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13-3/21
走馬対または流水対
 対句法の一つで、名称の示すとおり、馬の走るが如く、または水の流れる如くに、記述内容が連続する叙事法を謂う。見方を変えれば、一つの事柄を二つに分けて表現する方法とも言える。

作り方の要点
@ 平仄と韵は対句格律に依るが、起句と承句を綴る要領ですればよい。
A 句は前後の関係をはっきりさせた方が、より流水対の特徴が出る。
B 前後を入れ替えると意味を為さなく成る度合いが大きいほど、前後の関係がはっき りしていると言える。
C 主語が同じ場合は主語を書かない。
D 出句が主語と成って落句が述語と客語と成る場合
E 一般に対句の構成は、平仄配列は並列関係で、意味の上でも並列関係であるが、流 水対は、平仄配列は並列関係であるが、意味の上では前后の関係である。

●● ○○●,○○ ●●◎。
欲訪 君居地 還乗 公汽車

眷愛 故郷地 還開 旧雁書??? 眷愛:懐かしむ

○○ ○●●,●● ●○◎。
尋芳 如幻夢 莫忘 守清貧

●● ○○ ●○●,○○ ●● ●○◎。
白首 伴朋 訪学校,紅花 満院 弄春香。

 

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13-3/22
俯仰對
 この叙事法は、高いものと低いものを並立提示して、新たな境地を導き出す手法である。山の麓で、山の頂の残雪を仰ぎ見て、次に足下の草木を描く。
 人工的なものとの対比なら、飛行機を提示して、足下の蟻を描く。三次元世界の対比とでも言えようか。
 廬山途上之作 
危岩奇石歩纔通,十里羊腸綺夢中。仰見峻峰雲靉靆,臥看深渓霧冥濛。
近覘樹蔭花應白,遠望山腰葉已紅。馥郁香煙包萎脚,廟前一息對秋風。

仰看天際飛機影
俯看隴畝野蟻屯
 畑で耕しながら上空の飛行機を見上げ、足下の蟻の群を見る。そこからは宇宙観が導き出される。

仰看保母慈祥臉 (思いやりのある顔)
臥見身邊好玩鞋 (愛らしい靴)
 わたしは年少の幼稚園生。未だ入園したばかりなの!優しい保母さんの顔と、わたしの大好きな靴。

 

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13-4/3
詩句は喋り易さに任す
 三言兩語 三長兩短 三心二意 三番五次 三朋四友 千方百計 千錘百煉 千難萬険 千言萬語 千叮萬嘱 萬紫千紅 萬水千山
 これら常套語は文字を入れ替えて、兩言三語 兩長三短 二心三意としても、さしたる意味の違いもなく、どちらも成り立ちそうに思えるが、実の所、仲仲そう簡単には行かない。成り立たないのである。
 何故に成り立たないのか?其れは、喋りにくいからである。
 これらの語句は大方於いて、平平仄仄、若しくは仄仄平平かの何れかである。見方を代えれば、中国語の喋りは、平平仄仄、若しくは仄仄平平の声調が喋りやすいと言える。四言句の場合は平平仄仄、若しくは仄仄平平の二通りがあり、五言句の場合は、中に一字を挟み込む方法と、後に一字を付ける方法がある。
平平 平仄仄  平平 仄仄平
仄仄 仄平平  仄仄 平平仄
 詩は朗唱が前提だから、当然の事ながら平仄構成は、喋り易さを基本に成り立っている。古詩が如何に平仄不問の格律詩で有ると謂っても、喋り易さまで不問にする事はないので、自ずと不問にも規は有る。
 即ち平仄平仄平や仄平仄平仄は、当然埒外で有ることは見当が付くが、孤平や孤仄が喧しく謂われるのは、詩句の基本に抵触する事柄だからである。

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13-4/6
同じ文字を幾つも用いた作品
晩唐の詩人 劉駕の作 暁登迎春閣
未櫛凭欄眺錦城,烟籠萬井二江明。香風満閣花満樹,樹樹樹梢啼暁鶯。
主旨:未だ櫛も当てない明け方、欄干に凭り掛かって錦城を眺眺めると,・・・・。香風は閣に満ちて花は樹に満ち,樹樹の樹の梢に暁の鶯が啼いています。樹が3つ続けて使われています。

元?作の行宮
廖落古行宮,宮花寂寞紅。白頭宮女在,閑坐説玄宗。
 此処では「宮」の字が3回使われています。ところで、これに似通った作品、何処かで見た事が有りませんか?
 そうです。吉野三絶の一つとされる、藤井竹外の吉野懐古です。
二つの詩を並べて書いてみましょう。
寥落古行宮,  宮花寂寞紅。   白頭宮女在,  闕ソ説玄宗。
古陵松柏吼天○,山寺尋春春寂寥。 眉雪老僧時輟掃,落花深処説南朝。
 この様に並べられると、素人にも一目瞭然。場所と登場人物を入れ替えただけだ。寥落と松柏吼天○は同じ状況表現だ。更に中国では墓に槇柏の木を植えるそうだが、日本にはそんな習慣はない。余計な借り物までしてしまった。古行宮とは行幸の時の仮宮、古陵とは高貴な人の墓。宮花寂寞紅とは春ではあるが寂しい景色。山寺尋春春寂寥も春の寂しい景色、あちらは紅と言い、こちらは春と言う。 あちらは白頭宮女なのに此方は眉の白いお坊さん。あちらが説玄宗と言えば此方は説南朝と言う。
 今ならこういう作品を著作権侵害と謂い、盗作とか剽窃とも謂います。とんでも無いところで、藤井竹外先生ボロを出して仕舞いました。

陳后主叔宝 戯贈沈后
留人不留人?不留人也去。此處不留人,自有留人處。

岑参 憶長安曲
東望望長安,正値日初出。長安不可見,喜見長安日。

游次公 卜算子
  風雨送人來,風雨留人往。草草杯盤話別離,風雨催人去。  泪眼不曽晴,眉黛愁還聚。明日相思莫上楼。楼上多風雨。

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13-3/30
中國散体詩
 私の交流する中国詩人の中には、数名の散体詩の作者が居る。彼らの詩論を読むとき、例え散体と雖も、詩歌である以上は、言い換えれば詩歌であるからこそ、韵と平仄の配置は重要不可欠な要素であると。
 詩歌について、日本でも同様なことが言えるが、定型ならば上手と下手、十点から九十点まで満遍なく存在するが、散体では十点か或いは九十点か何れかで、途中は寥々たるものである。この事は中國の散体詩壇でも言えると、謂われている。
 散体詩は、一見易しそうだが、定型よりも却って難しい詩形と言える。中國でも文化大革命の後もてはやされたが、さしたる発展も業績もなく衰微の一途をたどっているのが現状である。その反面定型詩は同時代に、歴史の否定と謂うことで弾圧を受けたが、近年は、政策の変更に依って解放され、定型詩詞の良いところが見直され、着実に愛好者を増やしている。
 散体詩歌は、定型詩詞を十二分に習得した者が、次の段階として着手すべき詩形で、安易に指向すべきものではない。中國黒竜江省に、中華新韵学会と言う、定型とか散体とかにとらわれずに作詩活動をしている詩壇がある。葛飾吟社の投稿漢詩欄にも掲載されているのでご参考までに閲覧をしてみては如何ですか。

