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第八章 宋

 唐の後五代を経て、太宗(趙光義)が今の河南開封、汁梁に都してから、女真族「金」に追われて都を今の折抗州に移し、これを北宋に対して南宋と云い、その後北方遊牧民族である、「元」に金も滅ぼされ元となる。
 宋代に成ると、作詩は何等特別な行為で無くなり、日記を付け手紙を書き随筆を綴るように詩を書いた。
 だから宋人の詩の数は大変に多い、唐詩の全部を集めた全集に「全唐詩」があり、全五百巻に約四万八千首を収め、大部には違いないがかなり努力すれば通読できない事はない。
 然しながら宋詩はそうした形の全集は出来て居ない。何しろ陸游独りで九千首。千首や二千首の詩人はざらに居て、更に詩人の数自体がうんと多い。
 詩が日常化すると、誰も作れる様になる訳だし、教養有り余暇ある人々が増えれば、作詩人口が増えるのは当然である。
 然しながら、その様に盛んになった宋詩は、後の時代になって中国や日本の詩人達が唐を祖述すべきか宋を祖述すべきか、其の見解が分かれ論争になったりした。
 そして宋詩は何故反発と無関心の対象に成ったかと云うと、宋詩は一口に云ってエリートの詩である。
 唐詩は人間の生の感情を率直に歌おうとし、宋詩は感情を理性に依って修正し、醇化しようとする。
 唐詩はダイナミックで有るのに宋詩は平静である。
 唐詩は華麗で有り、宋詩は淡泊である。
 唐詩は感性的に受容する詩で、宋詩は知的に玩味する詩である。
唐人は文学だけに専念したが、宋人は文学と共に哲学をも文明の課題とし、その事は文明全体の方向を大きく規定する事柄でもあった。
 詩人がそれぞれに哲学を抱き、其れを詩に依って語りたがる事で、人間の現実に対して従来よりきめ細かな、或いは幅の広い目を向ける以上、人間とは何で有るか、如何に生きるべきかを一層切実に考え、そうして哲学の叙述の為には、論理的な言葉を有る場合には詩的調和を破るのではないかと思われる迄用い、所謂る「議論を以て詩と為す」「理を以て詩と為す」で有る。
なかんづく
 就中北宋の周敦頤から、南宋の朱熹に至って大成する哲学の系譜は、民族の伝統として来た思想の、集大成的な体系化であって、この時代に詩人も哲学を愛する雰囲気の中にあって、彼らも亦哲学者としての業績を詩の業績以外に持つ事となった。
 こんな具合だから、宋詩は創る為にも味わう為にも、高度の理性と教養を前提にするので、充分な教養を持たぬ人々が尻ごみするのも無理はなく、広範囲の読者を得るには不利である。

宋 文天祥 林逋 梅尭臣 欧陽修 蘇舜欽 柳永 王安石 蘇軾 黄庭堅  陸游 范成大 揚万里 辛棄疾 載復古 元好問

山園小梅 七言律詩 林逋(和靖)

衆芳揺落獨暄妍 占盡風情向小園
 衆芳は萎み落ちて独り鮮やかに美しく 風情を占め尽くして小園に向かう

疎影横斜水清浅 暗香浮動月黄昏
 疎らな影は横ざまに斜めにして水は清く浅く 闇の香りは揺れ動きて月は黄昏なり

霜禽欲下先偸眼 粉蝶如知合断魂
 霜時の鳥は下らんと欲して先ず眼を盗み 紋白蝶の若し知れば当に魂断ゆべし
幸有微吟可相狎 不須檀板共金尊
幸いに微かに歌いて相畏そるべき有り 拍子木と黄金の樽とを用いざるなり

第一聯ー あらゆる花の姿を隠した寒い季節、ささやかな庭に君臨する梅の花の、艶かしい中に凛とした美しさを唄う。
第二聯ー 梅の花の最も美しさを発揮できる状況の、具体的な描写であると同時に、梅の花の雰囲気の象徴的な表現ともなっていて、古来絶唱とされている一聯である。
第三聯ー 鳥や蝶に託して、梅花を慕う気持ちを述べ、鳥が梅の枝に憩う為に舞い降りて來るとき、止まる前に先ず盗む様に流し目で花を眺めないでは居られない。
第四聯ー 梅花を愛するには、花の下を口ずさみつつさまようのが、最もふさわしい事を述べて、一編を締めくくる。

