ文字を重ねて使用する事は、短い詩句の中に同じ発音 を重ねる結果となり、リズムに影響を及ぼす事と成ります。
・ 同義語を重ねて用いないと言う事は、中国語辞典を見て貰えば解る事だ が、日本語で同義、異音、異字の文字も、中国語では同義同音異字が多い のです。
  ただ畳字や強調 特別な意味を内包する場合は、此の限りではないのだ が、余り中国語を理解していない日本人向けには、却って煩わしく成るの で簡単に、同じ意味の言葉を重ねて使用しないとした訳です。
はなし
・ 同義同音異字の関係は、文字の成立過程から問えば解る事で、先ず噺言 葉があり、そこえ文字を当てはめた訳ですから、必然的に同義同音となり ます。
異字体は成立過程の違いとか、ニュアンスの違いを分別する為の物です。

 原則はそうで有っても、同じ文字を重ねて使用した例は多く有り、例えば「征馬不前人不語」「一絃一桂憶華年」「山是青々花是紅」「春風春雨」「江南江北」「堂前堂後」など始んどが句中対を構成し、前記のリズムを壊さないと言う事を条件に用いられて居ます。
 リズムを壊さないと言う条件が満たされるなら、次例の如く、前句の末の文字又は熟語を次の句の冒頭に重出させて使用する事も従来より良く行われて居ます。
 日本人には、発音の事は充分には理解出来ないのですから、同字重出に付いて、「可」と云う事も有るという事は、原則に対する特例と云う程度に理解した方が良いでしょう。 (録山陽風雅)

  起句            承句
例一 汽笛聲長十里烟 烟残人逝暗淒然

   転句              結句
例二 花招天井嬋娟月 月照園中婀娜誇

例三 東風習習水之涯 千樹皚皚爛漫花
  花片入杯添酒味 酣歌乗興酔春華

例四 仰臥人如唖 黙然見大空
  大空雲不動 終日杳相同

 起句 承句
例五 流光幾世守黍庶 黍庶招魂排巨身

 例一は起句の「烟」と承句の烟、例二は転句の「月」と結句の月、例三は、承句の「花」と転句の花、例四は承句の「大空」と結句の大空、例五は起句の「黍庶」と承句の黍庶、と同字が重出される例を提示したが、これを見れ
(みさだめなく)
ば無定見に用いて居ない事が自ずと理解出来よう。

・ 「下三連を避ける」とは、七言若しくは五言の下三字が、平平平、仄仄 仄、の様に、同じリズムが三っ重なっては成らないと云う事で、詞では屡 屡有るが、詩では禁じられている。
・ 「孤平孤仄を忌む」とは、平仄平とか、仄平仄の様に平若しくは仄の文 字が、一文字だけ挟まれる事を云い、どの場所で有っても嫌う人も居るが、 七言の第四文字目と五言の第二文字目が孤平若しくは孤仄に成らなければ 宜しいと云うのが一般的な見解だ。
・ 本来の孤平の考え方としては、前記の挟み平の事ではなく一句の中に韻 を除いた平文字が一つ(孤)しか無いという意味である。
・ 孤仄は余りやかましくは云われて居ない様だ。
・ 「挟み平」とは、日本で謂う孤平もこれに含まれるが、此処では転句の 下三文字が「平仄仄」の場合は挟み平と云って、「仄平仄」と換えても良 いとされている、此の場合厳密に謂えば、結句に於いて仄文字を返す様に しなければならない、これを「拗救」と言う。
・ 日本で謂う「挟み平の孤平は許される」とは、転句で「仄平平仄仄」と 今迄孤平でなかった物が、挟み平に変更した事に依って「仄平仄平仄」と なり、結果として二文字目が孤平に成る場合がある、この場合は必然的不 可避の特例として孤平は許されると謂われている。
・ 「冒韻を忌む」とは、一句の中に韻文字と同一の韻に属する文字を用い る事を忌むと云う事で、韻文字即ち調子を取る文字を折角句末に用いても、 句の途中に似か寄った発音の文字があると、韻文字の効力が阻害されるか ら当然の事だ。
・ 旁韻(借韻)とも呼ばれ、通韻となる韻文字を起句又は承句(主に起句) で用いる事を謂う(中国)。
・ 粘綴とは、例えば五言の承句と転句の、二文字目と四文字目の平仄が互 いに同じと云う事で、同じでない場合はこれを「失粘格」と云い、七言に 有っては、頭に二文字を加え、二四六文字目と云う事となる。
・ 以上述べた事柄は、律詩に於いてもほぼ同様に成り立つ。
・ この八種の平仄形式の中、其の大部分は正格仄起と偏格平起の二種類で、 他の形式は作例が少ない。
・ 正格仄起と偏格平起式は、前二句と後二句が互いに入れ替わった平仄の 組み合わせで、起句押韻は起句だけが変化する。

 ここに幾つかの平仄式に該当する作品を提示しよう、有名な作品だから敢えて解説は付さない。

照鏡見白髪 張九齡   正格仄起式

仄 仄 平 平 仄   平 平 仄 仄 平韻
宿昔青雲志 蹉跌白髪年

平 平 平 仄 仄   平 仄 仄 平 平韻
誰知明鏡裏 形影自相憐

秋浦吟   李白 正格仄起

仄 仄 平 平 仄 平 平 仄 仄 平韻
白髪三千丈 縁愁似個長

平 平 平 仄 仄 平 仄 仄 平 平韻
不知明鏡裏 何處得秋霜

答李澣     韋應物 偏格平起

平 平 平 仄 仄 平 仄 仄 平 平韻
林中敢易罷 渓上對鴎閑

仄 仄 平 平 仄 平 平 仄 仄 平韻
楚俗饒詞客 何人最往還

平蕃曲     劉長 仄起起句押韻

仄 仄 仄 平 平韻 平 平 仄 仄 平韻
絶漠大軍還 平沙獨戎閑

平 平 仄 仄 仄 仄 仄 仄 平 平韻
空留一片石 萬古在燕山

勧酒        手武陵 平起起句押韻

仄 平 平 仄 平韻 仄 仄 仄 平 平韻
勧君金屈卮 満酌不須辞

平 仄 平 平 仄 平 平 仄 仄 平韻
花發多風雨 人生足別離


五言の四 五言律詩

 五言律詩は一句五文字八句より成る詩形で、リズム即ち平仄式は四種類有り、大方に於いて絶句の規約はほぼ該当するが、他の詩形と異なる特徴は、頷聯と頚聯に対句を用いる事と、更に仄韻の詩が無いという事である、尚頷聯と頚聯を対句とする事は必須の条件である。

・ 五言律詩と七言律詩の違いは、頭の二文字の違いと、七言律詩は首聯の 出句に押韻し、五言は押韻しないのが「正格」である。

五言律詩正格仄起式
▲ ● △ ○ ●      △ ○ ▲ ● ◎ 首聯
△ ○ ○ ● ●・・対句・・▲ ● ● ○ ◎ 頷聯
▲ ● △ ○ ●・・対句・・△ ○ ▲ ● ◎ 頚聯
△ ○ ○ ● ●      ▲ ● ● ○ ◎ 結聯

五言律詩偏格平起式
△ ○ ○ ● ●      ▲ ● ● ○ ◎ 首聯
▲ ● △ ○ ●・・対句・・△ ○ ▲ ● ◎ 頷聯
△ ○ ○ ● ●・・対句・・▲ ● ● ○ ◎ 頚聯
▲ ● △ ○ ●      △ ○ ▲ ● ◎ 結聯

五言律詩偏格仄起第一句押韻
▲ ● ● ○ ◎・押韻   △ ○ ▲ ● ◎ 首聯
△ ○ ○ ● ●・・対句・・▲ ● ● ○ ◎ 頷聯
▲ ● △ ○ ●・・対句・・△ ○ ▲ ● ◎ 頚聯
△ ○ ○ ● ●      ▲ ● ● ○ ◎ 結聯

五言律詩偏格平起第一句押韻
△ ○ ▲ ● ◎・押韻   ▲ ● ● ○ ◎ 首聯
▲ ● △ ○ ●・・対句・・△ ○ ▲ ● ◎ 頷聯
△ ○ ○ ● ●・・対句・・▲ ● ● ○ ◎ 頚聯
▲ ● △ ○ ●      △ ○ ▲ ● ◎ 結聯

 ここに実際の作品を提示し平仄を傍記した、亦有名な作品だから、敢えて詩文の解説を省いたので、各自で解釈を試みよう。

望春亭侍遊應詔 杜審言

仄 仄 平 平 仄 平 平 仄 仄 平韻
帝出明光殿 天臨太液池

平 平 平 仄 仄 仄 仄 仄 平 平韻
尭樽随歩輩 舜楽繞行麾

仄 仄 平 平 仄 平 平 仄 仄 平韻
萬壽禎詳献 三春景物滋

平 平 平 仄 仄 平 仄 仄 平 平韻
小臣同酌海 歌訟答無為

春望 杜甫

仄 仄 平 平 仄    平 平 仄 仄 平韻
國破山河在 城春草木深

仄 平 平 仄 仄 仄 仄 仄 平 平韻
感時花濺涙 恨別鳥驚心

平 仄 平 平 仄 平 平 仄 仄 平韻
烽火連三月 家書抵萬金

仄 平 平 仄 仄 平 仄 仄 平 平韻
白頭掻更短 渾欲不勝簪

送友人 李白

平 平 平 仄 仄 仄 仄 仄 平 平韻
青山横北郭 白水遶東城

      ・拗孤
仄 仄 仄 平 仄 平 平 仄 仄 平韻
此地一為別 孤蓬萬里征

平 平 平 仄 仄 平 平 仄 平 平韻
浮雲遊子意 落日故人情

      ・拗孤
平 仄 仄 平 仄 平 平 仄 仄 平韻
渾手自茲去 簫簫班馬鳴

・ 第三句と第七句とは、同じ様な旋律をなす箇所で、ここを初めに捻り、 次に終わりを捻り返しているが、これは拗救と言う手法である。
  詩は歌である以上、洋の東西を問はず旋律には細かな心使いが為され、 漢詩のリズムは日本人には理解出来ないだろうが、かといって最低限平仄 には注意を払わねばならない。(後節拗救参照)
・ ・印、何故ここが孤平か、何故ここが拗体か?