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12-10/12
韻と平仄
 漢詩詞の創作や観賞する者にとって、韻と平仄は重要な関心事の一つである。漢詩詞愛好者が集まると必ずと言って良いほど、韻と平仄の問題が議題に上がり、平水韻、現代韻、中華新韻、詞韻、更には平仄など議題に事欠くことはない。その場に居合わせた筆者が何時も感じることは、これらの論議の起点をこのままにして有いのか?と言う取り留めもない疑問である。
 若い頃、張先生に中国語を教わったことがある。文字は今で言う繁体字、発音記号は併音字母という至極漢字國らしい記号であった。講座は週一で20人ほど、出席率の良い方ではなかったが、それなりに覚えた積もりで居た。然し残念なことに、数年して先生の都合で閉講と成った。張先生が居ないのでは仕方がないので、ラジオ講座を受講しようとスイッチを入れて吃驚!ラジオから流れてきた言葉は今まで耳にした中国語とは全くの別物の言語ではないか!改めて新聞を開くと矢張り中国語講座である。文字が簡略化されて簡体字に成った事は仕方のない事情と納得しながら、判然としない儘に暫く受講し、其処で知ったことは、同じ中国語とは言っても、日本語と英語ぐらいの開きがあるものだ!と言うことだ。このラジオ講座は、仕事に差し支えるので断念し、その後は聴いていない。
 嘗て中国観光をしたことがある。私の浅薄な耳では、あの細やかなアクセントの言葉は、何がなにやらチンプンカンプンで聞き取れない。ところが飛行機で観光地を換えた途端に、私の耳に入ってくる言葉が何やら意味を為している。あ!若い頃張先生に教わった中国語はこれだ!
 今年の冬、劉さんに連れられて、中国旅行をした。劉さんは中国人だから中国語が出来て当たり前だが、私は劉さんと日本語で話すだけ。上海空港到着後、劉さんの中国語が通じない?乗り合いバスで上海から西湖へ向かう。数時間の旅程である。劉さんに、どんな話をしているの?劉さんも余りハッキリは判らぬ様子。西湖観光の後、更に乗り合いバスで数時間の移動。夕食の材料にと食料品市場に行く。劉さんは売り子と遣り取り盛ん。私は劉さんと日本語で話す。売り子は劉さんに、貴方のお友達何処の人?劉さんは言う。福建の人だよ!
 私には架橋からの投稿も屡々ある。詩詞作品は確かに漢字だが、手紙はフランス語や英語。だがたまに得体の知れない言語がある。アルフアベット綴りだが、英和辞典では検索できない。英語でない言語だ!と言うことだけは判った。何れの言語にせよ架橋にとっては、日本人が漢詩を作るのと同じ環境のようだ!
 さて、又詩詞韵と平仄の話題に戻そう。日本人の多くが討議する韵や平仄の議題が、果たして如何ほどの意義を持つのか?何処に起点を措いて議論すべきか、もう一度原点に立ち帰って看る必要が有ろう。

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13-5/24
白と空
 “白”は「白い」「何もない」から、副詞として用いられるとき、結果に対して予期した成果や対価が得られずに「無駄に(・・・)する」或いは「むなしく(・・・)する」の転義を持つ。
 “空”は「空っぽである」「内容がない」から、やはり副詞として用いるとき「無駄に」「むなしく」の転義を持つ。
 ただ両者には微妙な相違があり“空説”“空講”は話し手の話し方や内容に問題があり(内容が伴わない・口先だけである)、“空”は行為の内容に問題があるため、予期した結果や成果が得られないことで有り、行為そのものに話し手のウエイとが置かれている。
 これに対し、“白説”“白講”は話し方やその内容よりも、聞き手側に問題がある事を表し、“白”は行為の内容よりも既に出ている(あるいは出るであろう)結果に対して成果が見られず、その行為が無駄に終わったことをあらわす。
空忙一天 一日無駄骨を折る
白忙一天 一日無駄骨を折る
 両方とも同じに訳せるが、内容に置いて微妙に異なる。

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戯れ言葉
13-5/28
 薩摩の守・・忠度と言う言葉は誰しも聞いたこともあるし、一度や二度は使ったことが有るだろう。
 言葉の文化、とでも言おうか。この頃は既製服の様な型に填った味気のない言葉ばかりになって、深みのある腹の底を擽るような言葉がすっかり忘れ去られ、言葉に厚みが無くなって仕舞った。身の回りにある庶民の大切な文化が軽んじられた結果だろう。
 厠の火事、屋根屋の褌、蛍のけつ、見るは豊楽銭要らず、気楽な仕舞た屋暮らし、などの言葉を知っているだろうか?用いているだろうか?そう言うと恐らく「品位に欠けた言葉云々」の返事が返ってくると思う。
 其れは、喋り手も聞き手も共に言葉の文化に疎いから出る返事で、適切に用いれば一言にして親近感を与えることもあるし、趣旨に深みを添えることもあるし、その場を和らげる事も出来るのである。
 私は長い間、多くの中国文化人と手紙のやりとりをしている。彼らは農民から官吏、学生から教授まで、実に多くの言葉を知っていて、相互疎通の潤滑油として実に巧みに使っている。
 「厠の火事」が翻訳しにくいのと同じに、中国語の戯れ言葉「歇後語」も文字面では翻訳しにくい一面を持つ。前置きはこれくらいにして、実例を幾つか挙げてこの責を免れよう。
1:唱戯的喝采(役者が喝采する)・・・・・・・・自画自賛する
2:泥菩薩洗臉(泥の菩薩が顔を洗う)・・・・・・洗えば洗うほど見苦しくなる
3:夢裡坐飛機(夢で飛行機に乗る)・・・・・・・空想的だ
4:大風地里吃餃子(大風の中で餃子を食べる)・・言い出しかねる
5:半夜里吃黄瓜(夜中にキュウリを食う)・・・・事の事情を知らない
6:太平洋的警察(太平洋の警察)・・・・・・・・余計なことまで口を出す
7:屋檐下的氷凌(軒下のつらら)・・・・・・・・原因は上にある
8:孫猴子坐天下(孫悟空が天下を取る)・・・・・やり方が大さっぱだ
9:做夢娶嫁婦(夢で嫁を貰う)・・・・・・・・・良いことばかり考える
10:猫儿哭老鼠(猫が死んだ鼠の為に哭く)・・・うわべだけの情け
 文字面でも大方見当が付く言葉も有れば、つかない言葉もある。ちょっと間に一言添えよう。
3:考えることが高い
4:とても口が開けられない   
5:どっちが頭か尻か解らない
6:取り締まる範囲が広い
7:根は上にある?
8:毛むくじゃらの手足
                   
口占二首
五尺青雲戴星耕,當年自識破風筝。
蓬頭未棄功名念,踐起脚來遥里程。


半生黄梁夢,雄心年少時。
頭上撒?子,昨昔得意遅。

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美の表現
 日本では「きれいだ」「うつくしい」は目で見えるものの他に、人の所作にも使えるし、耳で聞く音にも使える。然し中国語では言葉によって此の対応範囲がきちんと決まっている。以下にその対応を述べよう。

 美は視覚・聴覚・味覚などに使える。味わい、雅致などに使える。
視覚的で有形な−物・現象・人・音・詩は美を使う。
漂亮
 漂亮は視覚的なものだけに使う。風景のような形を持たないものには使いにくい。視覚的で有形な−物・現象・人。文学的な表現に使う。音や詩には使わない。
好看
 好看は視覚的なもの総てに使える。ただ好看・好聴・好吃は“美”のような味わい・評価の感情・雅致のニュアンスはない。視覚的で有形な−物・現象・人・文学的な表現に使う。
美麗
 美麗は視覚的なものだけに使う。ただ動作などには使えない。視覚的で有形な−物・現象・人・文学的な表現には使わない。しぐさ、動作には使わない。音や詩には使わない。
優美
 体操などの仕草には優美を使う。字には使う。画には使えない。音ゃ詩は優美を使う。

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古典漢詩詞の創作は有るのか?
 日本の本屋で売られている中國詩詞関連の書物はその殆どが古典関連である。そして鑑賞と言えば、殆ど古典作品が対象に成っている。
 古典の鑑賞なら物理的に可能であるが、古典の創作は物理的に不可能である。古典創作と云う言葉の意味は、本来古典の格律に倣った創作と云う意味で、古典を創作するという意味ではない。
 日本詩歌を例に挙げれば、短歌も俳句も、格律を古典に倣ってはいるが、その用いる言葉から意味合い表現法まで、古典に倣って居る訳ではなく、時宜に応じて変化進歩し、決して陳腐な文化とは成っていない。
 漢詩詞は、日本と中國に共通する文化では有るものの、本質的には中國の詩歌である。そして現代中国に於ける漢詩詞の現状は、日本の詩歌文化と同様に、格律を古典に倣ってはいるが、その用いる言葉から意味合い表現法まで、古典の模倣ではなく、時宜に応じて変化進歩し、今を映す文化と成っている。
 そして格律、即ち聲韵の組み合わせは、新規参入の幾つかが有るものの、音韻が基本にあるので、古典と殆ど変わっては居ない。これは日本詩歌の音数律が変わらないのと同様である。
 日本人が漢詩詞を作る場合、古典漢詩詞の創作と言う言葉を屡々耳にする。この場合、格律はもとより、言葉遣いから意味合いまで、更に物事の考え方まで古典に倣っている場合がある。この様な作品は「擬古」の作品と云うべきで、自己表現手段としての漢詩詞の範疇には入らない。現代人が漢詩を作る場合は、格律だけを守れば其れで十分である。

