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顔色(色相)TopPage
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 色は色相と言って、単なる顔料としての色と、情を含む色がある。朱や赤は、夏と、夏の厳しい暑さ、心の昂ぶり、燃える心を連想させるのである。

 同様に、緑や青碧蒼はそれぞれに、同じ「あお」だが、それぞれに微妙な区別があり、各に語彙がある。芽が萌える事、芽生え、物事の始まり、兆し、文明の始まり、など春を連想させるのである。

 同様に、白は秋、黒は冬を連想させる。色は単なる絵の具としての色ばかりではなく、それに対応した物事の情も併せて表現するのである。

 詩詞作品での用いられ形としては、

 塗成紅色:赤く塗る
 紅蛤蟆:赤蛙
 紅蕪菁:アカカブ
 青山:青い山
 白雪:白い雪
 黒狗:黒い犬

 これら名称として用いられているので、上げれば切りがないが、これらも単に名称の類とばかりは言えない。前後の語彙に関連づけて再考すると、「情」として用いられている場合が多い。

  歳暮歸南山 孟浩然
白髪催年老,
 「白」は単に白い髪の白ではなくて、人生の最終期に逼った状況も合わせて謂っている。

  贈孟浩然 李白
紅顔棄軒冕,白首臥松雲。
 紅顔と白首は単に若者と年寄りを指すのではなく、活力の充満した状況と、終盤差し迫った状況を併せ持っている。

  春望 杜甫
白頭掻更短,渾欲不勝簪。
 白髪頭を掻くと言っているが、これは単に白髪頭を謂うのではなくて、白髪頭と謂う年齢と状況を併せた表現手段として用いている。

  蜀相 杜甫
映階碧草自春色,
 蜀の宰相、諸葛亮の廟をあれこれと謂っているが、その状況として、映階碧草自春色、の「碧草」は諸葛亮の人格表現の手段としての、碧で有る。

  寄左省杜拾遺 岑参
白髪悲落花,青雲羨鳥飛。
 白髪と青雲、何れとも当事者両名の、年齢や意気込み等の状況を間接的に謂っている。作者は岑参で自分を白髪と謂う。左省杜拾遺は役職名で杜甫で有る。杜甫に対しては青雲と謂っている。老境の私、岑参と元気一杯の君、杜甫さん。

 拾い出せば切りがない。創作の立場からすれば、ただ目に映る物事を描写すればよいのではなくて、趣旨を顕出するお膳立てが重要な役割を果たす。その材料の一つに「色相」がある。

   朱夏
   元気・活発・活動的

   白秋・白髪
   最終段階・収穫の時

   緑髪・緑樹・緑葉・緑芽
   生命の誕生・成長の時

青年任性宜行楽,白髪愛花鎖茅門。
朱夏籬畔蟻忙碌,白秋水郷人酔吟。
深紅富貴舊年幹,淡白将離新歳茎。

 字面には色を書かないが、色を基本にしている句
峰頭新雪;砌下繁橙
階前新雪;邑落繁橙
沃野夕陽;啼鴉叢樹
黄帛蓋鞍呈了馬,紅羅纐項闘回鶏。        王建
立當青草人先見,行傍白蓮魚未知。        雍陶

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