五言の五 五言排律

 排律とは新体詩の中、絶句と律詩に属さない六句と十句以上の偶数句の詩を云い、前二句と後二句は散句で、間に挟まれた句は全て対句でなければ成らない。
 即ち六句ならば間の二句が対句、十二句ならば間の八句が対句で、絶句や律詩で二句だけ偏った所から始まる句を偏格と呼ぶが、排律には偏格の呼び名はない。

五言排律平仄式 十二句の例
● ● ○ ○ ●      ○ ○ ● ● ◎
○ ○ ○ ● ●・・対句・・● ● ● ○ ◎
● ● ○ ○ ●・・対句・・○ ○ ● ● ◎
○ ○ ○ ● ●・・対句・・● ● ● ○ ◎
● ● ○ ○ ●・・対句・・○ ○ ● ● ◎
○ ○ ○ ● ●      ● ● ● ○ ◎

・ 以下同様な旋律で増加し、詩のリズムは四句一纒まりで連続しており、 二句づつの単位、即ち出句と落句で増えて行く。
 テキストの平仄ばかり見ていても身に付くまい、ここに五言排律二首を例示した、○印を添えて有るので各自で平仄を検して、平文字なら白○、仄文字なら黒●に染めて前記平仄配置図に照合してみよう。

春歸       杜甫 下平九麻韻
 一年数カ月ぶりに、再び懐かしい浣花草堂に立ち寄る事とした

○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ 
苔経臨江竹 茅簷覆地花
 苔むした道沿いには、川に臨んで生い茂っている竹、茅葺きの軒の前には、地面を這うように咲き乱れる花 花 花

○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○
別來頻甲子 歸到忽春華
 此の草堂に別れてから頻りに歳月が改まり、帰って見れば辺りは春景色

○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○
倚杖看孤石 傾壺就浅沙
 杖に寄り掛かりながら、庭にある唯一の石をじっと眺め、酒を傾け一杯やりながら、川辺の浅い砂地に腰をおろす

・述語客語  述語客語 述語客語  述語客語
 倚杖そして看孤石 傾壺そして就浅沙

○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○
遠鴎浮水静 輕燕受風斜
 遠くに見える鴎は、水上に浮かんで静かに漂い、身軽な燕は風を受けつつすいすいと斜めに飛んでいる

○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○
世路難多梗 吾生亦有涯
 世渡りの道はとかく行き詰まる事が多いが、人生は有限で有り、どうせ死すべき存在である

○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○
此身醒復醉 乗興即為家
 然れば此の身は酔いから醒めて、亦酔う事の繰り返し、気が向けばそこをそのまま我が住まいとする迄のことさ

送秘書朝監還日本國  李白
 唐に留学していた阿部仲麻呂の帰国を歌った詩で、此の詩には前置きが、序として長々と就いて居るがここでは省略する

○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○
積水不可極 安知滄海東
 海は果てしもない広々とした広がり、その青海原の事など知るべくもない

○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○
九州何處遠 萬里若乗雲
 中国の外にあると言う九つの世界、何処がいちばん遠いかと言えば、それは外ならぬ君の故国、そこまで万里の客船は虚空を泳いで行くような思い

○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○
向國惟看日 歸帆但信風
 お国に向かわれるには、日本即ち日出ずる國へ帰られる事故、太陽の出る方角ばかりを見つめ、帰り行く舟の帆は風の吹くに任せるだけ

○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○
鰲身映天黒 魚眼射波紅
 其の途中に大きな海が目の胴体が、空を背中に黒黒と其の姿を映すであろう、亦大魚の目玉が、波を射て紅色に輝く事であろう

○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○
郷樹扶桑外 主人孤島中
 この様な旅路の果てに帰り就かれる君の故郷の樹樹は、扶桑の遥かな彼方に生え、主人なる君は孤島の中に住む事になろう

○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○
別離方異域 音信若為通
 今ここで君とお別れして、全く別の世界の人となれば、どの様にして便りを通じましょうか

・ 九州は九つに分割された中国全土の意味に用いるが、ここは「史記」の 孟子荀卿列伝に「中国の外、赤県神州の如きもの九つ、即ち所謂る九州な り」とある
・ 扶桑は、「准南子」にある想像上の神木
・ 阿部仲麻呂の舟が難破して、溺死したとの噂を聞いた李白は、親しい友 を失った悲しみを歌い、哀傷詩「哭晁卿衡」を作った。
 日本晁卿辞帝都 往帆一片遶蓬壺 明月不歸沈碧海 白雲愁色満蒼梧  ・「晁」の文字は、朝臣仲麻呂の朝と晁の発音が同じ関係だ。


二の四 六言詩

      六言絶句

 ここまで述べた詩形には古体と新体があったが、六言詩では平仄の配置の決まった、即ち旋律の決まった詩だけがあり、自由旋律の作品は見あたらない。
 では平仄式即ち旋律はどうかと云うと、七言絶句の五文字目を除いた形と同様で、更に起句の出句を踏み落とし(韻を踏まない)にし、一句と二句、三句と四句、とも対句(即ち全対格)とする。
 ここに平仄式の二例を示すが、他はこれに倣って七言絶句の平仄式により類推すれば良い。

・ 六言では二文字+二文字+二文字で、単調なリズムであるから、此の単 調さを破る為に対句を用いると理解すべきか。

六言絶句平仄式 (平起)
△ ○ ▲ ● ○ ●・・対句・・▲ ● △ ○ ● ◎
▲ ● △ ○ ● ●・・対句・・△ ○ ▲ ● ○ ◎

六言絶句平仄式 (仄起)
▲ ● △ ○ ● ●・・対句・・△ ○ ▲ ● ○ ◎
△ ○ ▲ ● ○ ●・・対句・・▲ ● △ ○ ● ◎

六言 橋本竹下
繊繊微雨春草 対句 恰恰啼鴬暮烟
寒食清明一夢  東風易老年年
  
・ 本来なら転句と結句も対句にしなければ成らない、日本人には字面だけ の理解しかないから、リズムの感覚は難しい。

田園楽(録二)  王維

桃紅復含宿雨 対句 柳緑更帯春煙
 紅い桃の花に宵越しの雨が残り、柳の緑は靄に霞んで一段と情緒深い

落花家僮未掃 対句 鴬啼山客猶眠
 花は散り召使いは未だ掃かず、鴬が囀るのに山村の人は未だ眼覚めず



山下孤烟遠村 対句 天邊獨樹高原
 山麓の遠くの村には一筋の煙、空の彼方の高原には一本の樹

一瓢顔回陋巷 対句 五柳先生對門
 人生を楽しむには瓢箪一杯の水で満足した願さんの住む様な路地で結構、五柳先生(陶淵明)が向かいにおいでになる


二の五 七言詩

七言の一  七言古詩一韻到底格

 古詩とは、唐以前に新体が出来る前の詩のメロデイ形式で、古詩には平仄の定めは無いと言われて居るが、ただ七言古詩一韻到底格には、平仄即ちメロデイに関する定めがあり、「平韻の詩」か「仄韻の詩」かに依って其の規約は異なる。

其の一 平韻の詩
・第一句目は平韻
 平 仄 仄 仄 平 平韻
※ ○ ※ ※ ● ※ ●     ※ ※ ※ ● ○ ※ ◎

※ 平仄何れでも可
イ 出句の第二文字目は平
ロ 出句の第五文字目は仄
ハ 第一句の第七文字目は平文字で押韻する
ニ 出句の第七文字目は仄、但し第一句目は押韻するので、それに従うのが  よい 
ホ 落句の第四文字目は仄
ヘ 落句の第五文字目は平
ト 落句の第七文字目は平韻
やかま
チ 出句のニ平五仄は矢釜しくないが、落句の四仄五平は絶対
リ 律句を用いてはならない
ヌ 通韻を用いても良い。

