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漢詩詞とは

 漢詩詞とは漢字で書くからではない。漢詩詞とは漢民族の詩詞を謂う。中国の詩歌と謂うことも当たらない。中国とは1949年に建国された中華人民共和国を指して謂う国名だが、中華人民共和国は多民族国家で、伝統的に漢字を使う民族ばかりとは限らない。

 漢民族が詩歌を作り始めたのは、文献として謂われるのは、孔子の時代、詩経、それの編集書籍としては毛詩が謂われている。

 その後、離合集散して漸くに安定した国家が成立したのは、唐王朝に成ってからである。安定した政情に依って、経済と文化が発展した。

 その唐王朝の時代に、いま漢詩詞と謂われている漢民族詩歌(漢詩詞)は完成された。

 安定と繁栄は、徐々に凋落へ向かい、初唐・盛唐・中唐・晩唐から、漢民族国家宋王朝を経て、遂には異民族の侵攻に抗しきれず、異民族占領支配国家、金朝へと向かう。  

 そのご漢民族は、清王朝の崩壊、中華民国の建国、中華人民共和国建国、文化大革命(1978年頃終熄)を経て、唐朝を経ること1000年は、異民族占領下と動乱の時代である。

 漢詩詞は、唐の時代から現代まで、平穏無事に綿綿と続いて来たわけではない。在中国の識者は、漢詩は唐王朝の時代に完成された。その後、発展と謂われるのは、各各の時代の趨勢に対応して、唐詩の株から生えた枝葉である。

 漢詩を学ぼうとする者は、先ず唐詩を学ばなければならない。唐詩を十二分に学ぶことによって、漢詩の根本を習得し、その上で、他の時代の詩歌を学べばよい。そこで注意しなければならないことは、作品と時代背景の関係である。歴史を知れば、作品と時代背景は常に表裏一体で有る。

 漢詩の完成された唐代は、唯一繁栄と安定を享受した時代である。依って作品の模範となる要素も備えているのである。

 唐詩の基本は、客観視にある。日本詩歌に看られる主観視の作品は漢詩には殆ど見られない。日本人の作品には、自己を解剖する!自己を振り返る!などの、主観視の作品があるが、漢民族の作品には、このような思考は皆無に等しい。此は民族性で有って、云々をすべきではない。

 詩法には賦比興の三っ有るが、唐詩の殆どは興である。一見すると賦と読み間違いをするが、時代背景とを勘案して読むと、その殆どが興で有ると言える。日本人の間違いやすいところである。

 日本にも歴史に培われた定型詩歌は存在する。だが如何に歴史に培われた定型と言っても、自己の思いを総て代弁表示することは出来ない。
 漢詩詞も同じ事で、漢詩詞で自己の思いを総て代弁表示することは出来ないのである。大和民族の詩歌、漢民族の詩歌、どちらも、総ての思いに対応している訳ではない。

 大和民族の詩歌に馴染む趣旨なら、大和民族の詩歌を使えばよいし、漢民族の詩歌に馴染む趣旨なら漢民族の詩歌を使えばよい。

 漢詩詞を学んでいるからと謂って、総てを漢詩詞で代弁させようとすることは所詮無理であり、行うべきではない。

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