text02填詞詩余楹聯  此方からも探せます

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    第一章 七言絶句 録三体詩

 ここに取り上げる三体詩という書物は詩の内容構成に依って分類編集されて居るので、詩の構成を学ぶには持って来いで有る。
 此の書は南宋周弼の編「唐詩三体家法」「唐賢三体詩法」「唐三体詩」などと云はれて居るように、唐詩を選録した物、詰まり唐詩の選録である。
 其の点では唐詩選と性格を一にするが其の選び方にはそれぞれ特色が有って、重複する詩は極めて少ない。
 此の書物は唐詩の諸形式の中で近体の七言絶句、七言律詩、五言律詩の三っの形式に限って作品を収録しており、三体とは三つの詩形を意味すると考えられる。
 次に此の書物の特色とする処は、「家法」「詩法」と言う名称が示す通り、単に唐詩を選んでいると言うのではなく其れに依って詩の法、即ち原理、規範を著そうとして居る点で、其れぞれの形式、所謂る表現のスタイルに依って作品を分類している。

・ 詩文の選集という物は、作詩作文の手本と云う性格を供えているが、此 の書物は其の点が強調され、此の分類は恐らく此の書物以外には例の無い 事で、編者周弼の独創と云って良いだろう。


一の一 実接

 伯弼曰。絶句法。大抵以第三句為主。首尾率直。而無婉曲者。此異時以不及唐也。其法非惟久失其傳。人亦鮮能知之。以事事寓意而接。則転換有力。若斷而続。外振起而内不失於平安。前後相応。雖止四句。而涵蓄不盡之意焉。此其略爾。詳而求之。玩味之久。自當有所得。

 絶句の原理は概ね第三句を中心とし、唐以後の絶句が唐に及ばないのは、
しま
始めから終い迄直線的に連なって屈折が無いからで、此の原理は長い間伝えられなかったばかりか、そう言う事が有ると云う事すら、知って居る人が始んど居ない。
 具象的な事柄に深い意味を持たせつつ、始めの二句に続けるならば第三句の転換は力強い物となり、断絶する様で続いており、表現は躍動的であって、而かも内容は穏やかな安定を失わず、前後相呼応して統一がある。
 この様で有れば、ただ四句に過ぎないけれども尽きる事の無い意味を貯える事が出来る。
 以上は其の概略に過ぎない、詳細に追求し長い時間繰り返し味わうならば、きっと自然に心に得る処が有るであろう。

・ 三体詩は各項目毎にこの様な説明書きが就いている、作詩上の要件とし て要約すれば、絶句の出来映えの如何は、此の第三句に係わって居ると云 う訳である。

詩の表現の仕方として、先ず起句で題意を起こし、承句でこれを補足し、転句で別の視点から捉え、結句で両者を収束させる。
 これが大方の構成であるが、この中でも第三句の、則ち別の視点から捉える捉え方が、詩の出来映えを大きく左右する。
 実接とは此の第三句(転句)を事実を以て意を寓して接すると云っている、事実を持ってとはどう云う事かと云えば、簡単に云って事実として我が目に映る事柄、これを第三句とする訳で次の例句で云えば「二十五弦弾月夜」と、実際に我が目に映る事柄を述べている。

歸雁 銭起

瀟湘何事等閑囘 水碧沙明両岸苔
 瀟湘何事ぞなおざりに回り 水緑に沙明らかに両岸苔むす

二十五弦弾月夜 不勝清怨卻飛來
 二十五弦月夜に弾じ 清怨に勝へずして却って飛来す

江南春 杜牧

千里鴬啼緑映紅 水村山郭酒旗風
 千里鴬啼いて緑紅に映ず 水村山郭酒旗の風

南朝四百八十寺 多少樓臺烟雨中
 南朝四百八十寺 多少の樓臺烟雨の中

・ 同じ作者の「秦淮」の中の一句に「煙篭寒水月篭沙」と言う句があるが、 これは江南の夜の景を詠じた物で、前掲の句は日中の江南の景を詠じた物 で對蹠的である。

逢賈島 張籍

僧房逢着款冬花 出寺吟行日已斜
 僧房に逢着す款冬花 寺を出て吟行すれば日既に斜めなり

十二街中春雲遍 馬蹄今去入誰家
 十二街中春雲遍く馬蹄今去って誰が家に入らん

楓橋夜泊 張継

月落烏啼霜満天 江楓漁火對愁眠
 月落ち烏鳴いて霜天に満つ 江楓の漁火愁眠に對す

姑蘇城外寒山寺 夜半鐘聲到客船
 姑蘇城外の寒山寺 夜半の鐘声客船に到る

 前掲四首の転句「二十五」「十二」「南朝」「姑蘇」などの文字は、皆 「実字」で、茲に示された転句は、皆名詞又は其れに類する言葉で始まる事が多いという事、即ち実接の転句は実字で始まる事が多いと云う事と、次に述べる虚接の転句は「死虚字」即ち副詞 接続詞 介詞(前置詞)能願動詞(助動詞)等で始まる句が多い。
 実接とか虚接とかは一句全体に就いて云うのだけれど、実字を以て始まる句は、必然的に客観的に物事を述べ、死虚字を以て始まる句は、主観的な感情や思考を述べるもの、即ち虚なる物が多い。


一の二 虚接

 周弼曰。謂第三句以虚語接前二句也。亦有語雖実而意虚者。於承接之間。略加転換。反與正相依。順與逆相應。一呼一喚。宮商自諧。如用千釣之力。而不見形迹。繹而尋之。有餘味矣。

 絶句に於いて第三句の転換が重要で有る事は既に実接の項で述べて有り、第三句に虚語を用いるのが虚接で有る。
 然し事実を述べて居る様で実は虚句で有ると云う場合も有って、其の区別は簡単ではない。
 どちらかと云えば実接の方が正統的で質実な手法で、虚接の方が才気を発揮する変化に富んだ手法である。
 従って虚接の句は技術的には、より高度なものが要求されるが、其処には自から成る調和が無ければ成らず、彫琢の跡が見える様では浅薄になる。

秋思 張籍

洛陽城裏見秋風 欲作家書意萬里
 洛陽城裏秋風を見る 家書作らんと欲して思い万里

復恐怱怱説不盡 行人臨發又開封
 復た恐る匆匆にして説いて尽くさざるを 行人發つに臨んで又封を開く

寄友 李郡玉

野水晴山雪後時 獨行村道更相思
 野水晴山雪後の時 独り村路を行きて更に相思う

無因一向渓橋酔 處處寒梅映酒旗
 一度渓橋に向かいて酔うに因無し 處處の寒梅酒旗に映ず

宮人斜 雍祐之

幾多紅粉委黄泥 野鳥如歌又似啼
 幾多の紅粉黄泥に委せ 野鳥歌うが如く又啼に似たり

應有春魂化爲燕 年々飛入未央棲
 当に春魂の化して燕となり 年々飛びて未央に入りて棲むあるべし

自遣 陸亀蒙

數尺遊絲堕壁空 年々長是惹春風
 數尺の遊糸壁空より堕ち 年々常に是春風を惹く

争知天上無人住 亦有春愁鶴髪翁
 いかでか知らん天上に人の住する無きを 亦春愁の鶴髪の翁有らん

訪隠者不遇 寶鞏

籬外涓涓澗水流 槿花半照夕陽収
 籬外涓涓として澗水流れ 槿花半ば照らして夕陽収まる

欲題名字知相訪 又恐芭蕉不耐秋
 名字を題して相訪ねしを知らしめんと欲するも 亦恐る芭蕉の秋に耐えざらん事を


一の三 用事

 周弼曰。詩中用事。概易空塞。況於二十八字之間。尤難推。若不融化。以事爲意。更加以軽率。則隣於里謡巷歌。可撃竹而謡凡此皆用事之妙音也。

 実接虚接は第三句の表現法で有ったが、此より以下は其れ以外の表現のポイントを説く。
 用事とは故事を用いる事、則ち歴史上の言葉の一部を句中に用いる事に依って、一句七文字では表現出来ない多くの事柄を凝縮させる事が出来るが、其れには句中首中によく馴染む事が肝要であって、当を得ないと故事だけが浮き上がったり混乱を来たしたりして却って詩を駄目にして仕舞うから注意を要す。
 なお添削投稿などで故事や詩の一節等を用いる場合は、添削者の手数を省くためにも出處の所在を添え書きすると良い。

秋日過員太祝林園 李渉

望水尋山二里餘 竹林斜到地仙居
 水を望み山を尋ね二里余り 竹林斜めに到る地仙の居

秋光何處堪消日 玄晏先生満架書
 秋光何れの処か日を消するに堪える 玄晏先生満架の書

・ 玄晏先生 晋書・列伝
焚書杭 章碣

竹帛烟消帝業虚 関河空鎖祖龍居
 竹帛烟消して帝業虚し 関河空しく鎖す祖龍の居

杭灰未冷山東亂 劉項元來不讀書
 杭灰未だ冷えざるに山東乱れ 劉項元来書を讀まず

・ 焚書杭 史記 秦の始皇帝 李斯列伝
  劉項  史記 項羽本紀 高祖本紀
・ 此の詩などは始んどが故事に依って成り立っている。

秦淮 杜牧

烟篭寒水月篭沙 夜泊秦淮近酒家
 烟は寒水を篭め月沙を篭む 夜秦淮に泊して酒家近し

商女不知亡国恨 隔江猶唱後庭歌
 商女は知らず亡国の恨み 江を隔て猶唱う後庭歌

・ 後庭歌 陳後主 玉樹後庭歌
  玉樹後庭歌  陳後主
  麗宇芳林対高閣 新妝艶質本傾城 映戸疑嬌乍不進 出帳含態笑相迎
  妖姫臉似花含露 玉樹流光照後庭


一の四 前對

 周弼曰。接句兼備虚実両体。但前句作對。而其接亦微有異焉。相去僅一間。特在乎停之間耳。

 前對とは初めの二句が対句を為している作品を云い、前二句の虚実に係わらない、対句にする事に依って言葉の運びは流れる様な感じとなり、句意は対句の特徴として二句以上の内容となる。
 前對は後對の場合と異なり句意配分の不都合は生じない、何故なら起句で詩意を起こし、承句で其れを補足して、起承共に相補い、両者が対句となっても其の関係が崩れる事はない。

・ 律詩を半分に切れば平仄配列に於いてこれと同じに成るが、絶句は律詩 の後ろ半分とは自ずから異なった構成要素を持つ物で、律詩を半分に切れ ば絶句になると云う物でもない。

山居 廬綸

登登山路何時盡 決決渓泉到處聞
 登登として山路何れの時にか尽き 決決として渓泉到る処に聞こゆ

風動葉聲山犬吠 一家松火隔秋雲
 風は葉声を動かして山犬吠え 一家の松火秋雲を隔つ

金陵晩眺     高蟾

明月斷魂清靄靄 平蕪歸路緑迢迢
 明月斷魂清くして靄靄 平蕪歸路緑にして迢迢

人生莫遣頭如雪 縱得春風亦不消
 人生頭を雪の如くなさしむ莫かれ 縱とい春風を得るとも亦消せじ

偶成似人 高橋藍川

處世豈論窮與通 裁詩何問拙兼工
世に処して豈に論ぜんや窮と通と 詩を裁して何ぞ問はん拙と工と

人間多少粉粉事 笑付閑吟對酌中
人間多少紛紛の事 笑って付す閑吟対酌の中


一の五 後對

 後半二句を対句にする作品を云い、前對の場合は詩の要とも謂うべき第三句に制約を受けないので、充分に転換を利かした作品を作る事が出来るが、後對の場合は三四句が対句で有るから、第三句に転換を利かして而かも第四句と対句にする事は相当の技量を必要とする。
 対句の特徴として二句で有り乍ら一句の様な言葉の運び、二句一体で有り乍ら転句結句の様な意味表現、何れにしても二句一体である以上第三句だけに転換を利かすと言う事は、仲仲難しい仕業で此の点を充分に把握して作詩しないと、律詩の前半分を取り出した様に締まりの無い作品に成るので注意を要す。
 一例として前二句で「起承転」の三っの内容を表現し三四句に結句の役割を負わせている作品もあるが、何れにしても前對の句と比べると作りにくい句形なので作品も少ない。