其のニ 仄韻の詩

平 仄 仄韻
※ ○ ※ ※ ☆ ※ ※     ※ ● ※ ※ ☆ ※ ・
・ かんれつ ・
・・・・・関捩・・・・・・・・・・・・

イ 出句の第二文字目を平にして、落句の第二文字目を仄にする事、厳重 ロ 第五文字目は関捩と云って、出句が平なら落句は仄と云う様に、反対に する。
ハ 通韻を用いても良い。
ニ 第一句の第七文字目は押韻する。

・ 律句とは(出句)●●○○○●● (落句)○○●●●○○ とか
(出句)○○●●○○● (落句)●●○○●●○ のことである。
・ 文学作品の規約と云うものは、永年の淘汰に依って出来あがつたものだ から、先人の作品はあながち規約に合って居るとは限らないが、これは経 過の関係からして当然な事柄である。
  従ってこの事をして、現在に於いても規約を破っても良いという理由に はならない。

 数例を示すので、前記の規約に合致して居るかどうか照合してみよう。

山中問答       李白 ( 平韻の詩)

  平 平   平韻        四仄五平  平韻
問余何意棲山中 笑而不答心自閑

  平     仄   仄         仄 平   平韻
桃花流水杳然去 別有天地非人間

 此の詩は起句の棲が平でちょっとそぐわない、亦平三連ともなる。

貧交行   杜甫

仄       仄関捩 仄韻          平関捩 仄韻
翻手為作雲覆手雨 粉粉輕薄何須數

  平       平関捩 仄韻          仄関捩 仄韻
君不見管鮑貧時交 此道今人棄如土

・ 此の詩は「楽府体」で、第一句と第三句とは八字句で、時々に「翻手作 雲覆手雨」として、「為」が脱落している作品も見受けられる。
・ 此の詩は前記仄韻詩の平仄配置と少し異なる、それは出句の第二文字目 を「平」にし、落句の第二文字目を「仄」にすること厳重と言うが、起句 承句に於いて、平仄が入れ代わっている。
  これは前ニ句と後ニ句の旋律を換える為の技巧であつて、基本的な旋律 の構成主旨は変わっていない。

下山歌  宋之問

  平     平   平韻        平 仄   平韻
下嵩山兮多所思 携佳人兮歩遅遅

  平     仄             平 仄   平韻
松間明月長如此 君再遊兮復何時

 嵩山下るにつけて、我が胸には様々な想いが残る、良き友との手を携えての足どりも、ぼつりぼつり
 松の葉影を洩れるさやかな月の光は、何時迄も此の侭で有ろうが、君が今一度遊ぶのはこれから先、何時の事であろうか。

・ ニ平五仄は合致している、四仄五平は入れ代わっている
・ 一韻到底格の旋律と比較してみると、必ずしも規約に合致しているとは 限らない、規約に合致していないからと云って、不合理という物ではなく、 先ず先人の作品があって、その後に規約が出来たので有るから当然であり、 今日では大いに其のテクニックを学ぶ事は結構であるが、その事をして規 約を破って良いという理由にはならない。


七言の二 七言古詩換韻格

 換韻格は、一韻到底格から比べると、リズム即ち旋律に関する規約は少なく、より自由な詩形である。
 詩の調子を整える方法として、句中にリズムを設定する方法と、句の末文字の発音、即ち韻文字に依って調子を取る方法と、対句を用いる方法との三通りの方法が考えられる。
 一韻到底格は同一韻を用い、句中に一定の平仄配置を規定して、リズムを設定する方法で、換韻格は、「解」毎に韻を換える方法で、絶句は一韻到底格をより発展させ、律詩は更に対句を加えた方法と云える。
 換韻格の場合は、詩の内容の一纒まり、これを「解」と云うが、解毎に句末の文字、即ち韻文字を換え旋律を整える。
 そして此の韻文字も、平仄平仄と換える事に依って、長い詩編でもダラケさせないようにする。
 五言なら出句に押印しないのに、七言詩は何故押印するかと云えば、五言なら出句と落句で十文字なのに、七言では十四文字、十四文字目に調子を取る韻文字が來るのでは、少し間延びし過ぎるのでは、ナカダルミに成るのを防止する為に途中に韻文字を入れたのだろう。
 三句目からは調子が付くので、出句の押韻を必要としないが、内容の変わり目、即ち解毎に韻を換えるので、このとき歌い出しと同じ様な事となり、調子を整えるために出句末に押韻する。

イ 句中の平仄は問はない。
ロ 詩の第一句は出句にも押韻する。
ハ 解(詩の内容の一纒まり)毎に換韻する。
ニ 換韻した第一句の出句に押韻する。
ホ 換韻は仄平仄平と交互に行う。
ヘ 通韻を用いても良い。

・ 規律が緩らかいからと、初心者が飛びつくと、絶句の出来損ないと成る。

遊金山寺  蘇軾 (東坡)
 金山寺は元々揚子江の川の中にあった島だが、今は陸続き、寺は南朝時代に開かれた。

            平声元韻?           上声賄韻
我家江水初發源 宦遊直送江入海
 私の郷里は長江の源を発する所にある、そして官吏となった身は、その侭長江が海へ注ぐ辺まで着いて行った。

・ 規約にしたがえば、上声薺蠏賄韻にしなければならぬのだろうが、韻字 を合わせる為に却って句を殺しては何にもならない。
  依って出句に押韻していないが、中国では出句押韻は絶対ではないよう だ。
  詩の規約やぶりの理由の一つとして、此の文字が最も適切で、他に換え 得ないと言うが、我々凡人には此の理由は成り立たない。
仄韻
聞道潮頭一丈高 天寒尚有沙浪在
 噂に聞く、「海の潮の先は一丈の高さに達する」と、今は冬だが砂に残る水跡がくっきりしている。
平声歌韻            平韻
中冷南畔石盤陀 古来出没随涛波
 中冷泉の南にあるのは座禅石、昔から大波が立つとき見え隠れする。
平韻
試登絶頂望郷國 江南江北青山多
 山の頂に登って、郷里の方を見やれば、長江の南も北も青い山々が何と多いことよ。
入声質韻            質仄韻
羇愁畏晩尋歸楫 山僧苦留看落日
 旅人の私は時刻の移るのを懸念し、帰りの舟え急ごうとしたが、寺の和尚さんは是非夕焼けの景色を見て行けと勧めてくれた。
陌仄韻
微風萬項靴文紬 斷霞半空魚尾赤
 やがて微風が起こり、水面に縮緬のような皺がより、たなびく夕焼け雲は魚の尾の赤さ。
入声陌韻            職仄韻
是寺江月初生魄 三更月落天深魚
 丁度江上に出ていたのは、三日月だったたが、宵の中に沈んで真っ暗闇。
            平声庚韻            平韻
江心似有炬火明 飛焔照山棲烏驚
 川の中程に突然松明のように輝く光が出た、舞い上がる光は山を赤々と照らし、塒の烏も驚きさわいだ。
入声職韻            物仄韻
悵然歸臥心莫識 非鬼非人竟何物
 私は何んとも見分け得ず、空しい心で寝に着いた。あれは鬼の仕業でもないし、かと云って人工でも無し、果たして何物であったか。
平声刪韻            平韻
江山如此不歸山 江神見怪驚我頏
 私は美しい山河を眺めながら、故郷へ帰ろうともしていない。だから長江の神は不思議を見せて、私の頏な心を戒めるのであろう。
上声紙韻            紙韻仄
我謝江神豈得已 有田不歸如江水
 神様にお詫びしよう、好き好んでこんな風にやって居るのではない。川の水に誓いを立てよう、郷里には田畑もあるし帰らずにはいますまい。

観小兒戯打春牛  揚萬里

小兒著鞭鞭土牛 學翁打春先打頭
 子供が鞭を振り擧げて、土製の牛をひっぱたくにはお父ちゃんのやり方を真似て、先ず頭から叩いている。

黄牛黄蹄白雙角 牧童絲蓑笠青蒻
 赤牛は赤蹄で二本の角は白塗りだ、牛飼い様の出で立ちは糸で作った蓑を着て、青竹の笠を被って御座る。

今年土脈應雨膏 去年不似今年楽
 今年の畑の畦は雨で良く濡れていて、去年と今年は似ても似付かぬ、

兒聞年登喜不飢 牛聞年登愁不肥
 子供は豊作と聞いて、饑もじい思いをしなくて良いと喜び、牛は散々働かされるから到底太れないと思う。

麥穂即看雲作帚 稲米亦復珠盈斗
 麦の穂は近寄って見れば雲の様に太り、箒のように太く成っている、稲は今年も又真珠のような粒になって、升一杯になっている。

大田耕盡却耕山 黄牛從此何時閑
 平土地の田畑はもう耕し尽くして、更に山の棚田まで耕している、赤牛はこれでは何時になったら、此の忙しさから解放されて暇になる事か。


七言の三  七言絶句

 七言絶句は、形式的には五言絶句に更に二文字を加えて、二文字+二文字+三文字の詩形とは謂え、起句に押韻する事を除いては、五言絶句の規約はほぼその侭七言絶句にも適用される。

七言絶句正格平起式
△ ○ ▲ ● ● ○ ◎起句  ▲ ● △ ○ ▲ ● ◎承句
▲ ● △ ○ ○ ● ●転句  △ ○ ▲ ● ● ○ ◎結句
      ・挟平●○●

