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西昆体

 詩の形式は、宋代に成ってからは、唐代のように盛んではなかった。特に新しい文学体系「詞」の出現に依って、多くの詩人は詞の方に力を入れるようになった。その為、宋代は詞の最盛期である。これに対して詩壇は少なからず衰えた。更に詩の文学的な表現から看れば、宋代の風格は、唐代よりも内容的に、詳細で狭くなっているのは事実である。

 但し宋代に優れた詩が無くなってしまったかと言えば、そうではない。宋代にも優れた詩人は少なくない。又、宋代は独特な詩風を持っていると言うことも出来る。例えば詩の中に議論があり、散文による詩があり、湾曲な表現による詩句が多用されるなど、後世の批判の対象にはなったが、宋詩の特徴として、否定することは出来ない。勿論、文学史上の特色と成っている。

 北宋の初期、楊億・劉キン・銭惟演などが、李商隠を真似て、故事を多用し、音節の調和を重視し、言葉の美麗だけを追求して、一時期の流行と成った。然し形式上の李商隠の真似だけで、作品の内容を無視したため、風格が低く、李小隠とは比べものにならない詩作であった。楊億が自分の詩と、自分の風格に似ているもの、十七人の詩を「西昆酬唱集」に編集したため、後世これを「西昆体」と呼んでいる。西昆体の詩は、半世紀ほど流行した。欧陽修とその友人、蘇舜欽・梅尭臣(梅聖愈)などが清らかで奇抜な風格の詩を提唱してからは、西昆体の詩が詩壇を独占した時代は終わった。

 

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