與従弟同下第出關 廬綸
 従弟 与 同じく 下第して 関を出ず

出關愁暮一沽裳 萬野蓬生古戦場
 関を出て暮れを愁いて一に裳を沽し 萬野蓬生す古戦場

孤村樹色昏残雨 遠寺鐘聲帯夕陽
 孤村の樹色残雨に昏く 遠寺の鐘声夕陽を帯ぶ

  下第 科挙の試験に落第する

過鄭山人所居 劉長卿

寂寂孤鴬啼杏園 寥寥一犬吠桃源
 寂寂として孤鴬杏園に啼き 寥寥として一犬桃源に吠える

落花芳草無尋處 萬壑千峰獨閉門
 落花芳草訪ねる処無く 萬壑千峰独り門を閉ざす

・ 此の詩は後對であると同時に前對でもある、これを全対格と云う。

宿石邑山中 韓翊

浮雲不共此山斎 山靄蒼蒼望轉迷
 浮雲此の山と斎しからず 山靄蒼々として 望み 転た迷う

暁月暫飛千樹裏 秋河隔在數峯西
 暁月暫く飛ぶ千樹の裏 秋河は隔てて有り數峯の西


一の六 拗體

 此の体は風変わりな句が出来たと言う特別な時に、追認として一応茲に於いて一つの体と成し、拗とはねじ曲げる ねじ曲がる などの意味で、基本に外れた変則的な詩を云う。
 別冊 で七言絶句の平仄配置図を示したが、これに合致しない作品も出来ない訳ではない。
 然しこういう事は敢えてすべき性格の事柄ではなく、図らずも出来て仕舞ったと云う追認の結果である。
 本来なら文字を換えてでも基本に合わせるべきだが、強いて平仄を合わせる為に文字を替えると、折角の詩が台無しになって仕舞うとき、どちらを取るかとの選択に迫られ、其の結果として拗体の詩という作品が成立する。

旅望 李・

基本仄   平   仄       平   仄   平
○ 仄 ○ 平 ○ 平 ○ ○ 平 ○ 仄 ○ 仄 ○
白草原頭望京師 黄河水流無盡時
 白草原頭京師を望めば 黄河水流れて尽きる事無し
 (白草を百花と記載した書もある)

○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
秋天曠野行人絶 馬首西來知是誰
 秋天曠野行人絶え 馬首西來 是れ誰ぞ(一体誰だろう)

・ 平仄基本形では、二句目と三句目には粘綴と言う旋律があり、拗体にす れば此の旋律が破られ「失粘」と云う状態になる。
・ どの様に捻れて居るか読者は平仄を検討して見るように。
・ 粘とは、別冊の平仄配置図を見れば判るが、五言の上二文字、七言の上 四文字が二句と三句 四句と五句の平仄が互いに同じという事。

除州西澗 韋應物

○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ・・・○ 仄 ○ 平 ○ 仄 ○
獨憐幽草澗邊生 ・ 上有黄・深樹鳴
独り憐れむ幽草の澗邊に生ずを 粘  上に鴬の深樹に鳴く有り

基本仄   平   仄 ・
○ 平 ○ 仄 ○ 平 ○・・・  ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
春潮帯雨晩來急   野渡無人舟自横
春潮雨を帯びて晩來急なり      野渡し人無く舟自から横たわる


一の七 側体

 側は仄と発音がほぼ同じで相通じ、側体は仄聲の韻を用いる詩形を云い、
  そくせい
近体詩は平声の韻を用いるものを原則とし仄聲は破格で、平仄律も破格となるものが多く、其の成り立ちの過程は、拗体とほぼ同様で、敢えて創る程でない詩形に属す。
 なお別冊の平仄配置図には仄韻の詩も提示して有る。

・ 読者諸君は平仄を検して、平なら○ 仄なら● と記入して見よう。

山家 長孫佐輔

○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
獨訪山家歇還渉 葉 茅屋斜連隔松葉 葉
 独り山家を訪ねて休みて還た渉る 茅屋斜めに連なりて松葉を隔つ

○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
主人聞語未開門  遶籬野菜飛黄蝶 枯
 主人語を聞きて未だ門を開かず 籬を巡る野菜に黄蝶飛ぶ

夏晝偶作 柳宗元

○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
南州辱暑醉如酒 有 隠几熟眠開北・ 有
 南国の蒸し暑さ、まるで酒に酔ったようだ 北向きの窓を開け放ち、脇息に凭れてぐっすり眠る

○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
火午獨覚無餘聲  山童隔竹敲茶臼 有
 真昼にふと眼が醒めると他に何の物音もなく、唯竹林の向こうで童が臼で茶を突き固める音だけが聞こえる

・ 第三句は上四文字みな仄聲 下三文字みな平声と甚だ破格である。

歩虚詞(楽府題) 高駢

○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
清渓道士人不識 識 上天下天鶴一隻 昔
 清渓の道士人識らず 天に上り天より下る鶴一隻

○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
洞門深鎖碧窗寒  滴露研朱點周易 陌
 洞門深く鎖して碧窗寒く 露を滴らし朱を研いで周易を点ず

・ 平仄も韻も甚だ破格で、律に叶って居るのは第三句だけである。


    第二章 七言律詩

二の一  四実

 周弼曰。其説在五言。但造句差長。微有分別。七字當為一串。不可以五言泛加両字。最難飽満。易疎弱。而前後多相應。自唐大中。工此者亦有數焉。可見其難矣。

 律詩は八句より成るが、二句ずつ組に成って居て、其れを「聯」と云い、八句は即ち四聯で、第一聯から首聯 頷聯(前聯) 頚聯(後聯) 尾聯(結聯) と名付けられて居る。
 此の四聯の中でも、前聯と後聯は詩の構成上殊に重要で、絶句の場合第三句が重要だと述べたと同様な意味あいを持つ。
 更に此の二聯は必ず対句で無ければ成らないと云う重要な規約があり、此の二つの対句の出来栄え如何が始んど詩の出来映えを左右する。
 扨て四実とは首聯結聯に挟まれた四句、言い換えると二つの対句が共に「実」、具象的(多くは叙景)で有る作品を云う。
 そして四実の体は、四句皆事実を述べると云う事になれば、緊密さが失われ易く、二つの対句が前後バラバラになりがちだと述べている。

洛陽城 許渾

禾黍離離半野蒿 昔人城此豈知労
 禾黍離離として、半ば野蒿 昔人茲に築いて豈 労を知らんや

水聲東去市朝變 山勢北來宮殿高
 水聲東に去って市朝変じ 山勢北より來たって宮殿高し

鴉噪暮雲歸故・ 雁迷寒雨下空濠
 烏は暮雲に騒いで 故巣に帰り 雁は寒雨に迷って空濠に下る

可憐絎嶺登仙子 猶自吹笙酔碧桃
 憐れむ可し候峯の登仙子 猶自ずから笙を吹いて碧桃に酔う

龍泉寺絶頂 方千

未明先見海底日 良久遠鶏方報晨
 未だ明けざるに海底の日を見る やや久しくして遠鶏 方に晨を報ず

古樹含風常帯雨 寒巖四月始知春
 古樹風を含んで常に雨を帯び 寒巖四月始めて春を知る

中天気爽星河近 下界時豐雷雨均
 中天 気爽やかにして星河近く 下界 時に豊かにして雷雨均

前後登臨思無盡 年々改換往來人
 前後登臨して思い尽きる事無く 年々改め換う往来の人

  龍泉寺 浙江省紹興の会稽山に在る

西塞山  劉禹錫

西晋樓船下益州 金陵王気漠然収
 西晋の樓船益州より下り 金陵の王気漠然と収まる

千尋鐡鎖沈江底 一片降旗出石頭
 千尋の鉄鎖江低に沈み 一片の降旗石頭より出ず

人生幾囘傷往事 山形依舊枕寒流
 人生幾度か往事を傷み 山形 旧に依って寒流に枕す

今逢四海爲家日 古壘蕭蕭蘆萩秋
 今四海を家と為すの日に逢う 古塁は蕭蕭たり芦荻の秋

・ 蕭蕭芦荻秋 擬声語 「風蕭蕭として易水寒し」史記 刺客列伝


二の二 四虚

 周弼曰。其説在五言。然比於五言。終是稍近於実。而不全虚。蓋句長而全虚。則恐流於柔弱。要須於景物之中。而情思通実。斯爲得矣。

 四実では前後聯二つの対句が皆景物にして実、事実の描写で有るのに対しこれは情思、感情思考を詠ずる物を云う。
 然し景物句の重厚さに比して情思の句は、軽く弱々しくなりがちであるから、景物を化して情思とするのが良いとされる。
 亦 宋之問の五律「新年作」に「嶺猿同旦暮 江柳共風煙」と言う句に於いて、嶺猿 旦暮 江柳 風煙 は皆客観的事実であるが、これに「同 共」の一字を加えてこれを化して虚としている。
 句の一文字一文字は客観的事実であるが、一句としては情思を述べると云う手法を執っている
 絶句の虚接に於いて、例えば秋思 張籍「復恐忽忽説不尽」 経賈島墓 鄭谷「重來兼恐無尋處」などの全く実態の無い句があるが、律詩の対句に於いてはこの種の表現法は始んど不可能で、強いてこれを為せば柔弱に成ると。

早秋京口旅泊 李嘉祐

移家避寇遂行舟 厭見南除江水流
 家を移し寇を避けて行く舟を遂う 厭いて見る南除江水の流れるを

呉地征徭非舊日 秣陵凋弊不宜秋
 呉地の征徭 旧日に非らず 秣陵の凋弊 秋に宜しからず

千家閉戸無砧杵 七夕何人望斗牛
 千家戸を閉じて砧杵無く 七夕何人か斗牛を望まん

惟有同時・馬客 偏題尺牘問窮愁
 惟 同時の・馬の客の 偏に尺牘を題して窮愁を問う有るのみ

  ・馬 後漢書列伝 後漢の桓典参照

晩次鄂州 廬綸

雲開遠見漢陽城 猶是孤帆一日程
 雲開けて遠く見る漢陽城 猶是孤帆一日の程

估客晝眠知浪静 舟人夜語覺潮生
 估客昼眠りて浪の静かなるを知り 舟人夜語りて浪の生ずるを覚ゆ

三湘愁鬢逢秋色 萬戸歸心對月明
 三湘の愁鬢秋色に逢い 萬戸の歸心月明に対す

舊業已随征戦盡 更堪江上鼓鼕聲
 旧業已に征戦に随って尽き 更に江上鼓鼕の聲に堪えんや

  鄂州 漢晋時代の江夏郡の地 現在の湖北省武昌県武漢市
  更堪 「堪」は屡屡一文字だけで反語の意味に用い、「更堪」は此の上    どうして堪えられようか、「堪えられない」の意味
  三湘愁鬢 三湘とは湘潭 湘郷 湘源 何れにせよこの辺をさまよって居    る中に、白髪になったと言う。


二の三 前虚後実

 これ迄に述べた四実 四虚は共に特徴と欠点 作り易さと難しさが有るが、茲に述べる前虚後実は前聯に感情思考を詠い、後聯に客観的事実を詠う事に依って、四実で述べられた「前後多く相応ぜず」と言う事が防げるし、四虚で述べられた「柔弱に流れる」事も防げる。
 四虚で述べた句の一字一字は客観的事実だが、一句としては情思を述べると云う手法は、見方に依れば実句と虚句とを宜しく案配して居るとも云える。