七言絶句偏格仄起式
▲ ● △ ○ ▲ ● ◎起句  △ ○ ▲ ● ● ○ ◎承句
△ ○ ▲ ● △ ○ ●承句  ▲ ● △ ○ ▲ ● ◎結句

七言絶句偏格平起式踏落 ・・対句・・
・ ・
△ ○ ▲ ● △ ○ ●起句  ▲ ● △ ○ ▲ ● ◎承句
▲ ● △ ○ ○ ● ●転句  △ ○ ▲ ● ● ○ ◎結句
・挟平●○●

七言絶句偏格仄起式踏落 ・・対句・・
・ ・
▲ ● △ ○ ○ ● ●起句  △ ○ ▲ ● ● ○ ◎承句
△ ○ ▲ ● △ ○ ●承句  ▲ ● △ ○ ▲ ● ◎結句

ここに一般に多く用いられている四形式を示した、此の他に仄韻の詩もあるが、作例は極めて少ない。

・ 拗救と一三五不論  録一衣帯水
  日本で云われる一三五不論と中国の其れとは少し違うようで、一三五不 論とは絶句 律詩の一字目 三字目 五字目 の平仄は自由で有るという事だ が、総て自由と云う訳ではない。
「平起式」
 ○ ○ ● ● ● ○ ◎  ● ● ○ ○ ● ● ◎
 ● ● ○ ○ ○ ● ●  ○ ○ ● ● ● ○ ◎

 「仄起式」
 ● ● ○ ○ ● ● ◎  ○ ○ ● ● ● ○ ◎
 ○ ○ ● ● ○ ○ ●  ● ● ○ ○ ● ● ◎

 これは七言絶句の平仄形式で有るが、一三五不論として表すと
 「平起式」
 ※ ○ ※ ● ● ○ ◎  ※ ● ※ ○ ※ ● ◎
 ※ ● ※ ○ ○ ● ●  ※ ○ ※ ● ● ○ ◎

 「仄起式」
 ※ ● ※ ○ ※ ● ◎  ※ ○ ※ ● ● ○ ◎
 ※ ○ ※ ● ※ ○ ●  ※ ● ※ ○ ※ ● ◎

  ※印は平仄を問はない、これも基本的には問題ないと云えるが、厳格な 格律詩に於いては、総て不論と云う訳ではない。
  平仄のリズムは相互に響きを伝えるもので有るから、例えば基本形
 ● ● ○ ○ ● ● ◎ は一三五不論を加えて書けば
 ※ ● ※ ○ ※ ● ◎ となる、これを若し
 ○ ● ● ○ ○ ● ◎ としたとすると、基本の平仄式と比べて平 文字四個に対して仄文字三となり、平仄の數が逆転する。
  一文字目と三文字目の平仄を入れ換えた場合、五文字目の平文字を仄文 字に戻す事である、若しこれが同一句内で出来ない場合、次の句の一三五 文字目で行うようにする(拗救と言う)と、更に平仄の合った厳格な詩と なる。

春夜洛城聞笛   李白 正格平起式

平 平 仄 仄 仄 平 平韻 仄 仄 平 平 仄 仄 平韻
誰家玉笛暗飛聲 散入春風満洛城

仄 仄 仄 平 平 仄 仄 平 平 仄 仄 仄 平 平韻
此夜曲中聞折柳 有人不起故園情

・ 前記平仄配置図と、何処が異なり何処が同じかを比較してみよう。

芙蓉樓送辛漸  王昌齢 偏格仄起式

平 仄 平 平 仄 仄 平韻 平 平 仄 仄 仄 平 平韻
寒雨連江夜入呉 平明送客楚山孤

平 平 平 仄 平 平 仄 仄 仄 平 平 仄 仄 平
洛陽親友如相問 一片氷心在玉壷

江南逢李亀年   杜甫 平起式踏落

平 平 仄 仄 平 平 仄 平 仄 平 平 仄 仄 平韻
岐王宅裏尋常見 崔九堂前幾度聞

   ・拗(挟み平)
仄 仄 平 平 仄 平 仄 仄 平 平 仄 仄 平 平韻
正是江南好風景 落花時節又逢君

・ 起句と承句が対句となっている。
・ 転句は挟み平。

九月九日憶山東兄弟 王維  仄起踏落

仄 仄 仄 平 平 仄 仄 仄 平 平 仄 仄 平 平韻
獨在異郷為異客 毎逢佳節倍思親

平 平 仄 仄 平 平 仄 仄 仄 平 平 仄 仄 平韻
遥知兄弟登高處 遍插茱萸少一人

・ 此の詩は第一章で中国語訳を付けて有りますので参照して下さい。
・ 七言絶句の起句に押韻しない場合は、起句と承句を対句にすることが一 般に行われている、これを「踏落」と言う(中国に於いては対句で無けれ ばならないと云う考えは絶対ではない)。

胡茄曲 唐詩選より抜粋 平起式側体

仄 平 平 平 平 仄 仄 平 平 仄 仄 平 平 仄
月明星稀霜満野 氈車夜宿陰山下

仄 平 仄 仄 仄 平 平 平 平 平 平 平 仄 仄韻
漢家自失李将軍 単于公然來牧馬

繍嶺宮  李洞  三体詩より抜粋 仄起式側体

平 仄 平 平 平 仄 仄韻  仄 平 平 仄 平 平 仄韻
春草萋萋春水緑 野棠開盡飄香玉

仄 仄 平 平 仄 仄 平 平 平 平 平 仄 平 仄韻
繍嶺宮前鶴髪翁 猶唱開元太平曲

・ 仄韻の七言絶句は、唐詩選七十四首中二首、三体詩百七十四首中六首だ けと、作品が極めて少ない。


七言の四  七言律詩

 七言律詩は、五言律詩の五文字に二文字をつけ加えて、二文字+二文字+三文字の詩形で、首聯出句に押韻することを除いては、五言律詩の規約はほぼ其の侭七言律詩にも適用される。

七言律詩正格平起式
△ ○ ▲ ● ● ○ ◎    ▲ ● △ ○ ▲ ● ◎首聯
▲ ● △ ○ ○ ● ●・対句・△ ○ ▲ ● ● ○ ◎頷聯
△ ○ ▲ ● △ ○ ●・対句・▲ ● △ ○ ▲ ● ◎頚聯
▲ ● △ ○ ○ ● ●    △ ○ ▲ ● ● ○ ◎結聯

七言律詩偏挌平起式踏落
△ ○ ▲ ● △ ○ ●・対句・▲ ● △ ○ ▲ ● ◎首聯
▲ ● △ ○ ○ ● ●・対句・△ ○ ▲ ● ● ○ ◎頷聯
△ ○ ▲ ● △ ○ ●・対句・▲ ● △ ○ ▲ ● ◎頚聯
▲ ● △ ○ ○ ● ●    △ ○ ▲ ● ● ○ ◎結聯

七言律詩偏挌仄起式
▲ ● △ ○ ▲ ● ◎    △ ○ ▲ ● ● ○ ◎首聯
△ ○ ▲ ● △ ○ ●・対句・▲ ● △ ○ ▲ ● ◎頷聯
▲ ● △ ○ ○ ● ●・対句・△ ○ ▲ ● ● ○ ◎頚聯
△ ○ ▲ ● △ ○ ●    ▲ ● △ ○ ▲ ● ◎結聯

七言律詩偏挌仄起式踏落
▲ ● △ ○ ○ ● ●・対句・△ ○ ▲ ● ● ○ ◎首聯
△ ○ ▲ ● △ ○ ●・対句・▲ ● △ ○ ▲ ● ◎頷聯
▲ ● △ ○ ○ ● ●・対句・△ ○ ▲ ● ● ○ ◎頚聯
△ ○ ▲ ● △ ○ ●    ▲ ● △ ○ ▲ ● ◎結聯

・ これまでも度々指摘したが、韻を踏むべき箇所に韻を踏まない場合は、 互いに対句にする事が行われる。
  この事は七言律詩にあっても例外ではなく、首聯や結聯の場合に適用さ れる。

八月十五夜禁中獨直對月憶元九
               白居易 正格平起式

平 平 平 仄 仄 平 平韻  仄 仄 平 平 仄 仄 平韻
銀臺金闕夕沈沈 獨宿相思在翰林

平 仄 仄 平 平 仄 仄   仄 平 仄 仄 仄 平 平韻
三五夜中新月色 二千里外故人心

仄 平 平 仄 平 平 仄   仄 仄 平 平 平 仄 平韻
渚宮東面煙波冷 浴殿西頭鐘漏深

仄 仄 平 平 平 平 仄   平 平 平 仄 仄 平 平韻
猶恐清光不同見 江陵卑湿足秋陰

登高           杜甫 偏格

平 仄 平 平 平 仄 平韻  仄 平 平 仄 仄 平 平韻
風急天高猿嘯哀 渚清沙白鳥飛廻

平 平 仄 仄 平 平 仄 平 仄 平 平 仄 仄 平韻
無邊落木蕭蕭下 不盡長江滾滾來

仄 仄 平 平 平 仄 仄 仄 平 平 仄 仄 平 平韻
萬里披秋常作客 百年多病獨登臺

平 平 仄 仄 平 平 仄 仄 仄 平 平 仄 仄 平韻
艱難苦恨繁霜鬢 潦倒新停濁酒杯

・ 潦と老は中国語の発音では、潦は三声、老は三声で双関。

香爐峰下新卜山居草堂初成偶題東壁 白居易
五架三間新草堂 石階桂柱竹編牆 南簷納日冬天暖 北戸迎風夏月涼
灑砌飛泉纔有点 払窗斜竹不成行 來春更葺東廂屋 紙閣蘆簾著孟光