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13-7/20
漢詩詞の聲韵に付いて
 聲と韵は漢詩詞の格律を構成する基本的な要素である。だが此処に、中國は広大な疆域を有し多民族多言語国家なので、日本のように一民族一言語の方途では解決できない一面を有している。
 多民族多言語の国家では、太古から現代に到るまで、共通な聲と韵を保持することは、通常使用する言葉では、事実上不可能である。
 此を可能にするには、実社会の言葉と詩歌作品上の言葉では、聲や韵の齟齬が当然有るという前提で、詩韵や詩聲詩語を定める。此が即ち平水韵で有り、現代韵で有り、中華新韵であり、又詩語である。
 平水韵は古典で、現代韵と中華新韵は近年の編集である。だが何れの編集も中國全土の言語を齟齬なく網羅している訳ではない。此は物理的に不可能な事柄である。
 平水韵は中國全土と海外華僑を含めて、実社会の言葉と詩歌作品上の言葉では、聲や韵の齟齬が当然有るという前提で、網羅してはいるが、時代の変化に対応していないので、現実との乖離が大きいと云われている。然しながら、現代韵と中華新韵は現代普通話に順依しては居るが、未だ現代普通話が全国共通の言語と成っていない以上、矢張り齟齬は仕方のない現実である。

10-03/01

中華新韵 中文主旨抜粋   日本 千葉県 中山逍雀

 漢詩詞に於ける「詩韵」について、日本では一般に平水韻が云われているが、現在の中国詩詞壇に於いては、若者の間に既に普通話が普及して居るので、平水韵は過去の文化と成りつつある。ではどういう制定韵が有るかと云えば、古典韵の「平水韵」があり、次に上海古籍出版社が出版する「現代韵」が有る。亦次に黒竜江省佳木斯市東風詩社の重陽先生が作詩詞への活用を提唱している中華新韵がある。詩韵の数から云うと、平韵だけの分類でも、平水韵が30韵(106韵)で、現代韵が大分減って18韵(36韵)と成り、中華新韵は16韵(32韵)である。

 これら制定韵の成り立ちに付いて簡単に述べると、平水韵は齋の王融、謝眺などが初めて文章に四声のリズムを用いる様になったと言われているが、聲律音韵が学問的に確立したのは、随の陸法言の「切韵」と言う書物が始まりと言われている。現在漢和辞典に掲載されている大方の韵は「平水韵」で有って、此は西暦1252年湖北平水の人、劉淵が編纂したと言われる韵書を拠り所にしている。

 中華人民共和国建国後の1941年に、中国政府が北京語を基にした現代漢語の?音案「中華新韵」を公布した。その事によって、総ての漢字の正確な発音が分かるようになり、この事は、新しい韵書の編纂に科学的根拠を提供した。1965年に政府の下で、中華書局の上海編集局が特別組織を結成して、漢語?音案が規定した「中華新韵」の母音を基準に、詩詞作品への活用を考慮した音韵の編集が為され、「詩韵新編」を出版した。此を一般に現代韵と言う。

 さて黒竜江省佳木斯市東風詩社の重陽先生が作詩詞への活用を提唱している中華新韵の特徴は、前述の通り現在の中国語(普通話)の母音と一致している事である。これにより日本人にはとても対応し易いという現実がある。日本人が詩韵に馴染めない理由の一つに、中国語辞書の発音と韻表の発音分類とが必ずしも一致していない事にあるが、辞書の発音と韻分類が同一なら、既に韻表は不要となる。外国人である日本人でも、多少中国語を嗜んだ人なら、中国語辞書だけで十分に対応できる。

 ただ此処に、日本人には分かり難い問題がある。上海戸籍出版社の詩韵新編と比べてみると、同一韵の範疇が必ずしも同一母音で無いという事である。視点を変えると、中華新韵は、分類を無機的に行っているが、詩韵新編は詩詞を考慮して有機的に行っていると言う事である。

 中国語辞書をお持ちの方には既に不要なことであるが、取り敢えず韻分類を示しておこう。表示に不都合があるが、ピンインがWebに対応できないので、その点をご理解を戴きたい。

黒竜江省佳木斯市東風詩社の重陽先生が作詩詞への活用を提唱している中華新韵

01-i 02-u 03-u 04-a 05-o 06-e

07-hi 08-ai 09-ui 10-ao 11-an

12-in 13-ou 14-ang 15-eng 16-ong

新韵歌(含16韵)

0701030212150610

1405160904081113

註:この韵表と韵名称が、中国政府が発表した「中華新韵」その物であるのか、或いは重陽先生のオリジナルで有るのかは、定かでは有りません。

 


1965年に政府の下で、中華書局の上海編集局が特別組織を結成して、漢語併音案が規定した「中華新韵」の母音を基準に、詩詞作品への活用を考慮した音韵の編集が為され、「詩韵新編」を出版した。此を一般に現代韵と言う。
 普通話詩韻とも言い、第一聲を陰平、第二聲を陽平と言い、共に平韵です。第三四聲を仄聲とします。古典韵の入聲は中国普通話には存在しない発声法です。編集に当たっては、入声は入声の分類を設けられた場合と、平韻に振り分けられた場合とがあります。依って現実の聲調に合わせて分類されています。

 中国語の発音が四聲で有ると言う定義は、「普通話」に限って言える事で、福建などでは八聲有るとも言われていますから、当然に入声の項目もありますし、他の声調の項目もあるのです。

 中国語の声調が四声で有ると言う定義は必ずしも正しくは有りません。中国は彊域が広大で、一概に中国と一括りに出来ないからです。

(平韻のみの記載です)
一麻 
○陰平
巴、笆、叭、差、叉瓜、呱,哈,呵、花、家,佳、加、嘉、茄、痂、茄,架、葭、珈、跏、迦、袈、誇、拉、藍、媽,嘛 葩、沙、紗、砂、杉,莎,鯊、他、它、蛙、哇、蝦,鴉、椏、呀、唖,査,渣、抓
○陽平
嗄、茶、査、槎、苴、打,蝦,華,嘩,譁,拉,麻、蟆,嘛、拿、南,耙、爬、琶、杷、霞、瑕、遐、暇、斜、牙、芽、崖、涯、?,睚

二波【歌韻と通韻】
○陰平
波、播、玻、搓、磋、蹉、多、過、鍋、堝、豁、羅、呵、坡、梭、蓑、莎、婆、它、窩、萵、倭
○陽平
嵯、螺、羅、騾、鑼、邏、磨、模、摩、魔、謨、膜、無、那、娜、哦、婆、番、駝、鴕、沱、佗

三歌【波韻と通韻】
○陰平
車、的、阿、歌、哥、戈、呵、科、柯、軻、蝌、奢、遮
○陽平
鵡、蛾、娥、訛、峨、俄、哦、和、禾、河、荷、何、苛、蛇

四皆
○陰平
街、階、皆、偕、嗟、些、靴、掖
○陽平
茄、伽、斜、鞋、諧、邪、携、偕、鮭、耶、椰、揶、斜、邪

五支【児・斉韻と通韻】
○陰平
癡、嗤、笞、魑、雌、差、詩、師、施、獅、屍、思、私、糸、司、嘶、斯、偲、厩、知、枝、脂、厄、之、芝、支、肢、氏、姿、資、茲、滋、輜、髭、粢、咨、恣、孳、觜
○陽平
持、馳、池、遅、匙、踟、弛、詞、辞、慈、瓷、茨、祠、磁、茲、雌、時、塒、提、匙。

六児【支・斉韻と通韻】
○陽平
児、而、?、?

七斉【支・児韻と通韻】
○陰平
低、堤、?、羝、提、鶏、基、機、飢、餞、肌、譏、覊、姫、幾、稽、畿、磯、簪、躋、奇、期、其、剞、居、哩、披、丕、紕、期、渓、妻、凄、栖、棲、欺、萋、崎、蹊、梯、西、稀、熈、希、曦、嬉、携、犀、唏、晞、熹、羲、兮、渓、栖、棲、醯、衣、依、医、伊、噫、猗
○陽平
離、籬、犁、黎、梨、璃、驪、狸、蠡、璃、?、迷、弥、泥、尼、霓、児、鮨、其、跂、枝、畦、麒、祈、祗、圻、俟、岐、淇、啼、題、蹄、提、鵜、醍、畦、宜、儀、疑、移、頤、夷、怡、貽、詒、彝、痍、蛇、施、沂、嶷

八微
○陰平
杯、盃、悲、卑、碑、背、鵯、吹、炊、催、?、衰、榱、堆、追、敦、飛、非、霏、扉、妃、菲、緋、規、帰、閏、圭、瑰、傀、亀、鮭、皈、黒、輝、暉、灰、揮、恢、徽、窺、勒、胚、壊、綏、尿、雖、?、推、威、危、微、隈、巍、委、萎、逶、追、錘、椎、騅
○陽平
垂、椎、槌、陸、錘、捶、肥、腓、回、蛔、魁、葵、揆、馗、奎、逵、雷、累、壘、眉、媒、梅、枚、嵋、没、苺、培、陪、賠、壊、裴、誰、随、隋、頬、為、帷、維、違、囲、幃、惟、薇、葦、巍、賊