 小さな詩境を淡泊な筆致で述べた作品で、時代の影響を完全に免れた訳ではない。
 何処か西崑体的なきらびやかな感傷を含んでいて、恋愛の詩とも継りそうな、艶な感じを受ける。

注: 第一句の「妍」の韻は「先」で、「元」の韻に通韻させているが、これは古詩では何でもない事だが、律詩では反則である。(現代韵では反則ではない)

和才叔岸傍古廟 五言古詩 梅尭臣(宛陵)
才叔の「岸の傍の古き廟」に和して

樹老垂纓亂 祠荒向水開
樹は老いて紐を垂れて乱れ 祠は荒れて水に向かいて開く

 古廟の荒れ果てた様子を全体的な雰囲気で示し、老木は社が建立されてからの年月を象徴するかのように聳え、冠の紐を垂らした様に水面に枝を垂らして乱れかかる。
 建物はすっかり荒れ果てて川に向かって開いていると。

偶人經雨○ 古屋爲風摧
 偶人は雨を経て倒れ 古屋は風の為に摧かれる

 祠の荒れた様子を更に一歩踏み込んで示す。
 屋根が壊れ廟内の人形はぶっ倒れている。

野鳥棲塵座 魚郎奠竹杯
 野の鳥は塵座に棲み 魚郎は竹の杯を供える

 それでも此の廟もまんざら見捨てられて仕舞った物でもない、鳥は巣を作るのに利用しているし、本来の目的通りに漁夫は御神酒を献げている。

欲傳山鬼曲 無奈楚辞哀
 山鬼の曲を伝えんと欲すれど 楚辞の悲しきを如何ともするなし

 南国を旅した作者の感動を以て、一編を締めくくる。
 此の社は楚國の「山鬼」(詞譜編参照)の曲の舞台にふさわしい。其れを村人達に教えようとしたが、あの屈原の事が思い出され、其れが自分の境遇と重なって、悲しみを一つにした。屈原歴史編楚辞屈原参照

 祠はだいたい日本の神社と考えて良い、山川の神 土地の神 偉人などを祭り、泥人形を御神体とする。
 そして此処は川岸であるから水神であろう。余りあらたかで無いと見えて、ろくに手入れもされず、荒れている様子を詠んだ。

注:依韻ー一東ならば一東、の様に同じ韻の範疇で詩を作る
 和韻 依韻と形式的には同様であるが、原作の意を受けて韻を次ぐ。
 用韻 原作の韻文字を用いるが順序は拘らない。
 次韻 同韻字を同じ場所に用いる。
 疊韻 同じ韻を用いて、拾首も二拾首も作る。
  
庚申正月遊斎安 七言絶句 王安石
 かのえさる正月斎安に遊ぶ

水南水北重々柳 山後山前處々梅
 水の南に水の北に重なり重なる柳 山の後ろに山の前に處處の梅

未即此身随物化 年々長趁此時來
 未だ直に此の身の物に化すに随はずば 年々長く此の時を趁いて来たらん

 起句承句で春の景を歌う。私ももう年老いた。だが幸いに未だ直ぐに此の身が物の必然的な変化を被るという仕儀に到らなければ、毎年毎年何時までもこの春の時を追いかけて、此の寺にやって來る事にしよう。

注: 七言絶句の第一句は押印する事が普通だが、此の句の様に起句と承句が対句の時は、これを「前対」と言い起句に押韻しなくとも良い。
仄平 仄仄 平平仄・・・・・・・
平仄 平平 仄仄平 韻文字・・・対句
注: 物化ー[荘子]徳充符編に物の化を命とす、に基づいて、物は変化を必然とする所から、人間の被る必然的変化、即ち「死」を意味する。
 

六月二十七日望湖樓酔書 七言絶句 蘇軾
 六月二十七日望湖樓にて酔いて書す

黒雲翻墨未遮山 白雨跳珠亂入船
 黒き雲は墨を翻すも未だ山を遮らざるに、白き雨の珠を飛ばして乱れて船に入るを

巻地風來忽吹散 望湖樓下水如天
 地を巻きて風は来たり忽ち吹きて散らす、望湖樓の下は水天の如し

 眼前の景を其の侭詠んだ純客観的な詩で、黒い雲が墨壺をひっくり返した様に空のあちこちに散らばって居るが、まだ山を隠して仕舞うという所迄は成って居ないのに、真っ白な雨は丁度真を珠ばら撒いた時の様に散らばって滅茶苦茶に船に飛び込んでくる。
 此の夕立も風に吹き払われ、望湖樓の下は大空のように平静に成った。
 