香爐峰下新卜山居草堂初成偶題東壁
重題      白居易 踏落

仄 平 仄 仄 平 平 仄 仄 仄 平 平 仄 仄 平韻
日高睡足猶傭起 小閣重衿不怕寒

平 仄 仄 平 平 仄 仄 平 平 平 仄 仄 平 平韻
遺愛寺鐘欹枕聽 香爐峰雪撥簾看

平 平 平 仄 仄 平 仄 仄 仄 平 平 仄 仄 平韻
匡廬便是避名地 司馬仍爲送老官

平 仄 平 平 仄 平 仄 仄 平 平 仄 仄 平 平韻
心泰身寧是歸處 故郷何獨在長安

閣夜           杜甫 仄起式踏落

仄 仄 平 平 平 仄 仄 平 平 平 仄 仄 平 平韻
歳暮陰陽催短景 天涯風雪霽寒宵

仄 平 仄 仄 平 平 仄 平 仄 平 平 仄 仄 平韻
五更鼓角聲悲壮 三峡星河影動揺

仄 仄 平 平 平 仄 仄 平 平 平 仄 仄 平 平韻
野哭千家聞戦伐 夷歌幾處起漁樵

仄 平 仄 仄 平 平 仄 平 仄 平 平 平 仄 平韻
臥龍躍馬終黄土 人事音書漫寂寥

・ 首聯を踏落にするときは、対句にする事だ。
・ 新体詩に於ける正格と偏格との関係は、七言の出だしの句の二文字目が 平の場合は「正格」仄の場合は「偏格」と云う。


二の六 雑言

 詩の定義は、押韻した句という事からすれば、今まで述べてきた様に整然とした詩形だけとは限らない。
 長短句を織りまぜた詩形も当然考えられるが、ただ日本人が作詩するとなると、中国語を充分には理解していない以上、自分の知らざる面に於いて、思わぬ間違いを犯す危険があるので注意を要す。
 長短句とは云っても、雑然と混ざり合って居るのではなく、今までに紹介した三言、四言、五言、六言、七言が、二句若しくは四句ずつに纏まって、更に其れが巧妙に組み合わされている。

・・謡     ・自珍
 パンの歌

父老一青銭 ・・如月圓   五文字+五文字
 親父さんの頃は一文銭一枚で、パンはまん丸くて月のよう

兒童両青銭 ・・大如銭 五文字+五文字
 今の子供達は一文銭二枚で、パンは一文銭の大きさポッチ

盤中・・貴一銭 天上明月痩一邊
 皿のパンは一文銭より値が高く、空に輝く月は縁が欠けている
七文字+七文字

噫市中之・兮 天上月
 ああ町中の食べ物と空の月 六文字+三文字

吾能料汝二物之盈虚兮
 私にはお前達の満ち欠けが予測できるぞ

二物照我爲過客 十文字+七文字
 二つが照らす此の私は悠久の時間の流れを過ぎる旅人だが

月語・・ 圓者當欠 四文字+四文字
 月がパンに話し掛ける、丸い物が欠けるのは当たり前

・・月語 循環無極 四文字+四文字
 パンが月に話し掛ける、巡り巡って何時までも

大如銭 當復如月圓 三文字+五文字
 一文銭のパンだって、月のまん丸に戻るはず

呼兒語若 后五百歳俾飽而玄孫
 子供を呼んで聞かせよう、五百年后の玄孫にはお腹一杯食べさせよう
四文字+九文字
  ・・ーふかしパン
  過客 ー旅人 光陰は百代の過客
  而  ー若ー二人称代名詞
  五百年ー五百年周期に王や聖人が現れると云う仏教思想に基づく
・ 韻文字を調べると、平韻で「銭圓邊」 次に換韻され仄韻で「月客欠極」 又換韻されて「銭圓孫」
・ 謡ー楽府体の一つ、詰まり民謡形式で、風刺的な意味を持った作品、此 の詩も食料の暴騰を比喩し、暗に政策の貧困を嘆く。
・ 一句の文字数を見ると、三言、四言、五言、七言、九言、十言の句より 構成されている。

三五七言 李白

秋風清 秋月明
 秋風清く、秋月明らかなり

落葉聚還散 寒鴉棲復驚
 落葉集まって又散じ、烏は寝ぐらに帰ったかと思うと、不意に驚いて又飛び立つ
相思相見知何日 此時此夜難爲情
 思う人に会えるのは何時の日か知れない、こんな時こんな夜、燃え盛る気持ちをどうして良いか解らない

・ 此の詩体は李白の創作と言われている。
・ 三言、四言、七言、それぞれ対句になっている。
・ 相思+相見    句中の対
此時+此夜    句中の対
  知何日+難為情  行間の対

西郊落花歌 ・自珍
 西郊落花の歌

出豊宜門一里、
 豊宜門を出て一里の所に、

海棠大十圍者八十九本。
 太さ五尺ばかりの海棠が八十九本もある。

花時車馬太盛、未嘗過也。
 花咲く頃には大勢の花見客が、車馬を繰り出すので、私は嘗って近寄った事がない。
三月二十六日大風。
 三月二十六日には大風が吹いた。

明日風少定 、則偕金禮部應城・
 翌日は少し収まった、其れで金禮部応城・

汪孝簾潭・朱上舎祖穀・
 汪孝簾潭・朱上舎祖穀・

家弟自穀出城飲、而有此作。
 弟の自穀と連れだって一杯やり、此の詩が生まれた。

・ 此処までは詩の前置きです

西郊落花天下奇 古来但賦傷春詩
 西郊の落花は天下の奇形であるのに、古来これを詠んだ詩歌は、行く春に対する感傷にとどまる 七文字+七文字

西郊車馬一朝盡
 西郊を訪れる車馬がぱったりと途絶えた日、

定庵先生沽酒來賞之 七文字+九文字
 定庵先生は酒を仕込み花見にやってきた

先生探春人不覚 先生送春人又嗤
 先生が春の先駆けを尋ねる時は、別に人が気付く訳でもなく、先生が行く春を送ると聞けば、人はせせら笑うであろう 七文字+七文字

呼朋亦得三四子 出城失色神皆痴
 友を誘うとそれでも三四人は出来た、扨て場外に繰り出した一同は、皆顔色を変えて呆気に取られた 七文字+七文字

如銭唐潮夜澎湃 如昆易戦晨披靡
 例えば銭唐口の夜の大潮がゴーッと押し寄せる様であり、昆陽の暁の合戦に軍勢がドッとなびく様である 七文字+七文字

如八万四千天女洗瞼羆
 又化粧を洗い落とした八万四千の天女が、

斎向此地傾臙脂 十文字+七文字
 一斉に化粧水をぶちまけた様でもある

奇龍怪鳳愛漂泊
 奇怪な姿をした龍や鳳凰が、かくも浮かれたがると言うのに

琴高鯉何反欲上天為 七文字+十文字
 琴高の緋鯉が何故昇天の真似事をしたがるのだろう

玉皇宮中空若洗
 玉皇の宮殿は洗い流した様に空っぽだし

三十六界無一青蛾眉    七文字+九文字
 三十六層の天上界にも、青い蛾眉の美女は一人も残っていない

又如先生平生之優患
 更に例えれば、定庵先生の日頃の憂鬱が昴じ

恍惚怪誕百出難窮期 九文字+九文字
 夢うつつに様々な異常行為が飛び出し、他人の追跡も想像も許さぬのに似ている
先生讀書盡三藏
 読書が好きな先生は、経律論の三蔵にわたる仏典を極めていられる

最喜維摩巻裏多清詞 七文字+九文字
 わけても精妙な文章に富む維摩経が気に入り

又聞浄土落花深四寸
 又西方浄土では落花が四寸だと聞き

冥目観想尤神馳 九文字+七文字
 目を閉じて瞑想し、其のイメージにとりわけ魂も奪われる

西方浄國未可到 下筆綺語何漓漓
 西方浄土には行ける筈は無いのに、どうしてこんな流麗な描写が可能なのであろうか  七文字+七文字

安得樹有不盡之花更雨新好者
 どうかして一雨毎に新鮮さを増す不断の花が木木に開き

三百六十五日長是落花時  一三文字+一文字
 一年三百六十五日が落花の時で有りたいものだ

・ 長短句とは云っても、句の長さがまちまちなのではなく、ただ単に五言 若しくは七言に統一されていないと言う事であって、これは此れなりにあ る種の規則性を持っている。
・ 前掲の詩「・・歌」の韻は平仄交互の組み合わせであったが、「西郊落 花歌」の句末文字を調べてみると「支韻」の文字で、全て平韻で統一され ている。
・ 文字数が不揃いの詩とは云っても、結果的には文字数の揃った形に成る のは何故だろうか、文にリズムを持たせる方法としては、韻文字の配置と、 平仄の配置と、文字数の適正化が擧げられるが、言い換えればこれらを無 視して詩文は成立しない、だから如何に不揃いの詩とは云っても、此の範 疇にあるわけだ。
・ 近年の散体詩は文字数が不揃いであるが、これは此処に云う漢詩ではな く、強いて云えば「中国詩」と云うべき物で、此の詩法のリズムの取り方 は、別の観点から捉えなければならない。