黄鶴樓 崔頒

昔人已乗白雲去 此地空餘黄鶴樓
 彼の時の仙人は既に白雲に乗って飛び去り、今此の地には 唯 黄鶴樓だけが残っている

黄鶴一去不復返 白雲千載空悠々
 彼の黄鶴は一度去って最早來る事はなく、白雲のみが空しく悠然と浮かんでいる

晴川歴々漢陽樹 芳草萋々鸚鵡洲
 晴れ渡った長江の流れの対岸、漢陽の樹木がくっきりと見える、流れの中程の鸚鵡洲には馨わしい春の花が盛んに繁い茂っている

日暮郷関何處是 烟波江上使人愁
 日の沈み行く頃、故郷は何処かと遥かに眺め遣れば、川の流れは早くも夕靄に覆われ憂愁の情を掻き立てる

秋居病中 雍陶

幽居悄悄何人到 落日清涼満樹梢
 人里離れた侘び住まいはひっそりとして訪ねて來る人もなく、ただすがすがしい夕陽の光が樹木の梢いっぱいに照らして居るばかり

新句有時愁裏得 古方無効病來抛
 愁いつつ過ごす中に時折新しい詩句が出来るが、病気となって古い処方の薬は一向に効き目が無くなり放り出す

荒簷數蝶懸蛛網 空屋孤蛍入燕巣
 荒れた軒端には何匹かの蝶が蜘蛛の巣に引っかかり、がらんとした家の中には、蛍が唯一匹梁の燕の巣に入る

獨臥南窓秋色晩 一庭紅葉掩衡茅
 唯独り南向きの窓辺に寝そべって居ると、秋景色は次第に暮れてくる、庭一面の紅葉が歌舞伎門や茅葺き屋根に覆いかぶさる


二の四  前実後虚

 前実後虚と、後聯が虚句になって「前重くして後は軽く」詰まり後聯は虚だから後ろが軽くなり弱々しく成り易いと言い、其の為虚実の別をはっきりさせない方が良いと言う。

春山道中寄孟侍御 張南史

春來游子傷歸路 時有白雲遨獨行
 春来たりて遊子帰路を傷み 時に白雲の独行を迎える有り

水流亂赴石潭響 花發不知山樹名
 谷川の水は定めなく流れて、岩石の多い淵で音を立てて 山中の樹木に花が咲いているが其の名は知らない

誰家漁網求鮮食 何處人烟事火耕
 誰だろうか鮮魚の食を得ようとして網が仕掛けられてあり 何処であろうか草を焼いて畑を創っていると見え煙が立ち昇る

昨日已嘗村酒熟 一杯思譽孟嘉傾
 昨日宿った村で早くも熟した今年の地酒を味わったが、其れに付けても孟嘉の様な酒好きな君と一杯呑み交わしたい物だ

晏安寺  李紳

寺深松桂無塵事 地接荒郊帯夕陽
 寺は松桂に深くして塵事無く 地は荒郊景に接して夕陽を帯ぶ

啼鳥歇時山寂寂 野花残處月蒼蒼
 鳥がはたと鳴き止む時 山はひっそりと寂しい
野の花の虚ろう辺りに 青ざめた月の光が見える

碧沙凝艶開金像 清梵銷聲閉竹房
 艶やかな色を凝らした碧い沙の帳を開いて金色の仏像が安置され 清らかな聲明がふと止んで、竹の僧坊は閉ざされる

丘隴漸平連茂草 九原何處不心傷
 土を盛り上げた墓は荒廃して 次第に平になり草が繁茂している 墓地を眺め渡せば何処を見ても胸を痛めぬ処はない


二の五 結句

 結句とは一首の結びの句を云い、絶句なら第四句 律詩なら第四聯が其の任に当たる。
 一首に於いて最終句は転句 頷聯(前聯) 頚聯(後聯)などに次いで重要な構成要素である。
 一首を締めくくり語り足りない様な感覚を与えず、而かも適度な余韻を残す事が肝要である。
 三体詩に於いて殊に締めくくりの上手な作品を數例挙げる。

過九原飲馬泉 李益

緑楊著水草如烟 舊是胡兒飲馬泉
 緑楊水に著いて草烟りの如く 舊これ胡兒の飲馬泉

幾處吹笳明月夜 何人倚劍白雲天
 幾處か笳を吹く明月の夜 何人か剣に倚る白雲の天

従来凍合關山道 今日分流漢使前
 従来凍合す関山の道 今日分流す漢吏の前

莫遣行人照客鬢 恐驚憔悴入新年
 行人をして客鬢を照らさ使む莫かれ 恐らくは憔悴新年に入るに驚かん

・ 泉よそばを通り掛かる人に、其の旅に疲れた鬢の毛を映させない様に、 恐らくはやつれ衰えた侭新しい年を迎える事に驚くで有ろうから。
・ 同字重出不可と言うが、此処では「人」と云う文字が二度も用いられて いる、文字の用い方に就いては基本編を参照。

惜花  韓・

皺白離情高處切 膩紅愁態静中深
 皺白の離情 高處に切なり 膩紅の愁態静中に深し

眼随片片沿流去 恨満枝枝被雨淋
 眼は片片の流れに沿って随い 恨みは枝枝雨に淋がれるに満つ
 
総得苔遮猶慰意 若教泥汀更傷心
 全てに苔野 遮ぎるを得て猶 意を慰む 若し泥をして汚さ使むれば更に心を傷めん

臨階一盞悲春酒 明日池塘是緑陰
 階に臨んで一盞 春酒を悲しむ 明日の池塘 是 緑陰


二の六  詠物

 物事の見方に主観的な見方と客観的な見方が有るが、此の詠物と言う手法は対象物を主観的に表現して、対象物を主人公に仕立てながら作者の意図を表現しようとする詩法で有る。
 此の詩法は絶句並びに律詩共に用いられるが、各句共に句意が主題から離れてはならないと言う決まりがある。
 一般には全体として主題から離れていなければ其れでよいが、此処が詠物が他と異なる点である。

鷓鴣 鄭谷

暖戯烟蕪錦翼斎 品流應得近山鶏
 春の暖かさの中で靄にかすむ草原の上を美しい翼を揃えて戯れ遊ぶ其の風格は、始んど山鳥に匹敵すると言って良い

雨昏青草湖邊過 落花黄陵廟裏啼
 薄暗く雨の降る青草の湖辺の辺りを飛び過ぎ、花の散る頃黄陵廟の中で啼き叫ぶ

遊子乍聞征袖湿 佳人纔唱翠眉低
 旅行く人はふと其の聲を耳にして 旅衣の袖を濡らし 美人は鷓鴣の歌を詠い始めたかと思うと、 早くもうつ向いて緑眉を顰める

相呼相喚湘江曲 若竹叢深春日西
 湘湖の屈折した岸辺に互いに呼び交わし、若竹の茂は奥深く春の日は西に傾いて行く

牡丹 羅・

落盡春紅始見花 花時此屋事豪奢
 春の紅の散り尽くした後 やっと真の花 花の中の花と云うべき牡丹が現れ、この花の咲く頃、家家は軒並み此の花を植えて豪奢を誇ろうとする

買栽池館恐無地 看到子孫能幾家
 花の株を買って池の辺りの邸に植え、庭一杯に咲かせてまだ場所が足りない事を気遣おうか 家産を破る事もなく子々孫々まで此花を観賞するのは其の中の何軒有るだろうか

門倚長衢攅繍軛 幄篭輕日護香霞
 大道りに向かう門に多くの賓客を迎えて美しく飾った馬車を連ね、馨ぐわしい霞のような花を護る日除けの帳には微かな日差しが立ちこめる

歌鍾満座争歓賞 肯信年々鬢有華
 鐘を打ち鳴らし歌いざわめき、花の宴に列席する人々は皆こぞって観賞するが、やがて過ぎ行く年月に両鬢に花(白髪)を生じる事を信じようともしないとは

・ 現代詩 七言絶句 録山陽風雅
 御題車 太刀掛呂山
 摩托疾驅縦且横 萬人愛捷蔑長程
 老夫偏頼双輪便 自踏伶丁穿巷行

・ 自動車がスピードを誇って横行する世の中、独りくたびれて自転車を踏 む老人の姿を詠じて居る。

  摩托  現代中国語でモーターに当てられた文字
  疾駆  早く走らせる
  縦且横 並列の熟語 縦横の中に虚字を入れて三文字とした
  愛捷  捷を愛す スピードを喜ぶ
  双輪  二輪車 自転車を指すと思われる 中国語では自転車の事を自      行車 脚踏車 婦人用は女用自行車
  伶丁  零丁に同じ 一人ぼっちで落ちぶれる様

御題木 太刀掛呂山
樗木托生雲壑阿 山中容易歴年多
縦令雖缺李桃・ 未礙挺然纏薜蘿

  樗 荘子逍遥遊編を参照 役に立たぬ大木「樗」で有っても、此の可否   を論じているのは匠の能力が 此の木を利用出来ない事に基ずき、全   く当事者の利己的判断に依るもので、本来可否など有る訳がない。
・ 此の詩は役に立たぬとされる樗の木の生き方を述べて、其れに比し自己 を語ろうとした。

題日本刀 高橋藍川

魚文三尺想干将 紫電曾経百戦場
魚紋三尺干将を想う 紫電曾て経たり百戦場

今日猶藏破邪気 霜鋒凛凛放寒光
今日猶破邪の気を藏し 霜鋒凛凛寒光を放つ


    第三章 五言律詩

 五言律詩にも四実四虚 前虚後実 一意 起句 結句 詠物 が項目として有り、三体詩には多くの類例が挙げられているが、これ等の項目の中七言詩で取り挙げた物は此処では省略させて頂く。
 ただ五言律詩には七言詩には無かった起句 一意と言う項目があるのでこれを取り挙げる事とする


三の一 一意

 形式の規律を守り、聲律上の欠陥を色々模索すると云うのが詩を創るものの通例であるが、時としてこうした常識を破って自在気侭に詩を創り、外形は整って居ない様でいて、実質は節度に叶っている作品があるとすれば其れは矢張り俄かには出来る物ではないので、詩法に叶っているとは限らないが価値有る作品であると言う事である。

・ 説明では形式には叶っていないと言っているが、何処がどう規約に外れ ているのか平仄と韻を検してみよう。

終南別業 王維

中歳頗好道 晩家南山陲
 中歳頗る道を好み 晩に家す南山のほとり

興來毎獨往 勝事空自知
 興じ來れば毎に独り往き 勝つ事空しく自ずから知る

行到水窮處 坐看雲起時
 往き到る水の窮まるところ 坐して看る雲の起きる時

偶然値林叟 談笑滞還期
 偶然林叟に会い 談笑して還た期を滞らしむ

晩泊潯陽望爐峯 孟浩然

掛席幾千里 名山都未逢
席を掛ける幾千里 名山都て未だ逢わず

泊舟潯陽郭 始見香爐峯
 舟を潯陽の郭に泊し始めて香炉峯を見る

嘗讀遠公傳 永懐塵外蹤
 曾て遠公の伝を讀み 永く塵外の蹤を懐う

東林精舎近 日暮坐聞鐘
 唐林の精舎近く 日暮れて坐に鐘を聞く


三の二 起句

 起句とは専ら絶句の第一句を指して云う様だが、此処は律詩だから首聯を指して云っている。
 首聯の二句が際だっている作品、平穏に起こすのが通常であるのに対して奇健な句 則ち「普通でない 風変わりな物 力強くたくましい」などの句を以て始まる作品を集めて一類とした。

軍中酔飲寄・八劉叟  暢當

酒渇愛江清 餘酣溂晩汀
 酒に渇いた喉 江の水の清らかさが一際好ましく、酔い醒ましに夕暮れの水際で口を溂ぐ

軟莎・坐穩 冷石酔眠醒
 柔らかな草の上に腰を下ろせば、快い座り心地 冷たい石の上に一眠りして酔いも醒めた

野膳随行帳 華陰發從伶
 行軍の幕中に広げた野外の食膳 花の陰に伴の楽人が演奏を始める

數杯君不見 都已遺沈冥
 何杯か酒を過ごしたが君達の姿はなく 何時しか深い酔い心地の中に浸って仕舞った

題江陵臨沙驛樓 司空曙

江天清更愁 風柳入江樓
 長江の空は澄み渡り 一層の憂愁をたたえる 柳の立木に風は吹き渡り 岸辺の櫻にそそぎ入る

雁識楚山晩 蝉知秦樹秋
 雁は識る楚山の暮れ 蝉は知る秦樹の秋

凄涼多獨酔 零落半同游
 凄涼独り多く酔い 零落半ば同游

豈復平生意 蒼然蘭杜洲
 豈復た平生の意ならんや 蒼然たり蘭杜洲


    第四章 其の他の詩法

 これまで三体詩をテキストにして色々な詩法に就いて類例を挙げながら解説してきたが、其れ以外の世間一般に云われて居る詩法に就いて解説しよう。
 文学作品などと云う類は規格に沿って創られた物ではなく、後日名称を得る物なので編集者の意向に依っては更に多くの形態に分類されるかも知れないし、そうで無いかも知れない。


四の一 香匳體

こうれんたい
 香匳とは香を入れる箱、女性の化粧道具を入れる箱の意で、香匳體とは晩唐の韓・が編集した「香匳集」から始まる詩の一体で、婦人艶情 媚態 閨怨を歌った作品を指して云う。

忍笑(香匳體)七言絶句 韓・

宮様衣装浅畫眉 晩來梳洗更相宜
 宮様の衣装浅畫の眉 晩来梳洗して更に相宜し

水精鸚鵡釵頭顫 擧袂佯羞忍笑時
 水晶の鸚鵡釵頭に揺らぎ 袂を擧げて佯羞し笑いを忍ぶの情
 長い袂を振り擧げて顔を隠したのは、恥ずかしいから 否否 笑い崩れるのを精一杯堪えている一瞬