注: 此の詩を寸刻見ると、部分的に  起句 仄平 平仄 仄平平
 は対句の様な言葉使いで有るが   承句 仄仄 平平 仄仄平
 対句ではない。それは対句は原則として文法上は同じ、発音上は平仄を異にするので、此の句は両者を満足して居ないから、対句とは言えない。
注: 脚韻は平声刪韻と先韻で、通韻している、古詩なら何でもない事だが、絶句では変則で有る。然し起句に限っては往々作例がある。

中牟道中 七言絶句 陳與義

雨意欲成還未成 歸雲却作伴人行
 雨意成らんと欲し尚未だ成らず 歸雲却って作す人に伴って行くを

依然壊郭中牟縣 千尺浮屠管送迎
 依然たる壊郭中牟縣 千尺の浮屠送迎を管す

 中牟縣首都○京の小都市 浮屠仏寺の塔 
 中国平原を馬車で行く旅人が、都市に近づいて先ず見るのは都市を取り囲む城壁の上から頭を覗かせるパゴダで有る。
 依然として壊れかかった城壁の上に見える千尺の塔、それは今日も雨模様の平原で旅人を送迎する役目を管掌する。

注: 起句に「成」と言う文字が二度使われている、近体詩の場合一首の中に同じ文字を二度使ってはならないと言われている。
  然し一句の中なら作例も多くあるのだが、同じ意味では良くないと言われている、どちらにしても作詩に当たっては注意しなければ成らない。

春残 五言律詩  陸游

老堕空山裏 春残白日長 陽韻
 老いて空しき山の裏に堕ち 春は終わりに近づき真昼は長し

傭醫司生命 裕子議文章 陽韻
 庸医は生命を司り   裕子は文章を議す

燭映一池墨 風飄半篆香 陽韻
 燭は一池の墨に映え 風は半篆の香を飄はす

個中有佳處 袖手看人忙 陽韻
 個の中に佳き処有り 手を袖にして人の忙しきを看る

  一池硯の池ー硯の海の事、後漢の張芝が池の側で書を学び、余った墨を 池に捨たので、池の水が真っ黒になったと言う故事を意識している。
 私も年をとり、こんな人気の無い山の中へ堕落してきて居るが、春は暮れ残るこの頃、世間では平凡な医者が人の肝心な命を支配し、俗人が尊い文章をあれこれ批評する。
 然し外界のそう言う騒がしさを外にして、私の部屋は飽くまで静かで、墨を硯に摺って置くと、硯の海に湛えられた墨水に燭の影を映し、香を焚くと、風が半ばさし昇った篆字の様な煙をフワフワとたなびかす。
 ひっそりとした境涯の中にも、仲々趣の深い処が有る、其れは私が懐手をした侭、世間の人々があくせく働いて居るのを傍観して居られるからだ。

注: 枯れた風情の中にも、戦闘的な作者の魂を覗かせている。
 

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後催租行 茫成大
 後催租行 前作に対する後作 年貢取立の歌

老父田荒秋雨裏 舊時高岸今江水
 老父の田は秋雨の裏に荒れ 昔高き岸は今江の水につく
 老いた農民を襲った水害、爺さんの田は打続く秋の長雨の為に、作物は台無しにされて仕舞った、何しろ以前は高い岸だったが、今はすっかり水の中に浸かっていると言う有り様だからな。

傭耕猶自抱長飢 的知無力輸租米
 雇われ耕すも、猶自ずから飢えを抱けば、年貢の米を輸す力の無きを確かに知る。
 水害を看る農夫の心中、農夫の独白、私の田はこの様で作りようもない事だから、地主様に雇われて其の田を耕し、手間を稼いでは居るが、其れでも何時も饑じい思いをして居る。

自從郷官新上  黄紙放盡白紙催
 郷官の新たに上に来たりしより 黄紙もて放し尽くして白紙もて催る
 税の軽減の胡麻かしを暴く、今度の知事さんが儂らの上に来てからと言うもの、御上納税免除の黄色い紙の御触れが來ると、その後を追いかけて白い紙の督促状がきて、上納は矢張り免れられない。

注: 黄紙は免税の勅書、皇帝は民心を収める為に、時々勅書を下して減免を公布するが、実際は地方官が勝手に徴収するので、効果が余り上がらなか った。
注: 白紙は徴税の公文書、蘇軾の「詔に応えて四っの事を論ずる書」に「黄 紙もて放し了りて、白紙もて卻りて収む」と有る。