九開
○陰平
哀、挨、挨、猜、叙、折、呆、待、該、垓、咳、開、楷、拍、思、塞、篩、哀、苔、歪、栽、災、哉、斎、摘
○陽平
挨、呆、癌、皚、白、才、材、裁、財、柴、儕、豺、骸、咳、懐、淮、槐、徊、踝、来、徠、埋、霾、排、牌、徘、俳、台、苔、抬、駘、擇、宅

十姑【魚韻と通韻】
○陰平
逋、初、粗、都、闍、夫、膚、敷、孵、麩、趺、柎、姑、孤、沽、鴣、吼、估、家、觚、蛄、乎、糊、刳、舗、書、殊、輸、舒、疏、妹、梳、蔬、抒、茶、蘇、甦、酥、烏、汚、鳴、悪、巫、誣、於、朱、珠、株、誅、猪、諸、銖、蛛、侏、茱、瀦、租、呼、汚、租
○陽平
除、芻、雛、鋤、廚、躇、蜍、徂、浮、扶、符、孚、俘、夫、抱、桴、鳬、芙、苻、蜉、罘、郛、糊、胡、湖、壷、狐、弧、蝴、瑚、醐、葫、芦、廬、爐、慮、鱸、顱、臚、轤、艫、瀘、模、奴、孥、驚、蒲、脯、菩、葡、苻、如、儒、茹、濡、孺、襦、洳、蠕、繻、図、徒、屠、塗、途、茶、蒐、無、吾、蕪、呉、梧、巫、誣、娯

十一魚【姑韻と通韻】
○陰平
居、車、駒、裾、且、疽、砠、倶、苴、沮、区、趨、嶇、駆、躯、蛆、須、鬚、需、吁、虚、嘘、墟、胥、嘔、繻、迂、淤、紆
○陽平
驢、閭、渠、衢、劬、徐、魚、漁、余、予、于、孟、竿、娯、愉、楡、渝、叟、萸、諛、腴、虞、愚、隅、歟、輿、兪、逾、揄、瑜、覦、嵎

十二候
○陰平
抽、紬、兜、溝、鈎、勾、枸、篝、糾、究、鳩、湫、啾、樛、溜、謳、甌、鴎、欧、殴、嘔、区、秋、鞦、丘、蚯、亀、邱、楸、収、捜、艘、溲、蒐、偸、修、脩、休、羞、貅、悠、攸、幽、優、憂、舟、周、週、州、洲、粥、鄒、陬
○陽平
籌、愁、酬、綢、仇、稠、讎、候、喉、猴、篌、流、留、榴、劉、瘤、琉、旒、楼、婁、窶、僂、螻、髏、謀、繆、眸、牟、牛、抔、求、泅、仇、酋、遒、逑、柔、揉、蹂、鞣、熟、頭、投、骰、尤、游、遊、油、由、猶、蕕、蝣、猷、蚰、囮、軸、舳

十三豪
○陰平
熬、凹、包、胞、苞、褒、標、彪、驃、杓、飆、操、超、抄、鈔、刀、叨、雕、凋、貂、高、膏、羔、?、皋、睾、嵩、嚆、交、焦、蕉、教、郊、嬌、驕、蚊、澆、椒、咬、礁、鶴、鵁、尻、撈、撩、猫、抛、泡、漂、飃、嫖、敲、雀、悄、磽、騒、掻、艘、焼、梢、稍、蛸、叨、掏、滔、韜、饕、涛、挑、佻、銷、削、宵、霄、簫、蕭、瀟、囂、哮、梟、硝、驍、蛸、逍、邀、腰、要、夭、妖、遭、糟、朝、招、抓、着、著、昭、嘲
○陽平
遨、熬、螯、嗷、鰲、鏖、敖、薄、雹、曹、槽、漕、朝、巣、潮、晃、豪、毫、号、壕、濠、貉、嚼、労、牢、癆、撈、醪、聊、蓼、繚、撩、寮、僚、燎、鷯、鐐、毛、茅、矛、旄、髭、錨、苗、描、鐃、撓、橈、呶、袍、庖、匏、炮、咆、瓢、嫖、朴、撲、橋、憔、樵、翹、喬、僑、饒、蕘、橈、蟯、韶、勺、芍、逃、桃、陶、涛、淘、萄、綯、調、条、條、蜩、迢、髫、齠、淆、揺、遥、謡、窰、瑶、肴、尭、姚、徭、僥、嶢、着、著

十四寒
○陰平
安、譜、鞍、庵、班、斑、般、搬、瘢、頒、辺、、鞭、編、蝙、餐、参、驂、穿、川、単、丹、耽、眈、殫、湛、鄲、巓、癲、端、帆、番、翻、幡、反、干、乾、竿、肝、甘、杆、柑、疳、観、関、冠、官、棺、綸、鰥、酣、蚶、鼾、歓、謹、間、兼、尖、堅、肩、艱、煎、奸、緘、箋、監、濺、菅、戔、蒹、鵑、捐、涓、娟、悁、鐫、身、看、堪、勘、刊、龕、寛、拈、攀、潘、番、篇、偏、翩、扁、千、牽、遷、簽、籤、謙、鉛、阡、愆、慳、嵌、仟、搴、騫、僉、圏、悛、三、参、山、衫、作、刪、芟、杉、扇、跚、珊、苫、閂、栓、酸、貪、攤、灘、天、添、湍、蛮、湾、蜿、豌、先、仙、鮮、銛、宣、喧、軒、萱、喧、烟、煙、淹、咽、嫣、焉、殷、燕、奄、閹、閼、湮、鴛、鳶、淵、冤、宛、簪、占、瞻、沾、粘、旃、覘、譫、専、磚
○陽平
残、、蚕、蟾、禅、蝉、纏、孱、嬋、廛、潺、纏、巉、単、船、伝、橡、?、凡、煩、繁、蕃、藩、燔、含、韓、函、涵、汗、邯、寒、還、環、鬟、寰、鐶、桓、蘭、欄、闌、瀾、嵐、藍、籃、襤、連、廉、蓮、憐、聯、簾、濂、巒、鸞、鑾、臠、欒、攣、蛮、漫、瞞、鰻、鬘、饅、謾、埋、留、棉、綿、眠、男、難、南、楠、哺、年、粘、鮎、盤、蟠、磐、蹣、胖、便、駢、銭、前、潜、乾、虔、鉗、黔、全、権、泉、拳、痊、顴、蜷、筌、銓、然、髯、燃、談、弾、壇、檀、潭、痰、曇、覃、譚、澹、田、甜、鈿、恬、団、摶、完、丸、頑、玩、賢、閑、嫌、弦、涎、銜、嫻、威、旋、懸、玄、言、延、顔、研、炎、厳、檐、沿、筵、研、塩、岩、巌、閻、蜒、芫、縁、援、園、源、円、元、員、原、轅、垣、衰、櫞

十五痕
○陰平
奔、賁、賓、浜、瀕、檳、彬、繽、参、嗔、春、椿、村、敦、頓、蹲、燉、惇、鐓、恩、分、芬、紛、氛、吩、根、跟、昏、婚、葷、金、今、斤、巾、筋、禁、津、襟、矜、衿、軍、均、君、鈎、昆、坤、鯤、褌、焜、悶、噴、親、侵、欽、駸、逡、森、身、深、伸、申、参、紳、呻、娠、神、孫、呑、暾、燉、温、瘟、心、新、欣、辛、薪、馨、芯、忻、薫、燻、醺、葷、陰、蔭、音、因、姻、股、菌、氤、湮、慇、咽、堙、?、暈、真、眞、珍、針、砧、斟、貞、偵、驕A禎、箴、臻、甄、振、蓁、諄、屯、尊、樽、遵、
○陽平
岑、辰、塵、晨、*沈、陳、臣、橙、*忱、唇、純、淳、醇、鶉、存、蹲、焚、汾、扮、墳賁、濆、枌、痕、魂、渾、隣、臨、林、麟、鱗、霖、燐、琳、淋、倫、論、輪、淪、綸、崙、門、們、捫、民、緡、岷、旻、盆、貧、頻、苹、嬪、勤、芹、秦、琴、禽、擒、衾、檎、覃、群、羣、裙、人、仁、任、壬、妊、神、甚、屯、飩、豚、腎、燉、敦、文、聞、蚊、紋、尋、旬、尋、洵、筍、、徇、詢、循、巡、馴、恂、潯、吟、銀、垠、淫、聴、听、霪、齦、崟、寅、雲、繧、