美人燭坐図 頼山陽

獨倚銀屏釵影横 酒醒燈冷此時情
 独り銀屏に倚って釵の影横たわり 酒醒め灯冷ややかなりこの時の情

芳心一點向誰語 付與隣樓絃索聲
 芳心一点誰に向かって語らん 付与す隣樓絃索の聲


四の二 論詩

 作品に対する評論を内容とした作品を云う。
論詩 元好問

漢謡魏什久紛紜 正體無人與細論
 詩歌の歴史は漢魏以来久しくごたごたしている 正しい詩体が何であるかを一緒に細かく論じ合う人はいない

誰是詩中疏鑿手 暫教経渭各清渾
 詩の世界に思う存分鑿を揮う人 そして兎も角も其の流れの黒白をはっきりさせるのは誰か



一語天然萬古新 豪華落盡見真渟
 陶淵明の詩はどの一語を取っても全て自然で永遠に新鮮さを失なはぬ
装飾をすっかりかなぐり捨て 唯淳朴その物の姿を見せて居るからだ

南窓白日羲皇上 未害淵明是晋人
 南の窓の昼下がり伏羲以前の太古に心を游ばせる だが其れは淵明が飽く迄も晋の詩人で有ると言う事と矛盾しない

戯倣元遣山論詩絶句 王魚洋

青蓮才筆九州横 六代淫哇総廃聲
 李青蓮先生の文才は中国全土を覆うばかり 為に六朝時代の淫らな歌曲などは影を潜めた

白紵青山魂魄在 一生低頭謝宜城
 白紵山の傍ら青山の麓には李白の霊魂が留まって居るが 宜城の太守で有った謝・に対して李白は一生首を垂れて居るのだ 李白程の大才でも古人に対しては頭が上がらぬとはねえ

論詩絶句二首録一首 日本頼山陽 録漢詩の再吟味

萬首琳琅委手揮 詩鋒未脱白家囲
 萬首の琳琅 手に委せて揮う 詩鉾未だ脱せず白家の囲み

皮毛擺落天真見 一掬恩香在御衣
はいらく
 皮毛擺落して天真現れる 一掬の恩香は御衣に在り

  擺落 払い落とす
・ 菅原道真を詠ず

論詩 河野鐵兜

就人格調写吾情 唐宋元明集大成
 人の格調に就いて吾が情を写せば 唐宋元明集大成す

廉外春深微雨湿 花間百舌不停聲
 廉外春深くして微雨潤い 花間の百舌聲を停めず
 廉外には春深くして微雨潤う花間で百舌が啼いているように、現代の詩人は太平な世を自由な詩を讀んで楽しんでいる。


四の三  評林體 

 「天下の不幸は詩家の幸」と言う言葉がある事からすれば、時事問題は詩に多くの題材を提供しており、多くの詩が世論と共にある事も事実である。 然し現在の日本に於いて漢詩は既に多くの民衆からは遊離した存在で、一方の読者が居ないのだから反応は無いに等しいが、詩を以て時事問題に評論を為そうとした時、その作品を殊に「評林体」と言う。

草蒼蒼 国分青崖 録山陽風雅

飛樓百尺是誰荘 幾個美人脂紛香
 飛樓百尺これ誰が荘ぞ 幾個の美人脂紛香ばし

今日去来只明月 望仙閣上草蒼蒼
 今日去来するは只明月 望仙閣上草蒼蒼
 旧知事は豪奢を好み新知事は金歛(精勤し且つ税を良く取り立てる)を尊び、一國の中で或いは鞭影紛香(馬車に乗って紛香に游ぶ事)、或いは草鞋菅蓑(質素な姿で民情を視察する事)と変幻自在に政情が変わったならば、民はどちらに従ったら良いか解らない。
 雲に聳える百尺の高楼も曾て誰の所有で有ったのか、幾人もの美人が脂紛の香も芳しく出入りしたで有ろうに。
 今日去来するのは明月のみで、望仙閣の辺りは往事の面影もなく草が蒼蒼と繁っている。

・ 既に此の詩の出来る前提条件を周知して居る事に基づく意訳だろう。

奈蒼生 国分青崖 録山陽風雅

此人不出奈蒼生 世上徒傳謝傳名
 この人出でずんば人民を如何せんと期待されて政権を担った人が、実際には世上徒に虚名を傳え、謝安石に似て非なる者であった

貨殖有謀昵商賈 黨援多歳養才英
 其れは政商達と昵んで貨殖の謀に長じ、派閥を作って子分を養う

謙恭下士王安石 反覆欺民呂恵卿
 在野の時は謙恭で居ながら、一躍台閣に登るや手を翻す様に民を欺く

一自黄金能換法 江湖新紙寂無聲
 然し全て黄金の世の中でひとたび金の威力で法律が変えられても、世間の言論会すら、寂として聲無くその批判もしない。

・ 人が人である以上何時の世でも通用する。


四の四  詠史

 歴史を題材とした詩を云う。
本能寺 日本頼山陽
本能寺 溝幾尺 吾就大事在今夕
莢粽在手併莢食 四簷梅雨天如墨
老坂西去備中道 揚鞭東指天猶早
吾敵正在本能寺 敵在備中汝能備

易水送別 駱賓王
 易水の送別

此地別燕丹 壮士髪衝冠
 此の地燕丹に別れし時 壮士 髪冠を衝けり

昔時人已没 今日水猶寒
 昔時人既に没し 今日水猶寒し

 「史記」刺客列伝を参照すると、西暦紀元前の戦国末期、今の河北省北部から、更に北へ広がる地域に燕と呼ばれる國があり、国王の太子に丹と言う人が居た。
 嘗って秦の國の人質に成ったが、ひどい扱いを恨んで逃げ帰り、折り有らば恨みを晴らそうと狙って居た。
 其の依頼を受け、秦王暗殺の一役を買って出たのが荊軻と言う刺客で、愈々出発と云う日、最後の壮行の宴が易水の辺で開かれ、彼の死命を知る者は皆白装束で見送った。
 折しも筑の名手「高漸離」がこれを打ち鳴らすと荊軻はこれに合わせて詠い、うわずる聲に感窮まってしゃくり泣いたが、荊軻は更に進み出て悲壮な聲で詠った。
 「風は蕭々として易水寒く、壮士一度去って又還らず」聞く者皆目を怒らし、髪逆立って冠を衝き擧げんばかりの凄さまじさで有った。

  髪冠を衝くとは、「怒髪天を衝く」とも云う様に、悲憤慷慨の余り髪が 逆立って冠を衝き上げる事。
・ 此の詩の平仄を少し検討して見ると、起 転 結 は五言絶句の平仄式に 合致するが、承句は「壮士」の部分が平平ならピッタリ形式に合う、亦起 句は仄仄平平仄として韻を踏まない(踏落と云う)場合が多い。

讀平語 橋本蓉塘

劉興贏蹶幾場新 有限繁華跡易陳
 劉興贏蹶幾場が新たなる 有限の繁華跡陳なり易し

嗚咽春潮傷帝子 凄涼秋草感佳人
 嗚咽せる春潮に帝子を傷み 凄涼たる秋草に佳人を感ぜしむ

管弦聲絶鳳池月 裙帯香鎖魚腹塵
 管弦聲は絶ゆ鳳池の月 裙帯香を鎖す魚腹の塵

當日風流何處在 餘哀一曲付陶真
 当日の風流何れの処にか在る 餘哀一曲陶信に付す


四の五  俳句短歌を漢詩に

 俳句や和歌などを手本にして同じ内容を漢詩に置き換えて作るには、お手本の歌の意味を表裏ともに十二分に理解した上で無ければ駄作に成る。
 俳句や和歌は表音文字の組み合わせで有るから、当然表面的には少しの事柄しか捉えられない、依って対象を小さく捉えてこれを拡散する手法であるのに対し、漢字は必然的に多くの事柄が捉えられるので、漢詩は大きく捉えてこれを凝縮させる手法である。
 作詩に当たって此の手法の違いをどの様に克服するかが問題で、更に重要な点は、両詩の表面の内容に拘泥して、真意(裏面)が通じ合わない様な事が無いようにする事が肝要である。

建礼門院歌意 安井朴童

青苔白石是吾家 山寺蕭條倚澗阿
 青苔白石此吾が家 山寺簫條として澗阿に倚る

恨殺清涼殿上月 采光偏照他人多
 恨殺す清涼殿上の月 采光偏に他人を照らして多し

「思いきや 深山の奥に住居して 雲井の月を餘所に見んとは」

在原業平歌意 安井朴童

茫茫世事竟如何 忍見王孫厄里閭
 茫々たる世事竟に如何 見るに忍びんや王孫の里閭に厄せられるを

今日四明山下道 満天風雪訪君廬
 今日四明山下の道 満天の風雪君が庵を訪う

「忘れては 夢かとぞ思う思いきや 雪ふみわけて君をみんとは」


四の六  巷間の詩

 これ迄に例示した詩は真面目な内容の作品ばかりであるが、詩と雖も実社会の中にあっては、硬軟織りまぜて存在しているのが実状である。
 茲に示したのはほんの一例で、巷間には多々有るので、頭痛がしてきたら少しばかり世俗に触れて、頭痛を解消させよう。

一物従来六寸長 有時柔軟有時剛
軟如酔漢東西倒 硬似風僧上下狂
出牝入陰爲本事 腰州臍下作家郷
天生二子随身便 曾與佳人闘幾場

温緊香乾口賽蓮 能柔能軟最堪憐
喜便吐舌開口笑 因時随力就身眠
内襠県里爲家業 薄草崖邊是故国
若遇風流清子弟 等閑戦闘不開言


四の七  連作 聯章

 同一の題で幾首もの作品を作る方法を連作と云い、此の場合一首毎に平韻を用いて韻を換える事が必須の条件である。
 古詩換韻格は平仄互いに用いるが構成的には連作と同一範疇で有って、絶句を用いて古詩換韻格と同じ様な構成にするのが連作である。

冬景漫吟十首の内録三首 岩田鴬崖
山寺那邊在 林間乾葉推
行尋塵鹿跡 雙屐踏雲來

寒月空林上 寺門聞吼鯨
山幽人寂寂 静夜冷詩情

霜威何粛殺 筧水暮蕭蕭
樹頂懸氷魄 山容・・高

・ 連作の場合は一首毎に「又」又は「其一」などの区切りが表示されてい るが、聯章の場合は全部続けて書かれて居る。


四の八  集句

 個人の作品の一句を抜き取り、これを集めて一首とする方法で、これには多くの作品を知らねばならない。
 此の場合に注意しないと剽窃の謗りを受ける恐れが有るので、「集句」と断りを入れた方が良かろう。

秋夜集句 梁橋

西風吹雨滴寒更 秦韜玉
 西風雨を吹いて寒更に滴り

宋玉含凄夢亦驚  許渾
 宋玉凄を含んで夢亦驚く

楊柳敗梢飛葉響 譚用
 楊柳の敗梢 葉飛びて響く

千家砧杵共秋聲 銭起
 千家の砧杵秋聲を共にす 


四の九  回文

☆ 其の一

 一般の文章でも行われる遊戯の一種で、文頭から読んでも文末から読んでも、どちらから読んでも文章になる作品を云う。
 詩の場合は平仄や韻が関係するので其れ丈煩わしい。

回文 高青邱

風簾一燭對残花 薄霧寒篭翠袖紗
 風簾一燭残花に対し 薄霧寒を篭む翆袖の紗

空院別愁驚破夢 東欄井樹夜啼鴉
 空院の別愁夢を破りて驚き 東欄の井樹夜鴉啼く

又(前掲の詩を句末から書き起こした作品)
鴉啼夜樹井欄東 夢破驚愁別院空
紗袖翠篭寒霧薄 花残對燭一簾風

題織錦図 蘇東坡

春晩落花餘碧艸 夜涼低月半枯桐
 春晩の落花碧草を餘し 夜涼月低る半枯の桐

人随遠雁邊城暮 雨映疎簾綉閣空
 人は遠雁に従う邊城の暮れ 雨は疎簾に映じて綉閣空し

又(前掲の詩を句末から書き起こした作品)
空閣綉簾疎映雨 暮城邊雁遠随人
桐枯半月低涼夜 艸碧餘花落晩春

題画回文 森春涛

山外門沿舊石磯 去雲閑趁暮舟歸
 山外門は沿う旧石磯 去雲閑かに暮舟を趁うて帰る

環渓隔樹晴煙斷 寒葉帯秋如雨飛
 渓を環り樹を隔てて晴煙り断へ 寒葉秋を帯て雨の如く飛ぶ

又(前掲の詩を句末から書き起こした作品)
飛雨如秋帯葉寒 斷煙晴樹隔渓環
歸舟暮趁閑雲去 磯石舊沿門外山

 此処で回文の構成に就いて、高青・の作品を例として、文字がどの様に配置されているかを少し考究してみよう。

  風 簾 一 燭 對 残 花歌韻  薄 霧 寒 篭 翠 袖 紗歌韻
東韻風 簾 一 燭 對 残 花    薄 霧 寒 篭 翠 袖 紗

  空 院 別 愁 驚 破 夢    東 欄 井 樹 夜 啼 鴉歌韻
東韻空 院 別 愁 驚 破 夢  東韻東 欄 井 樹 夜 啼 鴉

 この様な文字の並びに成っているが、これには次のような言葉の配置が 考えられる。
 先ず一例として七言絶句正格平起式を擧げれば、
起句△ ○ ▲ ● ● ○ ◎  承句▲ ● △ ○ ▲ ● ◎
転句▲ ● △ ○ ○ ● ●  結句△ ○ ▲ ● ● ○ ◎