    第三章 漢俳

 これ迄に示した作品は、全て中国を発祥の地としたが、漢俳は中国人が日本の俳句を真似、短詩形式としてごく近年になって作り出した詩形である。
 日本の俳句は五七五の十七文字で構成されて居るのは誰でも承知の事だが、漢俳もこれを真似て五七五の十七文字で構成されている。
 然し表音文字の十七文字と、表意文字の十七文字では、文字数は同じでも其の表意容量に於いては格段の開きがある。
 俳句は其の文字数は少ないが、表現できる内容は他の詩形に引けを取らない、語らないからこそ読者が多く語って呉れるという事もある。

・ 漢詩は大方に於いて、大きく捉えてこれを凝縮させる手法のようで、俳 句は小さく捉えてこれを拡散させる手法のようだ。
・ 漢俳には平仄の規則が有るのか無いのか、平仄を調べて自分で納得を得 てみよう、是非研究を要す。

再謁詩碑亭      録 一衣帯水 棚橋篁峰
春雨洗俗塵   春雨 俗塵を洗い
湍瀬歌唱水聲新 湍瀬の歌唱 水聲新たなり
再謁碑清貧   再び謁ゆ 碑 清貧

剣門 録 一衣帯水 棚橋篁峰
菜花渓壑盈      菜花 渓壑に盈ち
覊客瞻天一鴬鳴  覊客 天を瞻れば一鴬鳴く
剣門勝游情    剣門 勝游の情

鐵鎮紙 三首
棗園謁故居
流風餘韻憶前駆
心牽歩也徐

鎮紙耀眼明
窮郷煉鐵出精英
物小見深情

下筆若流星
紙上經綸萬里程
胸懷必勝兵

 毛沢東同志棗園故居的書卓上、有鐵尺作鎮紙用、是大生産時鐵廠工人贈的。
 (毛沢東同志の昔の住まいのテーブルの上に、鐵製の文鎮がある、これは大生産時の工場の人が贈った物だ。)

・ 表音文字の規約を表意文字に適用するには、だいぶ無理があるようだ、 却って口語体から派生した方が適切にも思えるが。
・ 近年の論文を見ると、文字数は五文字七文字五文字、平仄は問はない、 句末に押韻、文語体口語体何れも可、と述べられていた。

歓迎日本吟誦代表団 丁芒
古韵入東瀛 千年島國傳唐音
萬里飄簫情

風雅自存心 武夫槍炮任狂鳴
終不盖天聲

高韵來詩國 美人長袖伴歌飛
櫻剣意徘徊

明月渡青波 湘君停瑟意如何?
江上發輕歌

長継楓橋泊 一詩横渡海雲東
同唱寒山鐘

詩國數中華 神州遍地着奇花
光彩映扶桑

隔海雨相聞 一虹飛架是歌聲
日々度吟沈

君自海東來 千枝萬朶櫻花紅
染我棲霞楓

願共憶金陵 友誼世代更長吟
激情過行雲


    第四章 詞 詩詞譜篇参照

 詞とは唐末から宋に於いて発達した韻文形式で、これ迄に述べた詩では、其の旋律即ちリズムは、全部合わせても数十種類しか無いが、詞に有っては実に八百二十六調、二千三百六体も有ると言われて居り、詩家は詞の事を詩余と言うが、詩の別称とするには対象は余りにも大き過ぎるようだ。
 扨て詞とは五代、宋に栄え、何れも歌謡曲の歌詞として発達したらしく、填詞、詩余、長短歌等とも云い、又中国の解説書を看ると、散曲 元曲などの名称が混在しているが、日本人がこれを詳細に分別する事は難しい。
 現在に於いては元歌の題名「詞牌名」とリズムだけが残り、これを「詞」と云い、作詞に当たっては、詞牌に対する平仄形式(リズム)が有るので、これに文字を填めて行く、即ち填詞である。
 メロデイと歌詞とは緊密な関連があるので、作品を研究して、その点を把握してから詞譜を採用しないと、アンバランスと成る憂いがある。
 詩に有っても該当する平仄形式が有って、これに文字を填めて行く訳だから、日本人にしてみれば本質的に大して変わってはいない、ただ詞に有っては、先ず詞牌名を書き「憶江南・春日書懐」とするか、詞牌名を後に書き「春日書懐・調寄憶江南」とし、ただ詞牌名と本来の題名が同じ時は「本意」と書く。

・ 日本で填詩に付いて研究した人物に、九州の人で水墨画でも名高く、頼 山陽の友人でも有るとされる田能村竹田と云う人が居た。
  なお近くは森槐南 森川竹・ などが詞に造詣が深い。
・ ※ー平仄何れも問はない。
○ー平文字
  ●ー仄文字
  ◎ー平韻
  ・ー仄韻

十六字令 又名蒼梧謡
            ◎   ※ ● ○ ○ ● ● ◎  
        ○ ○ ●       ※ ● ● ○ ◎

十六字令(詠月)周邦彦(宋)
◎ ※ ● ○ ○ ● ● ◎
・          ・眠  月影穿窓白玉銭
○ ○ ●       ※ ● ● ○ ◎
・      ・無人弄  ・  ・移過枕凾邊

・ 七言絶句の平仄配置図と比較すると、□の部分が欠けている事に気付 かれた事と思います、即ち声が盗まれた!「倫声」と云います。

漁歌子 又名漁夫
※ ● ○ ○ ● ● ◎   ※ ○ ○ ● ● ○ ◎
○ ● ●   ● ○ ◎   ○ ○ ○ ● ● ○ ◎

漁歌子(本意)張志和
西塞山前白鷺飛 桃花流水・魚肥
青・笠 緑蓑衣 斜風細雨不須歸

浣渓沙 又名浣沙渓 又名小庭花
※ ● ○ ○ ● ● ◎   ※ ○ ※ ○ ● ○ ◎
※ ○ ※ ● ● ○ ◎
※ ● ○ ○ ○ ● ●   ※ ○ ※ ● ● ○ ◎
※ ○ ※ ● ● ○ ◎

浣渓沙(贈婢)清葉 (閨秀詞)
欲比飛花態更輕 低回紅頬背銀屏
半嬌斜倚似含情
嗔帯淡霞篭白雪 語倫新燕怯黄鳥
不勝力弱懶調箏

・ 前段三句と後段三句の二段で構成される。

憶江南 又名江南好 又名夢江南     又名望紅梅 又名謝秋娘
○ ※ ●               ※ ● ● ○ ◎
※ ● ※ ○ ○ ● ●   ※ ○ ※ ● ● ○ ◎
    ※ ● ● ○ ◎

憶江南 陳舜臣
新春好 酔客舊曽諳
正月はよいものだ、酔った客は昔の事を良く覚えている

怪語蛮歌聲勝虎 鵬顔如火翼正藍
怪奇炎を上げ蛮声を上げて歌う、すっかり気が大きくなって、荘子に出てくる大鵬に成ったような心地、道理で顔も真っ赤で翼も深藍、翼を広げて

撃水忽図南  
水を撃ち見る見る南の冥に羽ばたくようだ。

・ 作者は今日の人気作家、年賀状に書いた作品との事で、聞くところに依 れば、中国人は詩よりも「詞」の方を好んで作るそうだ。


    第五章 賦

 賦が楚の地方に起こった「楚辞」を受けて、文学形式として自己を確立したのは、漢の武帝の時期であり、賦は有韻文であって、物事や人間感情を叙述し、長編を美文で綴る事に終始させようとする営みは、漢字文化の極限の一つを示すと言っても過言ではない。
 賦は押韻を必須とする「有韻の文」で、詩と散文の中間的な形態の文学形式である。
 ここに一例を擧げるが、読者諸君は此の文の何処に韻が用いられているか調べてみよう、試みに、。也乎の手前の文字を重点に調べると理解が早い。