十六唐
○陰平
邦、浜、傍、蒼、倉、艙、滄、昌、娼、猖、菖、窓、創、瘡、当、鐺、襠、方、芳、妨、坊、肪、枋、岡、綱、鋼、剛、扛、杠、肛、光、胱、洸、荒、慌、肓、江、疆、将、漿、姜、矼、康、糠、慷、筐、匡、滂、膀、腔、槍、蹌、鏘、姜、搶、桑、喪、商、裳、傷、殤、觴、湯、霜、孀、汪、郷、香、相、箱、湘、嚢、驤、秩、央、鴦、泱、殃、鞅、張、章、彰、璋、樟、荘、装、妝、
○陽平
昂、蔵、長、腸、常、償、嘗、裳、嫦、場、床、撞、幢、防、妨、房、行、航、杭、吭、頏、絎、黄、煌、凰、蝗、篁、徨、遑、鍠、鰉、湟、扛、狂、誑、郎、狼、廊、琅、浪、踉、量、梁、涼、跟、?、忙、盲、茫、鋩、茫、嚢、娘、傍、彷、磅、滂、膀、強、牆、墻、檣、薔、穣、攘、禳堂、塘、糖、唐、棠、螳、溏、王、亡、忘、詳、祥、翔、降、庠、陽、揚、楊、羊、洋、佯、瘍

十七庚【東韻と通韻】
○陰平
崩、繃、兵、冰、開、檳、屏、称、?、瞠、鐺、槍、登、燈、丁、釘、叮、疔、風、豊、峰、蜂、封、楓、鋒、烽、瘋、耕、庚、更、羹、粳、亨、精、驚、京、経、睛、旌、晶、鯨、兢、荊、茎、菁、更、坑、鏗、吭、蒙、矇、烹、澎、怦、嫂、青、清、軽、卿、蜻、傾、僧、生、声、升、昇、勝、笙、甥、騰、聴、庁、汀、翁、星、興、腥、馨、醒、猩、惺、應、英、鴬、鷹、嚶、鸚、纓、櫻、膺、瓔、増、憎、曽、正、争、征、徴、箏、鉦、崢、蒸、錚、丁、諍、鯖、
○陽平
曽、層、成、城、誠、承、程、盛、乗、澄、橙、呈、丞、醍、逢、縫、馮、恒、横、衡、桁、峻、楞、薐、齢、零、霊、菱、綾、陵、凌、聆、令、鈴、櫺、蛉、羚、鴒、囹、萌、盟、蒙、濛、矇、檬、艨、虻、甍、名、明、銘、鳴、冥、螟、瞑、溟、能、檸、凝、寧、嚀、獰、朋、蓬、篷、棚、鵬、彰、膨、平、萍、屏、評、凭、憑、瓶、坪、苹、情、晴、檠、鯨、黥、仍、縄、藤、疼、騰、滕、廷、庭、亭、停、霆、蜒、渟、莚、行、形、刑、型、迎、盈、営、螢、縄、楹、塋、?、瀛、贏、瑩

十八東【庚韻と通韻】
○陰平
充、冲、衝、舂、憧、聡、匆、葱、従、樅、東、冬、工、功、公、攻、弓、恭、窮、宮、供、肱、蚣、紅、?、轟、?、哄、吽、?、空、倥、箜、穹、松、淞、菘、嵩、通、恫、兄、胸、凶、匈、擁、庸、壅、慵、傭、中、忠、終、衷、鐘、鍾、螽、宗、踪、蹤、縦、
○陽平
重、崇、虫、従、叢、浣、紅、虹、鴻、宏、洪、訌、泓、絋、黌、隆、龍、聾、篭、槞、瓏、窿、、瀧、朧、農、濃、膿、窮、蛩、瓊、?、穹、跫、栄、容、戎、絨、蓉、融、溶、榕、同、童、銅、桐、瞳、僮、潼、艟、筒、洞、橦、雄、熊、庸

 この資料は上海古籍出版社の《詩韻新篇》より、平韻の文字だけを抜き出しました。
 中国簡体字を日本漢字に置き換えましたが、簡体字に不慣れな上に、文字が日本漢字と同じ形ものが多々あって、鋭意注意を注ぎましたが、多少の間違いは有ろうと思います。発見次第修正してください。たとえば 云→雲 芸→噤@沈→瀋 叶→葉 什→甚 のような文字は間違い易いのです。
  1999年4月5日 
           編集 中山栄造                 使用漢字辞書 ATOK12  

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13-5/20
“黄金週間”
連休五月海浜游,満座電車路滞留。
赤脚児童沙上戯,碧天潮湧水悠々。

 ゴールデンウイークを黄金週間とは良く言い得ています。中国語でも間違い有りません。中国語では「黄金週」「休暇最多周」と言います。
 連休も「連続的暇日」「連休」と言います。
 赤脚も赤足も「はだし」の事です。
 中国語の辞書を引いて言葉を調べられたことと思います。とても良い方法です。(日本の漢和辞典から調べると、中国側で通じないことが時折有ります。漢和辞典は日本語漢字辞典で有って、中国語の辞典では有りません)
 全体として難無く纏まっていますが、2句目を少し工夫しましょう。電車も満員、路も渋滞としましょう。「電也汽車満滞留」こうすれば、電車も満杯で自動車も渋滞と成ります。
電車 満杯
汽車 滞留  の構成に成っています。
 沙上戯,潮湧水悠々と有りますから、海に行ったことは解ります。ですから海浜游は不要です。毎年毎年のことですが、として幾回游としましょう。

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“草津温泉”
街中處處湧温泉、熱気噴煙阻目前。熱気の噴煙が目の前を阻むとしました。この方が臨場感があります。
風疾切傷大都治、“外湯”緩帯月娟娟。風邪や切り傷は中国語でもこの様に書きます。治療効果があるには「治」を用います。国外投稿する場合は 註:外湯是露天澡盆 を付けます。
“外湯”緩帯月娟娟:露天風呂で、帯を緩めれば月娟娟 大分色っぽくすることが出来ました。
 風疾切傷大都治:風邪も切り傷も大抵治る。
“草津温泉”
街中處處湧温泉、熱気噴煙阻目前。風疾切傷大都治、“外湯”緩帯月娟娟。
註:外湯是露天澡盆 

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14-1/26
風呂敷と詩詞
 菓子箱や、風呂敷、焼き物の類に、短歌や戯れ歌が書かれているのを目にすることがある。
 箱や風呂敷に書かれた短歌や戯れ歌は、店主の心意気と謂うか洒落心と謂うか、これが又中身とマッチして、使う者の心を和ませてくれる。
 矢切れの渡しの歌が流行った頃、風呂敷屋に頼まれて、矢切れの渡しの顛詞を作ったことがある。
 その後其の風呂敷は幾らか出回ったと見えて、偶然にお祝い事の風呂敷包みで、作品と再会した。
 風呂敷の隅に、渡し船の絵があり、読み下しの詞が添えられていた。
 詩作は、ただこころの赴くままに作ればよいと謂う訳ではない。その目的がある。掛け軸にするのか、詩集を出すのか、その場その場によって対応しなければならない。
 菓子箱や焼き物の場合は、先ず美味しい菓子、立派な焼き物であると詠う。次に店主の心意気を詠う。これでお客は喜ぶ店主は喜ぶ。
 風呂敷は、その使用目的に合わせた方がよい。たとえばお祝いを包む風呂敷なら、お祝いを出した人の心意気、お祝いを受け取った人の多幸、こういう所に気を遣う。相手に対する気遣いが大切です。
 次に書き方です。
 漢詩詞は、一般の人は、難解だから、出来るだけ易しい書き方がよい。
 絶句なら五言絶句で二十文字が限度だろう。詞も同じだ。難しい言い回しは極力避けて、棒読みでも読めればそれに越したことはない。
 文字も易しい方がよい。