 これを逆に辿ってみると承句と転句の一文字目を「平韻」にする事が要求され、これを含めて書き換えると
起句◎ ○ ● ● ● ○ ◎結句承句● ● ○ ○ ▲ ● ◎転句
転句◎ ● △ ○ ○ ● ●承句結句◎ ○ ▲ ● ● ○ ◎起句
の様な配置となる。
 扨てこの回文を作るにはどうするか、さし当たって次の二つの方法が考えられる。
 その一つとして、お手本の作品を用意し、使用している文字を名詞形容詞動詞助動詞副詞数詞などに分別して、其の各々に別の言葉を当て填めていけば、再構成という形で回文は成立する。
 もう一つの方法として、上から読んでも下から読んでも文として成り立つという事は、例えば、A B C D C B A の様な詞の構成を考えて、上から読んでこれが文として成り立つならば、当然下から読んでも文として成り立つ。

 例えば題織錦図 蘇東坡 春晩落花餘碧艸を例に取れば、
A  B  C  D  C  B  A
春 晩 落 花 餘 碧 艸
名詞 名詞 動詞 名詞 動詞 名詞 名詞 となり、此処に提示した幾種かの回文にも、この様な折り返しの構文となったものがある。

☆ 其の二

 ここに面白い読み方をする回文が有るので紹介しよう、これは上から読ん
でも下から読んでも同じという類ではない、グルグル廻ると言う意味で、た
だ同じ方向に廻るとは限らない、右に廻ったり左に廻ったり。 録吟詠新風
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・ 此十字四季回文詩、是亡友葉秀山老人遺作、極為巧妙、前年葉丈逝世、・
・享年九十八、今将此詩公之於世、以作葉丈之百年祭。 上海張聯芳 ・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・ 新 ・ 香 ・
・ 春 色 ・ 蓮 長 ・
・遊 景 春遊遇雨喜初晴 ・碧 日 香蓮碧水動風涼 ・
・遇   晴 雨喜初晴景色新 ・水 夏 水動風涼夏日長 ・
・ 雨 初 新色景晴初喜雨 ・ 動 涼 長日夏涼風動水 ・
・  喜 晴初喜雨遇遊春 ・ 風 涼風動水碧蓮香 ・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・ 秋 ・ 紅 ・
・ 幽 色 ・ 爐 冬 ・
・雲 一 幽雲白雁過南樓 ・炭 雪 紅爐炭火禦寒風 ・
・白  樓 雁過南樓一色秋 ・火 避 火禦寒風避雪冬 ・
・ 雁 南 秋色一樓南過雁 ・ 禦 風 冬雪避風寒禦火 ・
・  過 樓南過雁白雲幽 ・ 寒 風寒禦火炭爐紅 ・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


四の十  連環體

何首かの詩が環の様に連なり、最終の句が最初の句に続く様に成って居て、例示の詩では最初の句は「延々一路訪京都」で、最終の句は「延々一路去京都」と成って居る。
         録黒潮集
游京団体観光旅四首 野間止水
延々一路訪京都 修復金堂積歳摸
篤信同朋倶拝賽 真宗王国儼雄図


真宗王国儼雄図 如此規模忘老躯
歌劇燦然如夢裏 提携有馬浴湯倶


提携有馬浴湯倶 六甲籃車上下途
四望雲晴風景好 荘厳仏塔聳天衢


荘厳佛塔聳天衢 國寶鷺城堪酌觚
歓喜旅情交逼腮 延々一路去京都


四の十一 柏梁體聯句

詩会など多数の人が参加する作詩法で、先ず主催が題と韻を決め、各韻文字を書いた紙片を人数分だけ作成し、此の紙片を無作為に各人に配布する。 受け取った人は紙片の韻文字を句末に用いて、残りの六文字は平仄を問はず、主旨に沿った一句七文字の句を創る。
 全員の紙片を回収し、主催が題意に沿った内容に成るよう、紙片を並べ併せ一詩とすれば、則ち平仄を問はない毎句押韻の聯句と言う事になる。
 そもそも拍梁體の起こりは、漢の武帝が群臣を拍梁台に集めて七言の聯句を作らせたのが始まりだと言われて居るが史実では無いようだ。

南紀詩会清集拍梁體聯句 緑黒潮集
禿筆一枝詩半醸 山本秋蓉
詩盟唱酬共連床 速見苑城
微酔朗吟清宴場 松本舞城
追見湾頭漁火光 林 華雲
金風颯颯秋菊芳 浅利香城
霊峰南麓是我郷 生駒鳳城
青松交枝風景長 西 布石
新詩賦得気揚々 安濱龍城
世上紛紛易断腸 仲 熊川
青雲意気一軒昴 濱黒聖城
苦吟初賦詩一章 広沢節城
迎師唱酬一筵香 榎本法城
詩筵交歓呼玉觴 高橋藍川
昭和五十六年十一月七日

席上拍梁體聯句 録黒潮集
愁緒如何落花初 畔田鯉水
箇中幽趣誰不如  山本秋蓉
吟歩郊村句可漁  青木戌蹊
百花飛盡風払裾  田中鳩紫
歸鳥落日城外墟  高橋湘川
塵外清遊楽有餘  西本玉弦
閑愁一片終難除  中瀬菖香
緑陰閑居伴琴書  森山松雨
清風一榻談笑餘  中田松琴
習習薫風柳枝梳  本田秋光
新緑堤邊坐釣魚  幸田素英
誰知薫風一愁予  久保葭尚
旧友一別交情疎  中山彩霞
閑愁兀兀野人居  藤畑柴芳
茶香詩味世縁虚  小川芦香
門前無復來往車  柳田棹聲
薫風満袖歩自餘  鈴木岩山
養老未厭窮巷閭  中山二青
遮断風塵忘毀誉  中山聴風
怙然養形林下廬  高橋藍川
昭和五十七年六月 於本正寺


四の十二  野馬臺詩

 茲に変わった読み方をする五言詩が有るので紹介しよう
 伝説に依れば唐の時代、囲碁の事で恥を掻いた安禄山は当時遣唐使として唐に来ていた吉備真備公に此の詩を示して読んで見せよと云ったが、幸いにもこの時阿倍仲麻呂の霊が現れて、教えてくれたので読む事が出来、玄宗皇帝は感服し、種種の宝物を下賜し真備公を帰朝させたと云う事である。
 吉備真備公は留学生、そして遣唐副使として二度に亙り中国を訪れ、各種の学問を修め、多数の書物を持ち帰り唐の文化を日本の政治文化に繁栄させた功労者との事です。
 野馬台詩は五言十二韻の百二十文字なれど、其の文は縦横に乱れて読む事が難しく、何れの文字から読み始めたら良いかを知らず、中国に於いても古来これを読み得る者は極めて稀で有ったとの事で、漢の宝誌和尚の作と云われている。

・ 茲に読みを付すので、各自文字を辿って読まれると良かろう。

野馬臺詩 漢 宝誌和尚
始定壌天本宗初功元建
終臣君周枝祖興治法主
谷孫走生羽祭成終事衡
填田魚絵翔世代天工翼
孫子動戈葛百國氏有輔
昌微中干後東海姫司爲
  ・始め
白失水寄胡空爲遂國喧
龍游窘急城土范范中鼓
牛喰食人黄赤與丘青鐘
腸鼠黒代鶏流畢竭猿外
丹盡後在三王英稱犬野
水流天命公百雄星流飛

野馬臺詩  漢 宝誌和尚
東海姫氏國 百世代天工 有司爲輔翼 衡主建元功
初興治法事 終成祭祖宗 本枝周天壌 君臣定始終
谷填田孫走 魚絵生羽翔 葛後干戈動 中微子孫晶
白龍游失水 窘急寄胡城 黄鶏代人食 黒鼠喰牛腸
丹水流盡後 天命在三公 百王流畢竭 猿犬稱英雄
星流飛野外 鐘鼓國中喧 青丘與赤土 范范遂爲空


四の十三  依韻 和韻 用韻 次韻 畳韻 進退韻

 漢詩の応酬をする場合、韻文字の用い方に就いて表題の様な方法が一般に行われている。(進退韻は別)
依韻  前作に対して応酬する場合、相手が一東ならばこちらも一東、     の様に同じ韻で詩を創る。
和韻  前作に対して応酬する場合、韻文字の用い方は依韻と同様だが、     原作の意を承けて韻を次ぐ。
用韻  前作の韻文字を用いるが、順序は拘らない。
次韻  前作と同じ韻文字を同じ場所に用いる。
畳韻  同じ韻文字を用いて、十首も二十首も創る、これは連作とは相     反する規定である。
進退韻 通韻の韻文字を以て交互に押韻する事をいう。

次韵酬魚銭大雅 高橋藍川
偏喜詩壇交契眞 高風玉韻仰伊人
禪餘耽詠吾憐我 到底乾坤無用身

・ 次韻酬魚銭大雅 次韻は他の人(魚銭氏)の作った詩の韻字を、其の侭 使って別に作詩する事。
  魚銭大雅 奥田魚銭氏を尊敬して云はれたもので、魚銭大人風雅の士  と言う事

次韻魏潤庵先生見寄詩 高橋藍川
萬里望迷絶海海 崑山片玉最推君
椒蘭兼頌高人壽 笑買元正一盞醺

遊円通寺懐良寛禅師用其韻 柚木玉邨
公往円通寺 修禅二十春
綵玉朋少女 青眼見諸人
飛錫江山勝 乞糧城市闌
徳高知者寡 布衲不嫌貧

・ 詩の応酬に用いる訳ではないが進退韻が有る。

七月初三作進退韻 橋本竹下
未報新涼到草廬 秋聲早已入庭梧
數宵正値双星會 三伏猶餘七月初
蟲可無衣那促織 露如有意漸成珠
青燈好復起吾課 向老味多唯讀書
 この詩の韻文字は廬初書は魚韻で、梧珠は虞韻で、魚韻と虞韻は通韻である。


    第五章 双関

おおむ
 これまでに述べた詩法は概ね句の内容構成から見た方法であったが、五章と六章は文字の用い方に係わる事柄である。
 双関は詩文の表現方法の一つであるが、この言葉は二つの意味に用いられ、その一つとして、双関の文章は左右の二行が合わさって、始めて一つの纏まった文章となるものと、もう一つの用い方として、一つの語句が二重の意味を有する語法で、更にこれには亦二つの用法があって、各々「義の双関」と「音の双関」である。
 なお左右の二行が合わさって、一つの纏まった文章となる双関に就いては、次の章に例示する論語に多く見受けられるので、此処での解説は省く。


五の一 義の双関

雑詩 沈期
可憐閨裏月 常在漢家営
 憐れむべし閨裏の月、常に漢家の営に在り

・ 外面世界の「月色」は内面世界の「少婦」の意味を併せ持つ。
・ 竹ー君子

詞念奴嬌 赤壁懐古 蘇軾
大江東去 浪陶盡 千古風流人物
 大江東へ去って 浪陶し尽くす 千古風流の人物

・ 念奴嬌・赤壁懐古 宋 蘇軾
大江東去 浪淘尽 千古風流人物 故塁西邊 人道是 三国周郎赤壁
乱石崩雲 駑涛裂岸 捲起千堆雪 江山如畫 一時多少豪傑 遥想公瑾  当年 小嬌初嫁了 雄姿英発 羽扇綸巾 笑談間 檣艦灰飛煙滅 故国  神游 多情應笑我 早生華髪 人間如夢 一樽還酌江月
・ 念奴嬌の譜は詩詞譜篇に掲載されている。
・ 大江東へ去るは外面世界の事柄で、内面的には「時代の推移」を暗に示 している。
・ 論語 子罕第九 子在川上曰 逝者如斯夫 不舎昼夜 の語句が有名で、 川の流れと時の推移とはよく対比させられる。
・ 論拠は典故に依るところが多い。