赤壁賦 蘇軾
 赤壁の賦

壬戌之秋 七月既望
 壬戌の年(一0八二年)秋七月十五夜の事

蘇子與客泛舟遊於赤壁之下。
 蘇先生は、客人達と舟を浮かべ、赤壁の下に遊んだ。

清風徐來 水波不興。
 涼風が穏やかに吹き過ぎ、川面には波も興らない。

擧酒屬客 誦明月之詩
 杯を擧げて客人に勧め、「明月の詩」を口ずさみ、

歌窈窕之章。
 「窈窕」の一節を歌った。

少焉 月出於東山之上
 暫くすると、月が東の山の端に昇り

徘徊於斗牛之間。
 斗牛の星座の間に浮かぶ

白露横江、水光接天。
 露の気が大川に広がり、水面の光が彼方の空へと接ながる

縱一葦之所如 凌萬項范然。
 一葉の小舟の行くが侭に任せ、広々とした水面を遥かに進む。

浩浩乎如馮虚御風 而不知其所止
 心の果てしない様は、虚空に身を任せ風に乗り止まる所を知らぬが如く、

飄飄乎如遺世獨立 羽化而登仙。
 風に漂い行く様は、世を忘れ独り有り、羽を生じ仙界へ昇り行く如く

於是飲酒楽甚、扣舷而歌之。
 かくて酒を飲むほどに楽しさが極まり、舷を叩いて歌を歌う

歌曰、桂櫂兮蘭・、
 其の歌は、木犀の櫂木蘭の・、

撃空明兮沂流光。
 水に映る月影に竿さして流れる光を遡る。

渺渺兮予懐、望美人兮天一方。
 当て度ない我が懐い、佳き人を空の彼方に望みつつ。

客有吹洞簫者、倚歌而和之。
 客人の中に洞簫を吹く者がおり、歌に合わせて吹き始めた。

其聲鳴鳴然、如怨如慕。
 其の音は低く流れて、怨むが如く慕うが如く。

如泣如訴。
 泣くが如く訴えるが如く、、

餘音嫋嫋、不絶如纓。
 余韻は長く尾を引いて、糸すじの様に絶えようとせず。

舞幽壑之潜蛟、泣孤舟・婦。
 深い谷間の蚣をも舞い躍らせ、一葉の小舟に身を伏せる寡婦の涙を誘う。

蘇子愀然正襟、危坐而問客曰、
 蘇先生顔を引き締め襟を正し、座り直して客人に尋ねた、

何爲其然也。
 どうしてかくも悲しげなのか。

客曰、月明星稀、烏鵲南飛、
 客人は云う『「月さやかにして星暗く、鵲は南に翔ける」

此非曹孟徳之詩乎。・歴史編参照
 曹孟徳の詩で御座らぬか。

西望夏口、東望武昌、
 西のかた夏口を望み、東の方武昌を望めば、

山川相繆、鬱乎蒼蒼。
 山と河とがもつれ合い、こんもりと薄暗い辺り。

此非孟徳之困於周郎者乎。
 孟徳が周郎に苦しめられた辺りでは御座らぬか。

方其破荊州、下江陵、順流而東也、
 むかし孟徳が荊州を破り、江陵を下し、流れに従って東へ向かった時、

舳艫千里、旌旗蔽空。
 舳艫接する事千里、旗指物は空を蔽った。

・酒臨江、横槊賦詩。
 酒を注いで大川を前にし、槊を横たえて詩を作り。

固一世之雄也。而今安在哉。
 まことに一代の英雄だったが。扨て其の彼も今はいずこ。

況吾與子、漁樵於江渚之上、
 まして私と貴方とは、大川の辺で漁をし薪を拾い、

侶漁鰕而友麋鹿、
 魚や海老を仲間に大鹿や鹿どもを友とする身、

駕一葉之扁舟、擧匏樽以相屬、
 一葉の小舟を操りつつ、瓢箪の酒を注いでは勧め、

寄蜉蝣於天地、渺滄海之一粟。
 天地の間に預ける陽炎の如き命、大海に浮かぶ粟粒の如きではないか

哀吾生之須臾、羨長江之無窮。
 我が命の定め無きを哀しみ、長川の尽きぬ流れを羨ましく思う。

挟飛仙以遨遊、抱明月而長終。
 空翔ける仙人と手を携え気侭に遊び、明月を抱いて永久に生きる事の

知不可乎驟得、託遺響於悲風。
 俄かには果たせぬ夢と知り、余韻を遺すこの響きを悲しい風に載せた迄』

・ 『月明星稀、烏鵲南飛、、、、、託遺響於非風』は客人の会話

蘇子曰、客亦知夫水與月乎。
 蘇先生は云う、『貴方も亦あの川と月とをご存知の筈

逝者如斯、而未嘗往也。
 川はあの様に流れ去るが、去って無くなる訳ではない。

盈虚者如彼、而卒莫消長也。
 月はあの様に満ち欠けするが、決して増え減りはしないもの。

蓋将自其變者而觀之、
 そもそも変化という事から見るならば、

則天地曾不能以一瞬。
 天地の全ては一瞬たりとも不変で有り得ぬ。

自其不變者而觀之、
 不変と云うことから見るならば、

則物與我皆無盡也。而又何羨乎。
 物我ともに尽き果てることは無い、然れば何を羨むことが有ろうか。

且夫天地之間、各有主。
 そもそも天地の間の万物には、それぞれ持ち主があり。

苟非吾之所有、雖一毫而莫取。
 苟も己が所有するで無ければ、一筋の毛と雖も取ってはならぬが。

惟江上之清風、與山間之明月、
 大川を渡る涼風と、山間に出る月だけは、

耳得之而爲聲、目遭之而成色。
 耳に聞けば妙なる響きとなり、目に眺めれば美しい景色となり。

取之無禁、用之不竭。
 幾ら取っても禁ずる者なく、幾ら使っても尽き果てることはない。

是造物者之無盡藏也。
 これぞ造物者の無尽蔵。

而吾與子之所共食。
 そして今貴方と共に味わっているもの。』

・ 『客亦知夫水與月乎、、、而吾與子之所共食』迄は蘇軾の会話。
 この様に蘇軾と客の会話を設定し論旨を展開している。

客喜而笑、洗盞更酌。
 客人は喜んでうち笑い、杯を洗って飲み直す。

肴核既盡、杯盤狼藉。
 酒の肴はもはや尽き、杯も皿も散らかった侭。

相與枕籍乎舟中、
 舟の中で互いに枕に折り重なって眠りこけ、

不知東方之既白。
 東の空がはや白むのも気付かなかった。

明月の詩………詩経陳風、月出の詩。「明月の様に美しい女性を思う心      を歌う」歌。
窈窕之章……… 詩経周南、関雎の詩。「君子の相手にふさわしい、しと      やかな女性の事を歌う」歌。
赤壁……………蘇東坡が訪れたのは、黄州城外の揚子江左岸赤鼻磯、東      坡はここを赤壁になぞらえた。
赤壁の戦い……三国時代魏の曹操と呉の孫権、屬の劉備の連合軍とが、      赤壁で行った戦い。

 赤壁は湖北省嘉魚県の北東、揚子江南岸の地にあり、哀詔を討ち破って河北を平定した曹操は、中国を統一して八十萬と号する大軍を率いて南下し、赤壁で呉屬の軍と相対したが、呉の周瑜、黄蓋の火攻めの計に依って軍船の焼き討ちに遭い、大敗して河北へ逃げ還った。
 孫権が江南に、劉備が四川に独立するのを許したが、漢の皇帝をロボットとして、大祖皇帝と云われ事実上中国の主権者の地位に有った。
補解
 赤壁の賦は元豊五年、干支で言えば壬戌七月十六日蘇東坡は客(揚世昌と云われている)と舟で赤壁の下に遊んだ。
 其の夕べは実に好く晴れ、舟で江水を遡ると羽化して登仙する思いがあり、客が自分の歌に和してくれ、其の音色はとても悲しい。
 そして此の赤壁は一世の英雄曹操が槊を横たえて詩を賦した所、然し今いずこにかある。
 我らは一葉の扁舟に駕し、蜉蝣の生を天地に寄せている蒼海の一粟にすぎない、我が生は定めなく長江は無窮である、何で音色を非風に託せざるを得ようか。
 私はそこで客の悲哀論を説破してみた、「水と月を御覧」それは見方に依る、万物は変化するという見方に従えば、悠久の天地と雖も一瞬たりとも変化しない者はない。
 変化しないと云う見方に従うときは、万物も吾も共に尽きる事なきと云える、何で悲しんだり羨んだりする事が有ろうか。
                         録山陽風雅


    第六章 散体詩

 現在の中国に於いては、韻文よりも口語による散体詩が多く作られると聞き及ぶ、口語による詩は、散体無韻で日本の散体詩と良く似ているが、これは最早日本人の云う漢詩というものではない。
 漢文は古典の文語に属するもので、中国一般民衆誰でもが理解出来るとは限らない、この事は古典文学に関する限り、日本に於いても似たり依ったりで、中国一般民衆の中に流布する文学とするには口語体による他はない。
 然し如何に口語体と云っても、文章にする以上口語と文語の中間程度の書き方となって、これは亦日本に於いても同様である。
 品詞の並び方は文語も口語も同じだから、簡単な文章なら中国語辞典を用意すれば誰でも翻訳出来るので、是非試みられる事を勧める。