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14-2/1
「言霊」詩詞
 詩詞作品を分類すれば、その基準の捉え方によって、千差万別と謂わざるを得ない。そのうちの一つに、心の措きよう、言い換えれば作者の心の状態、又はその詩情が何を拠り所にしているのか?と謂うことを基準に分ける事も出来る。
 その一の形態として、目に映り肌で感じた感覚を、自己の経験と謂う眼鏡をかけて覗き、その像を文字に顕すので有る。
 その二の形態として、自己の持ち合わせた人生観や物事の考え方を基にして、心の内でそれぞれの物語を作り上げる。此処で敢えて物語と謂ったのは、自己の観念だけで成り立っている作品と区別するためである。
 物語と謂うからには登場する事物がある。ハエを登場させ、或いはネズミであったり、雲で有ったり、女性であったり、それらが作者の心の内と謂う世界で、縦横に遊ぶ言霊なのである。それは一面虚構のようにも見えるが、虚構ではないのである。作者の心が生み出した分身なのである。
 詩作と謂えども作るには道筋がある。ただ心の赴くままと謂えば、大方にその一の形態に偏り勝ちである。だがもう一つ、その二の形態があると謂うことも選択肢に入れなければならない。
 その二の形態として、「言霊」と謂うことを書いた。だがこれと「興」とは同じではないか?という疑問は出る。この質問に対し私は「否」と言いたい。
 詩の六義の中、叙事法の比賦興の三法、何れも叙事の一法なのだ。だが私の言う「言霊」とは、詩詞を作る態度を言うのである。
 「興」とは、自分の思いを、自分以外の者に代弁させる手法といえる。言い方を代えれば「操り人形」の手法ともいえる。一瞬たりとも操り師の意を離れて動くことはない。だが「言霊」とは、作者の心の内と謂う世界で、作者の分身が縦横に遊ぶのである。

註: 私は、興に類すると思われる多くの作品に出会った。だがその中に、厳密には「興」の範疇には入らぬのでは無いかと思われる作品の有ることを知った。興は作者の操り人形なのに、作者に操られていない作品があるのだ。作品そのものが「格」を有しているので有る。私はこれを「興」とは分けて、「言霊」と言うこととした。
 私は未だ未熟で、その類の作品を作ることは難しいが、会員石倉鮟鱇先生の作品の中に「言霊」と言える作品のあることを知った。一見彼の作品は、遊びのように見られるが、通常の作品とは異なるから見過ごされているだけで、「言霊」と言う見方をすれば、そこには別の世界が展開される。
 石倉鮟鱇先生の作品を提示して、本稿の責に代る。
  七 律・鴉語美人      2001. 1.29 -140
樹頂雙鴉論美人,喧爭諤諤擧声頻;聞道銀座金烏艷,凌駕青山赤羽新?
更愈丹脣粧薄粉,巧梳緑髪對芳春。堅持長嘴蹣跚歩,好看搖腰花底嬪。

  七絶・仙人球          1998. 5.16 -101
仙人球裡有桃源,矮女安詳眠緑園。毎旦喃喃聴耳語,明年学会弄花言?

註:サボテンのなかには桃源があり、小さな女がやすらかに緑の園に眠っている。毎朝、ぺちゃくちゃとささやくを聞けば、来年には学びおぼえて、「花言(うわべだけの華やかな言葉)」を弄するようになるだろうか。;仙人球: サボテン
  七絶・瞠目仙翔        2000. 2. 8 -073
地鉄吐風車站狂,紅裙膨脹胯間涼。誰人撫弄氷肌夾,瞠目飛飛仙子翔。

  七絶・幽魂飛            1998. 1.24 -037
目下雁群共往飛,山河縹渺日熹微。不知彼岸同春景,一路無言望適帰。

   七絶・蝉            1999. 8.27 -934
乱蝉知命喜炎氛,陣雨声般喧聒呻。何恨秋来帰適処,先鳴先落去紅塵。

  七律・清秋鯉語           1998. 7.22 -159
張合大嘴鯉魚歌,難得聴声唱道何。澄水錦鱗如紅葉,清秋風籟渡微波。
労吟厭景弾跳幟,起泡反身潜入渦。疑是既亡唐宋韻,従天雨下散星羅。

 

 


 


12-03/01
中華新韵 主旨抜粋   日本 千葉県 中山逍雀
 漢詩詞に於ける「詩韵」について、日本では一般に平水韻が云われているが、現在の中国詩詞壇に於いては、既に若者の間に普通話が普及して居るので、平水韻は過去の文化と成りつつある。
 ではどういう詩韵が有るかと云えば、古典韵の「平水韻」があり、次に上海古籍出版社が出版する「現代韵」が有る。亦次に黒竜江省佳木斯市東風詩社の重陽先生の提唱する、中華新韵がある。
 詩韵の数から云うと、平韻だけの分類でも、平水韻が30韵である。同じく現代韵が大分減って18韵と成る。更に中華新韵は16韵である。
 さて本論の中華新韵に入ると、中華新韵の特徴は現在の中国語(普通話)の母音と一致している事である。
 これにより日本人にはとても対応し易いという現実がある。(日本人が詩韵に馴染めない理由の一つに、中国語辞書の発音と韻表の発音分類とが必ずしも一致していない事にある。)平水韻を用いていれば、韵表に頼らざるを得ない(中国人も多少とも使っている現実がある)のだが、辞書の発音と韻分類が同一なら、既に韻表は不要となる。外国人である日本人でも、多少中国語を嗜んだ人なら、中国語辞書だけで十分に対応できる。
 中国語辞書をお持ちの方には既に不要なことであるが、取り敢えず韻分類を示しておこう。表示に不都合があるが、ピンインがWebに対応できないので、その点をご理解を戴きたい。
01-i 02-u 03-u 04-a 05-o 06-e 07-ri 08-ai 09ei 10-ao 11-an 12-en 13-ou 14-ang 15-eng 16-ong
新韵歌(含16韵)
07詩 01依 03律 02讀 12新 15声 06寫 10好
14放 05活 16総 09對 04大 08改 11粘 13偶

新短詩考
 新短詩、曄歌・坤歌・瀛歌・偲歌の4詩型を提案した。
 この中でも曄歌と坤歌の違いは中国人には当初なかなか理解できなかった。季節に関わり有る語句を用いると云っても、中国の詩歌には本来「季節の語句を用いよ!」などという規定は無かった。ましてや廣い中国では、季節に関わり有る多くの言葉が統一の概念を持たない。ましてや海を隔てた日本では埒外である。このことは日本人側でも言えることで、日本で云うところの季語という語彙は、極めてローカルな語句が多く、国際的に何の統一的概念を持たない事柄が多い。即ちただ単なる言葉であって、その季語に内包する諸事は全くの無意味な存在となる。
 でも中国人はすぐに事の本質を理解し、季節に関わり有る語句を用いるにしても、統一的な概念を持たないローカルな語彙は排除し、共通理解をもてる語彙のみを使用することを心得た。
 曄歌と坤歌の本質的相違は、著述内容にある。即ち曄歌は自然万物・人生幽邃である
 坤歌は世間諸事社会趣聞である。
両者には明らかな著述内容の相違点がある。
 このことを徐々に理解し、海を隔てた外国日本でも共通の理解が得られるようになってきている。この共通の理解を得られる事こそが、新短詩の使命である。