五の二  音の双関

懊・歌 楽府詩集
桐樹不結花 何由得梧子
桐樹は花を結ばず 何に由ってか梧子を得ん

・ 梧子は梧桐子の事 梧子は「吾子」に通じさせていて、梧子と吾子とは 双関の関係にある。
・ 同音異義の単語を用い、一種の隠し言葉として用いている。

登高 杜甫
艱難苦恨繁霜鬢 僚倒新停濁酒杯
艱難甚だ恨む繁霜の鬢 僚倒新たに停む濁酒の杯

・ 僚倒を老到に通じさせている
  中国語辞典をちょっと開いてみれば、「老」ラロオは第三聲で他にこれ と同じ発音の文字がざっと見て七個、「倒」の文字も十個程有つて、例え ば「伏」と言う文字と同じ発音の文字ば、夫膚敷趺などのフウの第二聲で、 伏仏夫幅拂福符蜉輻など五十八個記載されていて、こうして見れば同じ発 音の熟語は相当ある事となる。
・ これらの例は見方に依っては「隠語」とも見られる。
 藁砧ー鐵ー夫
 蓮ー恋い
 油ー憂い
 太刀頭ー丸ー還
 山又山ー出
・ 双関では無いが、字画に依って隠し言葉を創る例として、次の句を擧げ よう。(離合對)
 山上安山経幾歳 口中添口又何時
  山の上に山を措けば「出」の文字に成り、口の文字に口を添えれば「回」 の文字になる。
  出発して何年経っただろうか、故郷へ還るのは一体何時の事だろうか。


    第六章 対句

 漢文学に於いて対句は重要な要素を占め、まして漢詩の中でも律詩は対句が必須の条件で、他の詩形に於いても屡々見受けられる。
 対句とは如何なものか、「詩」に限らず対句は文章法の一つとして長い歴史を持ち、広範囲に用いられて居るので、これ等の類例を擧げながら「詩」に於ける対句に到ってみよう。

六の一 市中に於いて 録中国文学に於ける対句と対句論

☆ 田舎の居酒屋の店先に

黄酒童鶏風味 白頭老媼生涯
 黄酒童鶏の風味 白頭老媼の生涯

☆ 田舎の旅の宿に

對燭三更夢 辞家萬里人
 燭に対す三更の夢 家を辞す万里の人

☆ 煙草屋の店先に

幽蘭君主徳 香草美人心
 幽蘭君主の徳 香草美人の心

☆ 呉服屋には

温暖如人意 纏綿動客心
 温暖人意の如く 纏綿客心を動かす

☆ 理髪店の柱には

到来盡是弾冠客 此拠應無掻首人
 盡く是れ弾冠の客 此拠應に無かるべし掻首の人

 居酒屋 旅館 煙草屋 呉服屋 床屋 それぞれの店にマッチする適切な内容の対句で、商売という甚だ功利的 現実的な仕事をこの様に文学的に表現すると、一種の余裕さえも感じられる。
 形式的にも「黄ー白」色彩対 「三ー萬」數目対 「君子ー美人」的対 「弾冠ー掻首」畳韻双聲対 の如き巧みを具えた対偶に成って、更に両句が同じ文字数からなり、平仄のリズムも叶えて詩の形式にも叶った二句を、楹聯としている
 左右均整がとれて楹聯としてふさわしい事は勿論であるが、両句がお互いに補い合い、反映する事に依って其の表現が興感を深めている。


六の二 論語の中に

 論語は孔子と其の弟子達の問答の記録で、孔子の門人の門人、則ち孫弟子達の時代になって魯の國で編集された孔子の言行録である。
 其れ迄の間、弟子達が各自手控えとして書き留めて居たと考えられるが、其の手控えまでの過程は記憶に依るもの、口承に依るもの等、保存の形態は色々考えられる。
 記憶や口承に便利にする為には、其の文章が特殊な形態を取るであろう事は容易に想像でき、対偶句法も其の形態の一つとして考えれば、論語に対偶法の多い事も当然の事として理解される。
 論語の中の対偶表現は二百五十例有り、論語は約五百章から成り立って居るから、二章に一章は対偶表現がある割合となる。
 これ等の事は対偶表現が中国の文章に於いて、如何に根強い物で有るかと言う一つの証明でもある。
 記憶したり口誦したりするには単句よりは対句である方が便利であり対句を組成する両句が互いに支え合って記憶するのに便利な構文法である。
 語録の資料が記憶や口誦の伝達による為に、其れに適した表現形態に定着して来たので有って、対偶表現も其の一環と考えるべきで有る。

・ 読みと解説は論語の解説書に依るとして、此処では省きます。


六の二の一 対立

古学者爲已       古の学者は已の為にし   憲問篇
今学者爲人       今の学者は人の為にす

性相近也        性 相近き也       陽貨篇
習相遠也       習い相遠き也

往者不可諌也 往く者は諌むべからず   微子
來者猶可追也 来る者は猶追う也


六の二の二 調和

食無求飽 食飽く事求むる無く    学而
居無求安 居安き事求むる無し

貧而無諂 貧にして諂う無く     学而
富而無驕 富にして驕る無き

其生也榮 其の生や栄       子張
其死也哀 其の死や哀


六の二の三 繰り返し

君子上達         君子は上達し       憲問
小人下達        小人は下達す

非礼勿視 礼に非ざれば視る勿れ   顔淵
非礼勿聽 礼に非ざれば聴く勿れ
非礼勿言 礼に非ざれば言う勿れ
非礼勿動 礼に非ざれば動く勿れ

富與貴 是人之所欲也 不以其道得之 不處也。      里仁
 富と貴 是れ人の欲す所なり 其の道を以て之を得ざれば 處らざるなり

貧與賎 是人之所悪也 不以其道得之 不去也。
 貧と賎 是れ人の悪む所なり 其の道を以て之を得ざれば 去らざるなり


六の二の四 交錯

君子泰而不驕     君子は泰にして驕らず   子路
小人驕而不泰     小人は驕りて泰なり
為政
学而不思則罔   学びて思はざれば則ち罔く
思而不学則始   思いて学ばざれば則ち始む

質勝文則野 質文に勝れば則ち野   雍也
文勝質則吏 文質に勝れば則ち吏


六の二の五 尻取り 雍也

知之者不如好之者 之を知る者は之を好む者に如ず
好之者不如楽之者 之を好む者は之を楽しむ者に如ず
斎一變至於魯     斎一變せば魯に至らん   雍也
魯一變至道      魯一變せば道に至らん

名不正則言不順 名正からざれば則ち言 順ならず 子路
言不順則事不成 言 順ならざれば事成らず
事不成則礼楽不興 事 成らざれば礼楽興らず
礼楽不興則刑罰不中 礼楽興らざれば刑罰 中らず
刑罰不中則民無所措手足
刑罰 中らざれば民 手足を措く所無し
六の三 詩経の中に

 詩経の如き単純素朴な畳詠体の詩は、各章の文字の変化が少ないから、これを記憶するのに便利である。
 筆記の術を知らない古代の庶民に取って、甚だ記憶し易い形であって、今日に民謡などにそうした表現が多い事も、同じ理由からであろう。
 其の点は論語の場合でも言える事で、「富與貴」の章の如く比較的長い文章でも、繰り返し表現する故に口承に便利であったと考えられる。

桃夭
桃之夭夭 灼灼其華 之子于歸 宜其室家
 桃の夭夭たる、灼灼たる其の華、この子行き嫁げば 其の室家に宜ろし

桃之夭夭 有賁其実 之子于歸 宜其室家
桃之夭夭 其葉莢莢 之子于歸 宜其室家

鵲巣
維鵲有巣 維鳩居之 之子于歸 百両御之
維れ鵲に巣有れば、維れ鳩の之に居る、この子 行き嫁がば、百両の車もて之を迎えん

維鵲有巣 維鳩方之 之子于歸 百両将之
維鵲有巣 維鳩盈之 之子于歸 百両成之


六の四 漢詩の対句

 これ迄の各章で大まかな事は述べられては居るが、律詩は対句を必須の条件として居る事など、漢詩のあらゆる所に対句は用いられ、漢詩と対句は切り放せない関係にあると言える。
 これ迄に対句一般に就いて多少の考究を試みたが、此処では本章の主題とする漢詩の対句に就いて細部に亙り解説を試みる。


六の四の一 漢詩対句の基本要件

   其処で漢詩の対句に就いで其の条件を述べると、

一  詩の対句は互いに平仄を異にする。
   律詩の平仄図を見れば解るが、頷聯 頚聯共に互いに向かい合った二  行は平仄が丁度逆になった配列となっている。

二  文字の働きを互いに同じにする。
   修飾関係に対しては修飾関係で対し、並列関係 補足関係 主語述語関  係 認定の関係など、各々同一用法の関係で対する。
修飾関係とは、例えば青山の青は山の字に先立って其の意味内容を限  定したり、詳しくしたりする。
   並列関係とは、山川 草木 日月 花鳥 風月など対応の関係で並列して  いて、例え文字を逆に配しても其の意味が変わらない、どちらも対等の  関係の語。
   補足関係とは、読書の様に不足を補ったり説明を加えたりする。

三  文字の種別を互いに同じにする。
   実字とは名詞
   虚字とは動詞 形容詞
   助字とは副詞 接続詞 助動詞 前置詞

四  一句で対句を形成している句(句中対)は他のこれと同様に一句で対  句を形成している句とも対を做す。

五  一文字一文字が対して居ても、一句と一句が対して居なければ、対句  とはならない。
   一文字一文字を対応させて句を組み立てても、一句として対応した句  となるとは限らない。

・ 一文字一文字は対で有っても、句としては対でない例の一。
 風引寂寥空落涙 人堪悲悼只呑聲
  一見対句と見間違えるが、省略された文字をも書き加えて書き直せば
風 引 寂寥 於是 人 空落 涙 
 人 堪 悲悼         只呑 聲
と言う句になる。
  風引寂寥空落涙 の句は主語が「風」と「人」とで二つの句から構成  されているのに 人堪悲悼只呑聲 の句は主語が「人」の一つの句で構成  されている
・ 一文字一文字は対で有っても、句としては対でない例の二。
並列関係          並列関係
風露 ・・主語述語・・凄清  秋  寂寞

 並列関係          並列関係
 雲煙 ・・並列関係・・星月  夜  蒼范

  確かに並列関係の語句である、然し良くみると「風露」「凄清」が主語 と述語の関係であるのに、「雲煙」「星月」の関係は並列関係である。
録山陽風雅


六の四の二 対句類例

 対句の規約に就いて大まかな事は述べた、そこで実際の対句を抽出して前項の規約との関係を検討して見よう。

主語 動詞 目的語 連詞 主語 動詞 目的語 主語を加えて書き表すと
我 挙 頭 就是 我 望 明月
 静夜思 李白
動詞 名詞(補足)  動詞 名詞(補足)
   挙 頭    望 明月(修飾)
低 頭    思 故郷(修飾)

名詞 名詞    動詞 地名 
花 枝  出 建章

  修飾       補足      怨 皇冉冉
鳳 管   発 昭陽

平 仄   平 平   平 仄   平
風急 天高  猿嘯  哀     登高 杜甫
渚清 沙白  鳥飛  廻
平 仄   平 仄   仄 平   平

平 平   仄 仄   平 平   仄
無邊 落木 蕭蕭  下     登高 杜甫
不盡 長江 滾滾  來
平 仄   平 平   仄 仄   平

仄 仄   平平    平 仄   仄
萬里 悲秋 常作  客     登高 杜甫
百年 多病 獨登  臺
仄平    平仄    仄 平   平

平 平   仄 仄   平 平   仄
艱難 苦恨 繁霜  鬢     登高 杜甫
潦倒 新停 濁酒  杯
仄 仄   平 平   仄 仄   平

平 仄 仄   平   平 仄   仄
遺愛寺 鐘 欹枕  聽 香炉峯下新卜山居草堂初成
香炉峰 雪 撥簾  看 偶題東壁 重題   白居易
平 平 平   仄   仄 平   平

平 平   平 仄   平 平   仄
匡廬 便是 逃名 地 香炉峯下新卜山居草堂初成
司馬 仍爲 送老 官 偶題東壁 重題   白居易
仄 仄   平 平   仄 仄   平