一笑 胡適(作者)
 微笑み

十幾年前 一個人対我笑了一笑
 もう十年余りも前  私に微笑み掛けたあの人

我当不憧得甚麼       ・甚麼「疑問詞何故」
 あの頃は何の事も覚えなかった

只覚得 笑的很好      ・笑的「笑い方が」
 只その笑顔が愛らしかった

那個人不知後来怎様了  ・那「代名詞あの」
 別れたその女のその後は知らない

只是 那一笑還在       ・還「また」
 只微笑みだけが猶残り      ・是「同動詞」

我不但忘不了          ・了「完了」
 忘れぬ侭にあの女へ

還覚得 越久可愛
 年経るにつれて恋しさがつのる

我惜 做了許多情詩
 その女を詠んだ愛の詩の数数

我替 懐出種種境地
 思い巡らす心の綾模様

有的人讀了傷心   ・有的人「ある人」
 ある人は讀んで心を痛め

有的人讀了歓喜
 ある人は讀んで喜びの心を弾ます

歓喜也罷傷心也罷   ・罷「希望推量命令の動詞」
 喜ぶも良かろう悲しむも良かろう   

其実只是那一笑

 只それは彼の微笑みの故なのだ

我至今還不曾尋着那笑的人
 今もまだあの笑顔に巡り会えぬ侭に   ・着「英語のing」

但我很感謝 笑的真好
 彼の微笑みを愛で慈しむ

繁星    謝冰心(女流作家)
 ほしくず

繁星閃爍着         ・們「複数表示かれら」
 あまたの星の瞬き       ・会「練習して能力がある」

深藍的大空
 深い藍色の大空

何会聽得見他們対語?
 あの囁きが聞き取れますか

沈黙中 微光中
 沈黙の中 微かな光の中

他們深深的互相相頌讃了・深深「重字強調」
 彼らは頻りに賞賛を交わして居るのです

嫩緑的芽児 和青年説
 柔らかな緑の芽が 若者に云いました     ・和「と、に」

発展・自己!   ・・「二人称 爾」
 自らを尽くしなさい

淡泊的花児 和青年説
 淡く白い花が 青年に云いました

貢献・自己!
 自らを尽くしなさい

深紅的果児 和青年説
 深紅の果物が 若者に云いました

犠牲・自己!
 自らを献げなさい

揺籃歌  陸志葦
宝宝・睡罷、 ・宝宝「よい子」
媽媽爲・揺着夢境的樹 ・媽「母さん」
揺下一個小小的夢児来。

宝宝・睡罷、      ・紫罷蘭「花の名」
媽媽爲・採両朶紫罷蘭 ・朶「数詞」
送霊魂児到・笑窩裏来 ・笑窩「えくぼ」
  ・為・「貴方の為に」
宝宝・睡罷、
媽媽爲・留下些好辰光
・醒来、月光送・的父親来。


    第七章 参考文献

 現代中国に於いても各地に「詩詞社」が有り、手続きさえ取れば投稿することも、購読することも出来る。
 然し大陸の文字は、我々日本人が云うところの漢字ではなく、漢字を基本とはしているが、これを更に簡略化した簡体字と云う文字で、日本の漢字も簡略化されてはいるが、簡略化の方法が異なるので日本の漢字を以って類推する事は、間違いを犯し易く又不可能でもある。
おおむ
 漢字は概ね音を表す部分と意味を表す部分から成り立っているが、音は現在中国の発音を基礎に置いているので、日本の其れとは基本的に異なるし、亦意味に於いても同様である。
 巻初にも述べたが、古い時代の作品を真似るのが漢詩で有るなどと云はれない為にも、現代の息吹を大いに吹き込んで欲しい。
 其れには現在の大陸の作品に触れることが、より効果のある手段で、漢詩は幸いにも、日中共通の言葉と文字を用いる文化なので、これを通して一層の友好を深める事に役立てば、これに勝る意義はあるまい。
 然しここに述べたように、簡体字は漢字とは異なるので 簡体 繁体の作業をしなければならない、これには「簡化字総表」などの簡便な文字表が有るので、さして難しい作業ではない。
台湾の出版物は日本と同じ文字を使っているので、漢和辞典さえ用意すれば詩文のような簡単な文章なら其のまま読める、然し一般の文章は意味を異にする場合が多いので注意を要す。(中国発行の国語辞典を用意)
 何を学ぶにもそれに適した参考書があり、漢詩を作るには本小誌が最適であると自負しているが、現実に詩を作るには相当数の「詩語」を知らなければ成らない。
 然し誰しも最初から詩を作るに足りる程の言葉は、知って居ないのが現実で、そこで「詩語表」則ち虎の巻の登場となり、要は詩語を沢山寄せ集めた本が必要となり、其の編集主旨にはおよそ四種類有る。

☆ その一つは、詩題に沿って言葉を集めた詩語集で、初心者にはこれが使 いやすく普及しているが、誰もが同じ項目から言葉を拾うから、似たり依 ったりの作品が出来るきらいがある。
  「だれにもできる漢詩の作り方」「詩語集成」「漢詩講座」等がある。

☆ その一つは、韻字に沿って言葉を集めた詩語集で、これは、下三文字を 捜すにはとても便利であるが、予め言葉を知っていて平仄と韻を検する積 もりで使用する。 「詩韻含英」「詩韻精英」が有る。

☆ その一つは、五十音に沿って言葉を集めた詩語集で、捜そうとする言葉 を五十音別に配列し、日本語から詩語を導き出す方法で、今まで述べた詩 語集を補う利用価値がある。  「詩語辞典」が有る。

☆ その一つは、項目に沿って言葉を集めた詩語集で、項目とは、天地 地 理 時令 人事 器用 服食 軍旅 樹木 花草 飛禽 走獣 鱗介 昆 虫などの項目別に編集して有るから、作者の赴くままの詩語を探る事が出 来、百人百様の作品が出来る。 然しこれには詩文の枠組みを予め構成し て置かないと、詩語を拾う事が 出来ない。「新選詩語玉屑」「圓機活法」 などが有り、圓機活法には韻字に沿って 編集した冊子も含まれている。
 
☆ 対句を集めた冊子としては、「対句詩語集」が有り、これ迄に示した詩 語集も対句にページを割いる。

おおむ はいぶんいんぷ
 これらの詩語集編纂の作業法として、概ね「佩文韻府」から抽出したものが多い様で、基本的には先ず適切な作品を抽出し、これを編集主旨に沿って分類し、更に二文字、三文字に分解して、平仄と韻を検し、整理分類して一本とした物であるから、必ずどこかの作品に用いられている詩語という事になる。 対句にあっては此の点が顕著に現れ、余程注意しないと、剽窃の謗りを免れないので、安直に本に頼らずに自分の対句を作るようにする。

参考文献 此の小誌は以下の書籍を参考にして編集した。
一衣帯水     日中友好漢詩協会
花影のうた    平凡社
漢詩の再吟味   漢詩書刊行会 広島市安古市町上安弘億団地一二
漢詩の作り方  漢詩書刊行会
漢詩の手本全巻  漢詩書刊行会
漢詩入門     大法輪閣 渋谷区恵比須一ー二九ー二五
漢詩名句辞典   大修館書店 東京都千代田区神田錦町三ー二四
漢文学概論    雄山閣 千代田区富士見町二ー六ー九
簡化字総表    語文出版社   北京朝陽門南小街
簡体↓繁体表   語文出版社   北京朝陽門南小街
金瓶梅      文源書局 台湾省
吟詠読本     吟涛社 杉並区成田四ー十五ー十五
月刊吟詠新風   大井清
月刊黒潮集    黒潮吟社
月刊山陽風雅   山陽吟社 広島市安佐南区大町東一ー四
月刊蒼浪集    蒼浪吟社 和歌山県有田市箕島八二六ー二
現代漢語八百詞  商務印書館香港分館
故事熟語大辞典  東京寶文館
広州日報     広州日報社 廣東省廣州市
紅楼夢      三民書局 台湾省
国語日報破音辞典 国語日報社   台湾省台北市
作詩関門     明治書院 千代田区神田錦町一ー一六
作詩訣      松雲堂書店  千代田区神田神保町三ー一
作詩詩論登攀集説 豊友社 中野区大和町二ー四六ー七
三国演義     三民書局 台湾省
山陽遺稿注釈   書芸界
山陽詩抄新訳  書芸界
詩韻含英     松雲堂書店
詩韻精英     松雲堂書店
詩語の諸相    研文出版 千代田区神田神保町二ー七
詩語辞典     実業の日本社
詩語集成     松雲堂書店
詩窓十話     書芸界  大阪市東区淡路町二ー十六
新字源      角川書店
新選詩語玉屑   書芸界
新訳漢文大系  明治書院
双週刊詩詞    広州詩社 廣東省廣州市人民中路
総合国語辞典   台湾綜合出版社 台湾省
蒼浪詩話     明徳出版
対句と対句論   風間書房
対句詩語集    書芸界
御選金詩天、地  書芸界
中国古典全巻   朝日新聞社
中国語で学ぶ漢詩 燈影社 京都市山科区四宮一燈園内
中国詩人選集全巻 岩波書店
中国成語大辞典  大衆書局 台湾省
日語       上海翻訳出版公司 上海市
藍川三体詩全巻  黒潮吟社
圓機活法     松雲堂書店
譯文筌蹄操觚字訣 名著普及会 目黒区平町一ー一六ー六


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