賣衣得銭都納卻 病骨雖寒聊免縛
 衣を売り銭を得て都て納まり終わり 病みし骨凍えると雖も聊めに縛られるを免れる。
 納税の為の苦労、一昨年は家中の有りったけの着物を売り飛ばし、上納を済ませた物だった、お陰で持病持ちの此の老骨は、其の冬ひどく凍えて困ったけれど、取り敢えず年貢未納と云う事で、暗い所へ入れられるのだけは助かった。

去年衣盡到家口 大女臨岐兩分首
 去年は衣尽きて家口に到り、上の娘は辻に臨みて両人ながら首を分かつ。
 売る物が無くなると今度は人間の番である、(家口は家の構成員)第一番の犠牲者に成って呉れたのは一番上の娘、人買いに連れられて出て行くのを村外れの辻まで見送って別れた。

今年次女已行媒 亦復驅將換升・
今年は次の娘は既に媒を行いしに、亦復駆りて将って升に換う。
 今年も矢張り娘を売らねばならぬ、せめて次の娘は人並にと、もう仲人を立てて縁組みも調って居たのだが、それでも次の娘を追い立てるように連れて行って、一合一升の年貢の代金と取り替えた。

室中更存第三女 明年不怕催租苦
 室中には更に第三の娘を存す 明年は年貢の催るの苦しきを怕れず。
 明年はいよいよ末の娘を売らねばならぬ、家の中を見渡すとまだまだ末の娘が残っている。
 こいつが居る限りはまだ安心。来年は御上から幾ら年貢を催促されても、先ず心配には及ぶまい。

注: 此の詩の後半の悲惨さは読むに耐えない。親が娘を売ると云う此の上無い残酷さ、其れも最初はやむを得ず泣く泣くだが、ついには其れを当てにすると云う心理の変遷を作者は見逃さない。
  末の娘を売り尽くせば労農はどう成るのだろうか、土地を無くして自分も下男になるか、流民となって他国の空をさまようしか有るまい。
自分が幾ら頑張っても、労農に娘を売らずに済む様にしてやる力はない、そこに諦めが生まれてくる、其の諦めは全くの無関心になり、事態から目を反らすのだが、其れを許さないだけの良心が范成大には有る。そして彼 は傍観者では有っても、全くの傍観者では無いので有る。
注: 此の詩は初めに記す通り、七言古詩換韻格である。別冊基本篇で詳しく説明するが、先ず韻の換わり方に注意すると、平仄交互に換わっている事、内容の変わり目と韻の換わり目とが一致して居る事、この二点に気付かれた事と想う。

初入淮河四絶 其の四 揚萬里
 初めて淮河に入る四絶

中原父老莫空談 逢着王人訴不堪
 中原の老父は空しく談たる莫かれ 王人に逢着して堪えざるを訴うるを
 中原の地の長老達よ、無駄なおしゃべりは止めてくれ、天子様のお使いに路で出会ったからと云って、現在の境遇の堪え難い苦しみを訴える様な真似はしないでくれ

卻是歸鴻不能語 一年一渡到江南
 却って帰る鴻の鳥は語る能はざれど、一年一度渡りて江南に到る
 看てご覧、南へ帰る鴻の鳥は、言葉なんか言えないけれど、それでも一年に一回は揚子江の天子様のお国へ渡ってくる。
 だがあなた達は口では色々云うが、結局は敵国の領土に縛り付けられて居なければ成らないのだ。

注: 逢着の着は事象が完了している事を示す助詞、現在完了進行形。
注: 四絶とは、同一題の詩四首と云う事で、「連作」と言い、此の場合四首とも韻を異にしなければ成らない。

 唐代末から盛んになった「詞」を一編紹介しよう、清平楽とは詞の形式の名称で、「詞譜」と言い、三人の中の一人が遊んでいる構成は楽府の「三婦艶詩」に良く似ている。

清平楽 辛棄疾(稼軒)

茅簷低小 渓上青々草
 茅の軒は低く小さく 渓の上は青く青き草

酔裏呉音相媚好 白髪誰家翁媼
 酔裏に呉音の相艶かしく好く 白髪の何処かの家の御婆さんか
      ○
注: ○印は前段後段の分かれの印

大兒鋤豆渓東 中兒正織鶏篭
 大児は豆を渓の東に鋤き 中児は正に鶏の篭を編む

最喜小兒無頼 渓頭臥剥蓮蓬
 最も喜ばしきは小児の無頼にして渓の頭に臥して蓮の実を剥くなり。


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