平仄不要論に一言
 漢詩の創作に関わる諸氏の間で、平仄や韻に付いてあれこれと論議があるので、此処で一論を提示してみよう。
 其れには先ず幾つかの設問を用意し、其れを拠り所に筆を進めようと思う。
1−国際交流をしますか?国際交流をしませんか?
 この設問の答えによって、方向は大いに異なります。国際交流をするのでしたら、国際的に通用する方法を講じなければなりません。
 平仄や韻など格律の要件は、本家本元の中国詩詞壇の見解に添う様にするのは最低限のルールです。
 国際交流をしないのでしたら、日本国内で通用するか否かの問題があります。日本国内で通用させるには、国内詩詞壇の見解に沿う様にすることは最低限のルールです。然し日本詩詞壇の見解は、中國の其れよりも平仄や韻について一段の厳しさがあります。
 日本詩詞壇での通用に頓着しないと云うのでしたら、其れは日本で云う所の定型詩歌の埒外ですから、どの様に作ろうとも全く自由です。どの様にお作りになろうと其れは貴方のご勝手ですから、ご自由になさるのが宜しいでしょう。然し、我流作品は、格段の力作で無い限り、何処にも通用しないと云うことを覚悟しなければ成りません。
 此処で、形式よりも作品の内容が勝負だろう!と云われる方が居られます。其れは尤もなご意見です。然しそれは、云うは易く行うは難しで、日本人の作品の中で、格律無視を乗り越えても評価される作品が一体何首あるのでしょうか?
2−漢詩は中国詩歌ですか?日本詩歌ですか?
 漢詩は日本人も作る事は出来るが、矢張り中国詩歌だと思っています!
 前項に引き続きますが、この場合中国詩歌なら、中国詩詞壇の見解に添う事は当然のことです。
 先ず平水韻と中華新韻に付いて述べましょう。前提条件として、中國の領域は広大で、文字と字義は殆ど同じにしても発音は一様ではない事と、海外架橋が多く、日常は現地語を用いながら、漢字で詩歌を作ると云う事が現実に行われていると云う事を擧げておきます。
 平水韻は古典韻で皇帝の権威によって流布されたものですが、其の当時でも全領域での整合性は無かったで有ろう事は想像に難く有りません。
 近年編纂された中華新韻は、普通話を基準に編纂したという話ですが、其れとても広大な中國全領域での整合性は得られないで有ろう事は、想像に難くありません。
 中華新韻であっても、架橋や方言(普通話に対して)の地域では、平仄や韻に対して日本人の感覚とさほど変わらぬ状況にあります。なお近日中華詩詞学会は中華新韻を正式に認証したとの話です。付け加えて述べれば、中華新韻は平水韻よりも韻文類を少なくし、平仄は普通話の声調に合致させて有ります。中華新韻については小生のページを参照して下さい。
 日本人の作る漢詩は、日本人独特のものである!
 このご意見の方には、日本人には平仄や韻が文字面でしか判らないのだから不要だ!と云う人が多いようです。このご意見の方は、国際交流には、もとより対象外となります。もし仮に国際交流を試みられるならば、隣の家に行って、自分の都合ばかりを云っている事と同じで、体裁良くあしらはれる事となります。
 確かに日本人の作る漢詩は、日本独特のものの様です。其れは格律云々ではありません。叙事法と内容についてです。
 先ず叙事法から云えば、日本詩歌と中国詩歌の叙事法は異なるにも関わらず、日本人の作った漢詩は、日本詩歌叙事法の延長上に有るようです。内容について云えば、日本人の作品は独白体が殆どで、中国人の作品は殆どの作品に相手が居ます。それは国家であったり社会であったり、家属や友人、妻や子、自分との対話です。
3−中国人の作品にも格律不備が有るではないか!
 格律不備の作例として、中国人の作品を擧げる人が居ますが、日本人が知って居る格律に対する知識は、中国人の持ち合わせて居る知識に比べ、ほんの一部の要素でしか有りません。この事を前程にすれば、中国人の作品を日本人が類例に提示することは妥当ではありません。これは小学生が自分の尺度で大学生を云々することと同じです。
4−平仄や韻についての現実的な対応。
 次に、格律に100パーセント合致しなければ成らないのかと云えば、前項に於いて説明したとおり、格律そのものが、平水韻にせよ現代韻にせよ全領域に於いての整合性を保持していないと云う現実がある。更に中國本土に於いても古典韻を用いている人と、新韻を用いて居る人とが混在しています。
 この現状に鑑み、臨機応変の対処は容認されると見るべきです。然し其れは格律を破ったことを承知している場合に限られ、疎かに取り扱った場合とは天地ほどの開きのあることを承知すべきです。
         記
 葛飾吟社は、詩歌に依って漢字文化圏との文化交流を為す事を柱としていますから、中国詩詞壇に通用する方法を用いることを最低限のルールとして居ます。
中山逍雀

12-01/31
詩詞の性描写   千葉  中山逍雀
 筆者は嘗て性描写の作品を作ったことが有る。だがその余りの難しさに挫折して仕舞った。
 何故難しいかと云うと、人生は日常の衣食住の中にあるが、其の上位に位地するものが有る。生まれることと死ぬことである。更にもう一つ上がある。生殖で有る。順序を示して見れば、
生殖
生誕
衣食住
死滅
の順である。
 インパクトの強さから云えば、1−生殖 2−死滅 3−生誕 4−衣食住の順位である。この生殖は生物の本能の部分であるから、その感情は他の要件に比べ群を抜いて強烈である。即ち他の3件は心の躍動であるが、生殖は心と肉体の躍動である。
 作詩の問題点から論を進めると、詩詞の本旨は自己深情の発露で有る。
 叙事法には、賦比興の三法が有る。着せ替え人形の様な構造になっていて、叙事は着物に相当する。
 インパクトの弱い着物を着せれば、中身が着物に負けることはない。だから多くの作品が、最も創りやすい衣食住に片寄っている所以である。
 インパクトが強ければ、其れに対応し得るだけ中身を強くしないと、着物に負けて仕舞う。そして負けて仕舞うと、着物の印象だけが残って、中身の印象が残らずに、作者の本旨が全く伝わらない結果となる。
 生殖は生物の根本を為す日常行為で、更に最も神聖で、決して淫乱でも無ければ非道な行為でもない。ただ生物の本能の部分であるから、精神と肉体の両方の躍動を伴うので、其のインパクトは極めて強い。
 だから作者の側にこの強烈さに対応出来るだけの、自己深情の表現手段を持ち合わせて居ないと、単なる性描写と成って仕舞う。
 もう一点、これは作者の側の問題では無いが、読者の讀解力の無さを勘定に入れなければならない。
 例え平易な作品であっても、その観賞は表面的で、言い換えれば人形の、着物の観賞に滞まって、中身まで観賞の眼が届かない例がとても多い。
 ましてや性描写の作品となると、其のインパクトが強いので、如何に錬磨された表現手段を用いたとしても、99.9パーセントの読者に歪曲され、淫乱の謗りを受ける。
 だから性描写の作品は格段に難しく、誰云うとなくあれこれ理由を付けて、なかなか作る者が居ない。
(参考までに、筆者は家畜人工受精師をして居た事がある)

12-10/16

12-10/4
もう一度考えてみよう 韵と平仄   千葉県 中山逍雀
始めに
 先ずここに新短詩20首を提示しよう。これは見るからに下手だし、韻も平仄もいい加減だ!でもこれを中国詩壇に投稿すると、案外すんなりと通る。こりゃ拙いと謂う人も居るが気の付かぬ人もいる。何故だ?其れをこれから話してみようと思う。
曄歌
秋雨微 屋根小雀 二三四
小学生 赤青黄色 秋雨冷
緬包車 工人仮寐 早暁雨
脚踏車 秋雨浸襟 落碧葉
摩択車 保安帽子 秋雨中

12-10/06
坤歌
被睡醒 隣家電話 火柴盒
祝電話 左思右想 爺婆煩
老夫婦 這箇那箇 退職金
小詩人 順耳青春 心上塵
電脳機 纏住時宜 六十痴

瀛歌
草虫鳴 五尺青春 塵念軽 西風吹夢 一病平生
桂香幽 月白雲流 獨倚楼 可恨風塵 可愉閑游
聴弾琴 朝朝窺階 兩羽禽 陋巷老残 很好知音
里閭家 籬辺柿熟 綻菊花 睡狗戯鶏 農婦漬瓜
見城墟 西奸覇図 古鏡如 鬼哭啾々 覚勝史書