仄 仄   平   平 仄
暗水 流 花徑       夜宴左氏荘 杜甫
春星 帯 草堂
平 平   平   仄 平

仄 平   平 仄   仄
検書 焼燭 短   夜宴左氏荘 杜甫
看剣 引杯 長
平 仄   仄 平   平

仄 仄   平 平   仄
剣決 浮雲 気     送白利従金吾薫将軍西征 李白
引弯 明月 輝
平 平   平 仄   平

 以上対句を分解して句の構成を示したが、読者諸君は実際に句に修飾並列補足実字虚字の印を付けて更に考究すれば自ずと理解されよう。
 本来文学という代物は杓子定規には計れない物だから、既成の作品より学ぶのが最も適切な手段である。


六の四の三 互文

 対句の一形式として互文がある、詩は対偶や平仄等の条件を考慮しなければならないので、一つの纏まった観念を二句に分散し書かれる事がある。
 互文は双関と同様に字面だけでは理解できないので、前後の分脈を探って真意を突き止めなければならない。

 例えば漢の楽府民歌「戦城南」に 戦城南 死郭北 と言う二句が有り、これは整った対句を為しているが、此の意味は戦争は南で発生し、兵士は北で死ぬと謂うのではない。
 これは 戦城南郭北就是死城南郭北 の省略形
であって、戦争は南でも北でも発生し兵士は北でも南でも戦死すると云う事で、二度の言い回しを避けて事柄を分散している。

・ 「而」の文字は詩句には余り用いた例が有りません。
 勿論「就是」は口語体で説明の為に用いた文字です。

 次に白居易の「琵琶行」 主人下馬客在船 の句が有るが、此の句の表現を額面通りに受け取れば、「主人は馬より下りて客を見送り、
客は舟に在って別れ出船の人となる」と言う意味になるが、然しそう取ったのでは誤りとなる。
 言い換えれば 主人與客下馬就是客與主人在舟 主人も客も馬より下り、客も主人も舟に在り の省略形である。
 その事は其れに続く 擧酒欲飲無管弦 酔不成歓惨将別 別時茫茫江侵月
忽聞水上琵琶聲 主人忘歸客不発 の五句を読めば明瞭である。
 此の五句はハッキリと主人と客がどちらも客船に乗り、差し向かいで酒を注ぎ、名残惜しんでいる描写である。
 其れを単純に「主人は馬より下り、客は舟に乗っている」と解釈したのでは正確な理解には成って居ない。

 王昌齢の「出塞」の詩に 秦時明月漢時関 の句がある。字面通りに読めば、何故に明月は秦の時に限り、関所は漢の時に限らねばならないのかと疑問が湧く。
 言い換えれば 秦時漢時明月 漢時秦時関所
これは秦漢の明月 秦漢の関所の意味である。

 曹操の「歩出夏門行 観蒼海」に
日月之行 若出其中 星漢燦爛 若出其裏
 此の句は四句の中で互いに形成され、光輝き運行して止まないのは、「日月」と「星漢」の両方に懸かる言葉である。
 星漢日月が明るく大海に浮遊し、やがて大海に包み込まれ、又再び大海より生まれ出ずる、雄大な景観を描写している。

 これらの事柄を分かりやすく図示すれば
城南      戦 戦城南死郭北 戦城南

郭北       死

主人     下馬 主人下馬客在船 琵琶行 白居易

客人     在船

秦時     明月 秦時明月漢時関 出塞 王昌齢

漢時     関所

問     花 問花尋柳一風流 客途春興 高橋藍川

尋     柳

聴        詩 聴詩問画恍移・ 訪玉邨翁 太刀掛呂山

問        画


六の四の四  対句の種類

 対句の種類と言っても、文学作品の分類などと言う物は編集者の主観による処大であって、あながち合理的とは限らないし分類法も種種雑多で、茲に示した分類に限らないし、仮りに名称を付ければ限りなかろうし、更に其の名称にあっても種種な呼び名があり、重複の感を受ける場合も多々有る。
 実際の句にあっては茲に示した句法が単独で存在するのではなく、色々組合わさって一句を構成するので、猶複雑の感がある。
 対句に就いての書物として「文心雕竜」「文鏡秘府論」などが言われているが、此処での分類法として分類の基準を先ず設け、更に其の項目に従って細分すると云う、二階層の分類を試みた。


☆ 文字が対

正名對 天地 日月

同類對 花葉 草芽

虚実対 江流天地外 山色有無中 王維
独來成悵望 不去泥欄干 彦謙
桑麻深雨露 燕雀半生成 杜甫
・ 天地と有無 悵望と欄干 雨露と生成 共に虚字と          実字の関係。
・ この対法には可とする所説と、不可乃至次善とする          所説とがある。

連珠對 蕭蕭 赫赫
乾坤納納誰知己 鬢髪星星我憫吾 歳晩書懐 高橋藍川
閃閃星穿竹 煌煌月照帷 夏夜雑詠 高橋藍川

双聲對 黄槐 緑柳
       ・ 黄と槐 緑と柳の頭の音が双聲
秋露香佳菊 春風馥麗蘭
・ 佳菊と麗蘭は共に双聲

双聲側対 花明金谷樹 葉映首山薇
・ 金谷とは首山は意味の上では対偶と成らないが、両          語とも双聲である。

畳韻對 彷徨 放曠
         ・ 彷と徨 放と曠の尾の音が畳韻
放暢千般意 逍遥一個心
・ 放暢と逍遥が畳韻。

双擬對 春樹 秋池
       ・ 春に対して秋 樹に対して池

文字對 山椒架寒霧 池篠韻涼風
             もともと
         ・ 山椒は元々山頂の意味で池邊の篠を意味する池篠と          は対に成らない。
然し文字の上からだけなら山と池 椒と篠でピッタ          リと対に成る。
  泉流 赤峯 
         ・ 泉の上部の白が赤と対を成す。従って文字を分解し          て其の一部に就いて考えるのは、一文字丈で良いので          上下二文字を分解して考えなくとも良い。

・ 此の項目は後述分類される項目の更に其の中の文字の用い方に一考を加 えたものである。
  ここに掲載された事柄は文字の用い方として各所に適応されている。


☆ 内容に依る

天文對 武帝伺前雲欲散 仙人掌上雨初晴 崔・
雲移高樹懸初月 日落幽庭藹暮煙 高橋藍川
月暈予知明日雨 星光正見此宵晴 高橋藍川

時令對 関城曙色催寒近 御苑砧聲向晩多 李・

地理對 嶺樹重遮千里目 江流曲似九廻腸 柳宗元

地名對 漢口夕陽斜度鳥 洞庭秋水遠連天 劉長郷
逶蛇富水似之字 ・・剣山如厥名 高橋藍川
藍水浮鳧鷺 華山結髻螺 高橋藍川

宮室對 長楽鐘声花外尽 竜池柳色雨中探 銭起
庭空楓樹動飄影 池澗鯉魚跳有聲 高橋藍川

器物對 千尋鐵鎖沈江底 一片降旗出石頭 劉禹錫
旦暮相携管城子 平生不昵孔方兄 高橋藍川

衣飾對 衣裳已施行看尽 針線猶存未忍聞 元・

飲食對 身健却縁餐飯少 詩清都為飲茶多 徐・

文事對 灯火詩書如夢寐 麒麟図画属浮雲 黄庭堅

草木對 於今腐草無蛍火 終古垂楊有暮鴉 李商隠
花開花落観空色 雲去雲来無古今 高橋藍川
松聳月晴處 蕉揺風到時 高橋藍川
菊花籬畔發 楓葉檻前妍 高橋藍川
梅已盛開仍映檻 鴬能嬌囀似招人 高橋藍川

鳥獣對 雉飛鹿過芳草遠 牛巷鶏塒春日斜 杜牧

形体對 遲暮賞心驚節物 登臨病眼怯秋光 蘇軾

人事對 避客野鴎如有感 損花微雪似無情 韓・
一筵不語世間事 同癖偏追塵外心 高橋藍川

人倫對 名應不朽軽仙骨 理到忘機近仏心 司空國
厨有法華酒 門無猗噸車 高橋藍川

人名對 伯仲之間見伊呂 指揮若定失蕭曹 杜甫
詩趁李長吉 書欣王右軍 高橋藍川

史事對 呉宮花草埋幽徑 晋代衣冠成古・ 李白

方位對 西山落月臨天仗 北闕晴雲捧禁門 岑参

数字對 怨別自驚千里外 論交却憶十年時 高適
修竹千竿篩壁月 虚窓三面納青山 高橋藍川
路三十里飆輪疾 村七八家軽靄浮 高橋藍川

顔色對 月過碧窓今夜酒 雨昏紅壁去年書 許渾
白頭禮佛且修道 赤手廻瀾偏説詩 高橋藍川
青楓自向風前動 白雪方従鬢上斑 高橋藍川

干支對 回日楼台非甲帳 去時冠剣是丁年 温庭・
閑遊今日詩初就 稗史當年夢乍回 高橋藍川

俯仰對 俯観江漢流 仰視浮雲翔     謝霊雲
    俯視清水波 仰看明月光     謝霊運
    俯降千仭 仰登天阻       謝霊運

朝夕對 暁月発雲陽 落日次朱方     謝霊運
    晨策尋絶壁 夕息在山棲     謝霊運
    朝旦発陽崖 景落憩陰峯     謝霊運

視聽對 昔聞汾水遊 今見塵外鏖     謝霊運
    朝聞夕飆急 晩見朝日燉     謝霊運
    目感随気草 耳悲詠時禽     謝霊運


☆ 形式に依る

実字對 荘生暁夢迷胡蝶 望帝春心託杜鵑 李商隠
翆柳堤邊牛臥草 薫風水畔蝶尋花 高橋藍川

虚字對 幾度聴鶏過白日 亦曾騎馬詠紅裙 白居易
偶臨鴨水襟仍暢 也過花園夢乍廻 高橋藍川
依然社稷分南北 底事山川隔弟兄 高橋藍川
已擲功名身落魄 猶憂家國涙縦横 高橋藍川

聯綿字對 五更鼓角聲悲壮 三峡星河影動揺 杜甫

畳字對 夜窓颯颯揺寒竹 秋枕迢迢夢故山 劉兼 亦称 連珠對
皎皎夜蝉鳴 朧朧暁光發 高橋藍川
日黯黯而将暮 風騒騒而渡河 高橋藍川

聯綿対 看山山已峻 望水水仍清
   ・ 同じ文字が連続する点では、連珠対と似て居るが、内容は異なる、    連珠対 畳字対は意味の上でも二文字は連続して、一語を形成して    居るが、聯綿対は形の上では連続して居ても、意味の上では一文字    づつ独立して居る。

双聲對 別従仙客求方法 曾到僧家問苦空 韋應物
    秋露香佳菊 春風馥麗蘭

畳韻對 鴎鳥忘機翻浹洽 交親得路味平生 李商院
    放蕩千般意 遷延一介心

巧変對 帆去帆來風浩蕩 花開花謝春悲涼 鄭谷
   ・ 一句の中に同じ文字を用いて句中対とし、併せて両句が対となっ    ている

流水対 江客不堪頻北望 寒鴻何事又南飛 王之喚    亦称 走馬対
    欲窮千里目 更登一層樓
憐見残花恨過雨 欲随流水試閑遊 偶得 高橋藍川
野老来看客 河魚不用銭 杜甫
不愁巴道路 恐湿漢旆旗 杜甫
観來栄辱如苹断 抛去功名任水流 高橋藍川
・ 一つの意志を二つに分けて詠んでいる。
流水対と走馬対と別々に解説した書物もあるが、厳密に云えば異    なるかも知れぬが、ほぼ同じである。

錯綜対 春残葉密花枝少 睡起茶多酒盞疎 王安石
   ・ 密と疎 少と多 と交錯している。

倒装對 紅豆啄餘鸚鵡粒 碧梧棲老鳳凰枝 杜甫
まま
   ・ 両句とも故意に顛倒した侭対句としている。順当な語法では
    鸚鵡啄餘紅豆粒 鳳凰棲老碧梧枝

疑問對 家在夢中何日到 春來江上幾人還 廬綸
   ・ 両句とも疑問文である。

問答對 四面雲山誰作主 數家灯火自為隣 朱湾
   ・ 出句で質問 落句で答え 自問自答 自問他答 である。

句中對 孤雲獨鳥川光暮 萬景千山一気秋 
・ 孤雲と獨鳥 萬景と千山 が対句である。そしてこれは漢詩対句    の基本要件の四が該当する、ただ更に「川光暮」と「一気秋」の川
と一の文字が同一種別の文字になればもっと整う。
巷北巷南人影微 夏夜独歸 高橋藍川
善女善男来賽時 栖雲寺偶成 高橋藍川
青苔碧樹雨蒙蒙 栖雲寺偶成 高橋藍川