偲歌
幼少猿猴 戯母哺乳 日暮到闇 暖双衾
遅遅歳月 玩兄採果 日暮到闇 冷孤衾
肢体成長 背父背母 日暮到闇 想同衾
離群游野 雌雄相求 日暮到闇 合歓衾
忙忙匆匆 養育黄口 日暮到闇 繕舊衾
筆者の実体験
 漢詩詞の創作や観賞する者にとって、韻と平仄は重要な関心事の一つである。漢詩詞愛好者が集まると必ずと言って良いほど、韻と平仄の問題が議題に上がり、平水韻、現代韻、中華新韻、詞韻、更には平仄など議題に事欠くことはない。その場に居合わせた筆者が何時も感じることは、これらの論議の起点をこのままにして有いのか?と言う取り留めもない疑問である。
 若い頃、張先生に中国語を教わったことがある。文字は今で言う繁体字、発音記号は併音字母という至極漢字國らしい記号であった。講座は週一で20人ほど、出席率の良い方ではなかったが、それなりに覚えた積もりで居た。然し残念なことに、数年して先生の都合で閉講と成った。張先生が居ないのでは仕方がないので、ラジオ講座を受講しようとスイッチを入れて吃驚!ラジオから流れてきた言葉は今まで耳にした中国語とは全くの別物の言語ではないか!改めて新聞を開くと矢張り中国語講座である。文字が簡略化されて簡体字に成った事は仕方のない事情と納得しながら、判然としない儘に暫く受講し、其処で知ったことは、同じ中国語とは言っても、日本語と英語ぐらいの開きがあるものだ!と言うことだ。このラジオ講座は、仕事に差し支えるので断念し、その後は聴いていない。
 嘗て中国観光をしたことがある。私の浅薄な耳では、あの細やかなアクセントの言葉は、何がなにやらチンプンカンプンで聞き取れない。ところが飛行機で観光地を換えた途端に、私の耳に入ってくる言葉が何やら意味を為している。あ!若い頃張先生に教わった中国語はこれだ!
 今年の冬、劉さんに連れられて、中国旅行をした。劉さんは中国人だから中国語が出来て当たり前だが、私は劉さんと日本語で話すだけ。上海空港到着後、劉さんの中国語が通じない?乗り合いバスで上海から西湖へ向かう。数時間の旅程である。劉さんに、どんな話をしているの?劉さんも余りハッキリは判らぬ様子。西湖観光の後、更に乗り合いバスで数時間の移動。夕食の材料にと食料品市場に行く。劉さんは売り子と遣り取り盛ん。私は劉さんと日本語で話す。売り子は劉さんに、貴方のお友達何処の人?劉さんは言う。福建の人だよ!
 私には華僑からの投稿も屡々ある。詩詞作品は確かに漢字だが、手紙はフランス語や英語。だがたまに得体の知れない言語がある。アルフアベット綴りだが、英和辞典では検索できない。英語でない言語だ!と言うことだけは判った。何れの言語にせよ架橋にとっては、日本人が漢詩を作るのと同じ環境のようだ!
 さて、又詩詞韵と平仄の話題に戻そう。日本人の多くが討議する韵や平仄の議題が、果たして如何ほどの意義を持つのか?何処に起点を措いて議論すべきか、もう一度原点に立ち帰って看る必要が有ろう。
終わりに
 始めに曄歌坤歌瀛歌偲歌20首を投稿させて貰った。看てお判りのようにこの作品は日本人が言うところの韻も平仄も出鱈目な作品が半分ほど占めている。
 だが果たして中国人が読んで「こりゃ出鱈目だ!」と言うのかと言えばそうとは限らない。前の項で書いたとおり、日本人が言うところの平仄と韵を目と耳で感得している人は漢詩詞を詠む人の数割で、全員ではないからだ!残りの人はどうかと謂えば、中国国籍は持っているが、日本人と同じで目でしか読んでいないのである。ましてや海外の華僑は現地国語で生活し、日本人と同じ様な状況で詩を読むのである。
 太古の昔ならいざ知らず、今では電話もあるし、インターネットもあるし、行きたければ数時間で行ける。先方だって昔と今では随分と違う。昔は金持ちでなければ作詩詞などという悠長な事は出来なかつたが、今では誰でも出来る。日本人が俳句を作るのと同じ感覚だ!社会批判の川柳が紙面に載るのと同じように漢詩詞が紙面に載る。中国では全国紙は少なく地方紙はとても多い。購読したければ郵送で直ぐに買える。
 漢詩詞を愛好する諸賢に是非この事を知っていただきたく、本稿を投稿させていただいた次第です。
13-1/26
風雅交際
鶴頭格
 交遊の興趣として、自作の作品を贈れば喜ばれる。書家なら書作で有ろうし、歌人なら短歌の作品だろう。でも喜ばれると言っても、贈られた相手に関係のない作品で有れば、単に貰ったと言う嬉しさだけである。書作であれ短歌で有れ、贈られた人のオーダー作品なら嬉しさも格段である。亦興趣は時宜が大切である。日時が過ぎてからでは嬉しさも半減する。
 即興で而もオーダーメイドで有る必要がある。
 漢詩には鶴頭格と言う、形式がある。折り込み漢詩と言うところであろう。これは作品の中に一目瞭然の形で、相手の名前が織り込まれるのだから、オーダーメイドとして最も効果がある。もう一つ、即興で直ぐに出来ると言うことである。
これから制作のポイントを述べてみよう。
@時宜に即していること。
A即座に出来ること。
B相手を喜ばせること。
C趣旨が貫徹していること。
D創りやすい形式で有ること。
 主要な要件は以上の四点で有るので、以後解説をしてみよう。
@時宜に即していること。
 経済会議後の懇談会で、経済関係の作品を貰っても、疲れた頭を又疲れさす丈で余り喜ばれない。そして重い話題は立場の相違解釈の相違があるので、余程注意しないと有らぬ誤解を招くので即興には向かない。却って軽い話題がよい。季節に関する話題。これなら一番に創りやすく解釈の相違を招くこともない。
A即座に出来ること。
 一番に創りやすいのは、季節に関わり有る眼前の景を写す事である。冬なら看梅、春なら観桜、初夏なら緑陰試筆、この様に当たり障りのない季節に即した題とするのが一番創りやすい。
B相手を喜ばせること。
 折り込み漢詩と言っても、単に氏名が織り込まれている丈で、中身は全然自分に関係のない事柄では、それ程の興趣は湧かない。そこで相手様のことを趣旨とする。これなら自分を詠ってくれているのだから関心は一層深くなる。でも貶されては面白くない。お世辞と解っていても褒めてくれると嬉しい。
C趣旨が貫徹していること。
 一句一句がバラバラで何を言っているのか解らなくては困る。句の構成に注意を要す。趣旨貫徹が必要である。
D創りやすい形式で有ること。
 漢詩は韵だ!平仄だ!とやたらに喧しい。これで即興はとても無理なようだが、易しい形式もある。古詩である。これなら韵は平字でも仄字でも良いし、平仄は問はないが、ただ句末の三文字は平三連、仄三連に成らない様にすることが必要である。
 もう一つ、折り込みでは、句頭の熟語が趣旨に添うとは限らない。五言の場合、残りの三文字でこれを修正することが容易かというと、即興という条件には聊か無理がある。この場合七言なら次の二文字で方向転換させ、容易に趣旨に添う句とする事か出来る。
 次に実作に移ろう。
 いま私の部屋の窓からは、梅の花が見える。早咲きの梅である。題は「看梅」としよう。さあ誰に贈ろうか?昨日昔の詩吟仲間と一杯飲んだ。彼は詩吟も上手だが、鎌倉彫に凝っている。詩吟より鎌倉彫の方に視点を措いた方が彼は喜ぶ。「井上良恭君」である。
先ず井上良恭と紙の頭に書く。
井梧無葉梅有花
上京幾年是君家
 最初の二句は、季節に関係有りそうな当たり障りのない言葉で埋める。井戸の傍の梧桐には葉がなくとも梅には花が咲いている。桐の木が有って、梅の木が有るのだから、結構大きな家だ。上京して何年経つか知らないが、これが君の家なんだね。
 話題を変えれば
井井重職託吟箋
上京幾年百花然
 規則正しく重職を努めている事を詩にするなら、上京して幾年かの功績は百花燃えるが如きだ。
良輩相集彫寶鏤
良妻常用君彫几
 此処で彫刻をしている事を持ち出そう。友達が集まって彫刻をしている。
 奥さんは君の創った机を常用している。
恭容一枝早鶯天
恭黙梅花暗香傳
 あれこれしている中に八句も出来てしまった。一見バラバラな様だが、継ぎ合わせると、どうやら形を整える。
井梧無葉梅有花
上京幾年是君家
井井重職託吟箋
上京幾年百花然
良輩相集彫寶鏤
良妻常用君彫几
恭容一枝早梅妍
恭黙梅花暗香傳

井梧無葉梅有花,上京幾年是君家。
良輩相集彫寶鏤,恭容一枝早鶯天。

井井重職託吟箋,上京幾年百花然。
良妻常用君彫几,恭黙梅花暗香傳。
 例として二首組み合わせてみたが、組み合わせを換え、少し文字を換えればもっと沢山出来る。
 今度は女性にしよう。男性の場合は、人生の重みを評価しなければ成らないが、女性の場合は現在の有り様を評価すればよい。例として「山田佳美さん」を登場させよう。




 と配置します。
 先ずその時の季節に合わせた題を付けます。これからなら桜の花見でしょう。
題を「桜花」としましょう。
 そうしましたら最初の2句は、適当に桜の花のことを詠います。平仄は全く問いません。最後の文字だけ韻を踏みます。
山寺三月雨晴時,
田家菜花不背期。
 此の二句は適当に書けばよいのです。次の句は、相手の特徴を一つ入れて書きます。彼女がカラオケが巧いなら「佳声」とします。字がうまいなら「佳筆」「佳墨」などと書き出します。
佳声通神千秋業,これで相手を評価します。次は又花で書くと、程々に纏まります。
美瞳微香看桜詩。此処では少し持ち上げました。
 出来た作品を下記の様にしたためて贈ると良いでしょう。雅印を持ち歩くことをお勧めします。
 桜花 古体
山寺三月雨晴時,
田家菜花不背期。
佳声通神千秋業,
美瞳微香看桜詩。
  平成 年 月 日
   甲野乙郎印

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