隔句對 昔年共照松湲影・・・ 鄭都官
松折碑荒僧已無・・・・・
    今日還思錦城事・・・ ・
雪銷花謝夢何如・・・・・
    又
    相思復相憶・・・ 昔我往矣・・・
    夜夜涙沾衣・・・・・ 楊柳依依・・・・・
    空歎復空歎・・・ ・ 今我來思・・・ ・
    朝朝君未歸・・・・・ 雨雪霏霏・・・・・

   ・ 第一句と第三句 第二句と第四句が対句と成って居る。

借對 借音 廚人具鶏黍 稚子摘楊梅
     ・ 「楊」の文字を借りて羊を連想させ、鶏と対応させている。

   借義 酒債尋常行處有 人生七十古来稀
     ・ 尋も常も長さの単位 七も十も数詞
     並列関係の対応で有る。

   借字 竹葉於人既無分 菊花従此不須開
     ・ 竹葉も菊花も共に銘酒の名 則ち文字を借りている。
     ・ 双関の項を参照

的名對 送酒東南去 迎琴西北來

異類對 風識池邊樹 虫穿草上丈

双擬對 夏暑夏不衰 秋陰秋未歸
    又
    議月眉軟月 論花頬勝花
   ・ 二文字が中間の文字に向かって並ぶ

廻文對 情親由得意 得意遂情親
    又
    春草暮兮秋風驚 秋風罷兮春草生
   ・ 情親と得意の二つの連語の位置が、上句と下句では逆に成って居    る。語の流れは上から下へ、下から上へと輪の様に成って旋回して    居る
     春草ー秋風  秋風ー春草 と言う風に用語が旋回する。
秋何月而不清 秋は何れの月にして清からざらん
    月何秋而不明 月は何れの秋にして明かならざらん

離合對 山上安山経幾歳 口中添口又何時
   ・ 文字合わせに類した遊戯性を持った対句で、文字を分解して対句    を作るのである。
山の上に山を置けば「出」の文字になり、口の中に口を添えれば    「回」の文字になる。
出発して何年経っただろうか、郷里に帰るのは一体何時の事だろ    うか。

 対句の用い方としては前項までに詳しく述べたが、大きく分けて二通りの方法があり、行間に於いて互いに対とする方法と、句中対を並列して対句とする方法である。


・▲ ●・・△ ○・・○ ● ●・ 行間に於いて互いに対句とする。
・ 対句 ・・ 対句 ・・対句 ・
・△ ○・・▲ ●・・● ○ ◎・


・▲ ●対句△ ○・・○ ● ●・ 句中対と行間の対の組み合わせ。
・対句 ・
・△ ○対句▲ ●・・● ○ ◎・


・▲ ●対句△ ○対句△ ● ●・ 句中対と句中対の組み合わせ。

・△ ○対句▲ ●対句● ○ ◎・


    第七章 作詩の発想

 今迄の解説は漢詩に関わる方法論で、漢詩は今迄述べた方法を以て組み立てられては居るが、どういう骨組にするかは又別の課題である。
 此の骨組みも千差万別で形式化されているものではなく、其の時々の状況と創作者の発想の結果で有ろうから、後者が一律に形式化する事は仲々困難な作業でもあり、無謀でもある。
 然し一応の便を供する為に、作詩の発想と題して幾つかに分類してはみたが、これは未だ前章迄と同様形式の域を出ではいない。

 この他に最も重要な事として「作者の謂はんとする事柄(真意)」が有って、詩の事柄としては 四季 天象 学問 慕情 快適 哀愁 処世 懐旧 治乱興亡 憂国慨世 詠物 美女 など、それこそ編集者の独断と偏見に依る事大だから擧げれば切りがない。
  おおむ
然しこれらは概ね観賞書の範疇だから遠慮し此処では記載しない。

・ 漢詩はせいぜい十四文字の構成なので、中国語の構文も概ね主語+時刻 +場所+動詞+客語の組み合わせと簡単な構文が多く、他に強調の構文と して主語+把+客語+動詞の組み合わせが時折あり、各々の詞は往々にし て、その前に修飾語を付ける。
  中国語でご飯を食べないは、平叙文で云えば 我不吃飯 と成るが、把 の用法では 我把飯不吃 と成って日本語の語順とほぼ同じとなる。
  詩句は当然に判っている事は省略する事が多く、主語と把の文字は其の 対象となる場合があり、「飯不吃」だけが残って、平叙文の「不吃飯」の 逆となって、奇異に思われる事がある。
・ 主旨の表現の仕方として例えば春日閑居の場合、起句と承句で春日を詠 い、転句と結句で閑居を詠う事がよく行われる。
・ ここで律詩の句の配置に就いて少し考察して見れば、先ず一 二句と詠 い出し、二句を承けて三 四句と詠う。今度は一句を承けて五 六句と詠う。
七八句は結びの句である。

 寒日耽吟       日本 高橋藍川

 盡日耽吟憂悶開 爐邊滋味茗三杯
尽日耽吟優悶開き 炉辺の滋味茗三杯

 偏欣詩思静如水 且識機心軽似灰
偏に欣ぶ詩思水の如く静かに 且つ識る機心灰よりも軽きを

 漠々寒雲峰外起 斑斑残雪樹陰堆
漠々たる寒雲峰外に起こり 斑斑たる残雪樹陰に堆たかし

 指呼歸鳥成行去 山寺鐘聲隠隠来
指呼す帰鳥の行を成して去るを 山寺の鐘声隠隠として來たる

出句 盡日耽吟憂悶開○ ・・爐邊滋味茗三杯・・
  ・・・・・・・・・・・
・ ・・偏欣詩思静如水   且識機心軽似灰

・・・・漠々寒雲峰外起   斑斑残雪樹陰堆

結び 指呼歸鳥成行去  ・・山寺鐘聲隠隠来


七の一  実景の描写 録 作詩詞論登攀集説

☆ 自分の耳目に感じた事を率直に述べる。

春暁 孟浩然上聲篠韻

平 平 平 仄 仄韻  仄 仄 平 平 仄韻
春眠不覚暁 處處聞啼鳥

仄 平 平 仄 平   平 仄 平 平 仄韻
夜來風雨聲 花落知多少

・ 抒情詩
・ 起句で既に題意を起こし
 承けて暁の景を述べ
 一転して夜半からの雨に情を致し
 野外の花の様子を心配する
と云った手法で頗る平易な用語を用いて、情意を表現している。

静夜思 李白平声陽韻

平 平 平 仄 平韻  平 仄 仄 仄 平韻
牀前明月光 疑是地上霜

仄 平 仄 平 仄   平 平 平 仄 平韻
擧頭望明月 低頭思故郷

・ 抒情詩
・ 起句に眼前の月光を写し
 承けて寒々しい夜景に触れて情を起こし
 「疑う」の文字を以て転意も兼ねている
 第三句と第四句とは対句を為し、両句は同等の資格で結句の役目を果たし ている
・ 如何に感じたかと述べないで、「望」「思」と言う文字に情が含まれて いる


七の二  人物の客観視

☆ 人物を客観して、風景に静動を与える

江雪 柳宗元入聲屑韻
千山鳥飛絶 萬徑人蹤滅
孤舟蓑笠翁 獨釣寒江雪

・ 叙景詩
・ 此の詩は第一第二句が対句を為し、起承同等の重さで詠んでいるが、起 承を入れ換えても同じ光景である。
・ 転句に人物を客観し其の情を云わず、読者をして情を起こさせる叙景詩 である
・ 各句とも皆景物で有るから、水墨の好材料となる所以である。


七の三  物を借りて情を顕はす

☆ 或る物を描写するに当たり、人物を借り間接にその物の効用を印象づけ るという手法

蓑 徐克熊入聲陌韻
明月臥苔階 新晴晒灘石
寒塘風雪中 一個漁翁白

・ 起句には月光の中の蓑を云い
 承句には日中に晒された蓑を云い
 何れも無風流で有る事柄を詠んでいる。
  処が寒中の堤にあって、魚翁と言う人物が着ると、蓑で無ければ其の風 流は引き立たないと詠んでいる。
  此の詩は柳宗元の「江雪」を背景に持った詩である。そして其の真意は 常に見栄せぬ物でも、時に応じては大きな働きをすると云っている。

屐 徐克熊 上聲養韻
尋詩木葉響 沽酒落花譲
昨夜故人來 足迹青苔上

・ 詩を創ろうと思って小徑を行くと、木の葉は履き物に響き酒を取りに行 くと、落花は踏まれまいとして道を避ける様に散る。
・ 近接して居る物を詠む事は仲々難しい事であるが、然し詩を詠もうと云う気持ちが有れば詩材は身近に有り、物を見ては情を拡散し其の連想の中より詩句を収束する。

桂花 高橋藍川

迎風桂子落粉粉 一樹依階満苑薫
風を迎えて桂花落ちて紛紛 一樹階に依って満苑薫んばし

金粟如來清浄體 妙音宜在月中聞
金粟如来清淨の体 妙香宜しく月中に在って聞くべし

・ 桂花は月の異名 五の一議の双関参照


七の四  題意を詠む

☆ 題に就いて、其の題意を忠実に詠む。

怨情 李白 枝韻
美人捲珠簾 深坐顰蛾眉
但見涙痕湿 不知心恨誰

・ 美人が簾を捲いて物思いに沈んでいる様を客観的に描写し
 涙を流している様を接写して
 其の心は誰を恨んで居るのかと述べて
 其れが誰であるか、と言う特定な人は決めては居ないが、「題」を中心に して詩文が纏められて居る。


七の五  思いを題に寄せる

☆ 題を設定し、胸の思いを其の題に載せて詠む。

弾琴 劉長卿
冷冷七絃上 静聴松風寒
古調雖自愛 今人多不弾

・ 弾琴とは云っても自分で弾いている訳ではない
 松風ー琴譜に「風入松」と言う譜が有る
 題を設定し、弾琴の情に事寄せて風流の友、稀なるを詠じて居る
 主意は転結の二句に有り、一般に「寓意法」と云われる
音 高橋藍川

到頭誰克解徽音 獨與古人神契深
到頭誰か克く徽音を解せん 独り古人と神契深し

月下花前聴不厭 天來妙韵是幽琴
月下花前聴いて厭かず 天来の妙韵是れ幽琴


七の六  問答を設定する

☆ 句中に問を設定し、其れに応える形式で実際は問答しなくとも、其れに 依って自己を客観視する。

尋隠者不遇 賈島
松下問童子 言師採薬去
只在此山中 雲深不知處

・ 松下に留守している童子に問えば
 先生は薬草を取りに行ったと言う
 そこで余り遠くへは行くまいと思って、山中に捜しに行っては見たが
 雲が深くして何処へ行ったか解らなかった

別内赴微 李白
出門妻子強牽衣 問我西行幾日歸
歸時儻佩黄金印 莫學蘇秦不下機


・ 蘇秦の妻が夫を冷遇し、織り掛けの機より降りて来なかったと云う故事

七の七  諧謔を持たせる

☆ 諧謔味を持たせ、対象を印象づける。

探梅 廓頻伽
何須浅水見横斜 冷蘂幽香自一家
渾似野夫疎懶性 一枝臥地便開花

・ 老木の梅と様子と自分を対照させる事に依って、面白味を出している
  枝を垂れ下げた様子が如何にも無精そうで、其の愛敬有る姿を効果的に 映し出している。


七の八  比較により印象を強くする
☆ 比較により別の角度から観察させる

 高橋藍川 「所見」 七絶の転句と結句
笑他幽鳥如賓客 得得來登錦繍氈

・ 紅葉の落ち葉の上を小鳥が歩いている。錦の毛氈で正に賓客気取りで有 ると
     清 哀随園 「春日雑詩」五絶の転句と結句
山上春雲如我懶 日高猶宿翠微巓

・ 山の上に停滞する雲と、惰眠を貪る我と、、、、如しの語に依って比べ 並べている。


七の九 画を題とする

☆ 詩には画を題材として作詩される事がある

題画 高橋藍川
林下茅廬属釣翁 渓聲禽語指呼中
悠然占断閑天地 竟向人間路不通
 林の下の茅葺きの庵は釣翁の住家であろうか、谷川のせせらぎや、小鳥の鳴き声が手の届くほど身じかに聴かれる。
 ゆったりと占めるこの閑かな天地、竟に下界とは交通も途絶えて路が通じていない。





 巻尾に誌す
 どうやら曲がりなりにも辻褄を合わせたが、ただ恥ずかしい事に、理屈をあれこれ述べても、未だ門にも辿り着けないと言う、厳しい現実がある。
 自他共に許す時を待っていては、恐らく一生無理だろうから、敢えて恥を覚悟で上梓する事とした。
    著者 逍雀 中山榮造

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