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漢俳考 01 漢俳発祥の経緯とその後

前書き
 物事を解説するには、相手の基準に合わせなければならない。文学愛好者にシーケンスやエンタルピの話をしても恐らく、シーケンスは技術で、エンタルピは熱力学論理である事に興味を示さぬ儘、耳を素通りして仕舞うだろう。ましてやその先の、A、B、C、などとなったら、耳元にも到らない。技術屋にしてみれば、A、B、C、渦、電界、電位、減衰、自己保持などは茶飲みの話題で、また仲間を換えれば、パーミッションやSSIなど仲間内では当然の常識、知らぬ者が居るなどとは考えも及ばないのだ。
 さて前置きはこれくらいにして、俳句を中国人に教えるにはどうするか?前述の技術屋と文学愛好者の対比と同じで、俳句愛好者なら常識でも、相手を換えれば常識ではないのだ。俳句愛好者が異文化の漢詩詞圏、漢詩詞愛好者に教えるのだから、先方様、即ち漢詩詞に基準を合わせなければならない。文学愛好者にエンタルピを解説するには、誰でも知っている位置のエネルギーを代替として、説き起こす。エンタルピと位置のエネルギーの違うことは、百も承知だが、方便も必要である。
 メートル法のメジャーで仕事をしている所へ、尺間の物差しを持ち込んで、あれこれ述べても、どうにも成らぬのと同じだ。尺間をメートルに合わせるのなら、尺間に換算目盛りを付けて対応しなければならない。
 昨今の漢詩詞と俳句の交流の現状に鑑み、漢詩詞の詩法を基準にして俳句を解析した論考が欲しいのである。身辺に見あたらないので、専門外を承知で考察を試みた。

 お断り
 本稿は筆者が一千余通を超える中国詩友との手紙のやり取りの中から、便箋の端端から彼らの私意を読み、これらの私意に則って筆者が独断で纏めた。便箋の端端の謂謂は、印刷物によって公表されている文面と、随分と異なっている事が往々にして有る。物事の見方には、表も裏もあり、公も私も有り、一通りでは無い事を具に知った。
 この頃、中国詩歌と、日本詩歌との交流の橋梁として漢俳が俄かに脚光を浴びているが、そもそも漢俳とは如何なるものか、如何なる課程で成立したのか、漢俳は俳句の中国版なのか?など、成立の周囲から検討してみよう。
 此処に趙朴初先生の作品を紹介しよう。和風起漢俳。の漢俳の文字を取って、この様な五七五字の作品形式を「漢俳」と呼称したようだ。
 緑陰今雨来,山花枝接海花開。和風起漢俳。(開韵)

其一
 漢俳の字義について、日本の「俳句」と言う名称へ追従して追称したと言う場合は、名称への追称で有るから、漢俳も名称であって、日本俳句と同義であると考えられる。註:俳句を字義に依って読むという人も居られようが、専家
で無い限り、単なる名称として扱われている。
其の二
 漢俳の字義を調べれば、発議者が中国人であるから、中国語字典の字義を拠り所に、漢の文字は☆漢水 ☆朝代名 ☆男子 ☆漢族などがあり、俳の文字は☆古代雑戯 ☆滑稽戯 ☆也指演這種戯的 ☆諧謔 ☆玩笑。と成る。
 依って、漢俳を文字通りに読めば、漢字、或いは漢詩による“たわむれ”、と言える。勿論これは名称ではない。

其の三
 中国に於ける詩詞の地位は、中国人が屡々、「中国は詩の國である」言うように、職場、近隣、夫婦、家庭、小説など、諺、楹聯、詩、詞、曲、等の形で日常生活のあらゆる場面に登場し、語彙には精神に関わる言葉がとても多い事に気づく。この様に詩詞は、中国人の骨肉と相対する一翼としての精神を担っている。これは、日本の詩歌とは次元を異にする文化である。
 中国人は詩詞を教養の一環としており、家の出口や大形看板、祝儀などに楹聯がよく創られ、誕生や結婚、入学や就職、なにか有る度に数えればきりがないほど、詩詞の作品をよく創る。日本にも折り込み都々逸や折り込み川柳が有るが、漢俳も文字数と文字を織り込んだ、折り込み詩詞の類に入る。

其の四
 中国人の気質に触れてみよう。中国人の文化歴史に対する思い入れ、或いは尊厳は、日本人の想像を遙かに超えている。
 日本で詩歌を嗜む人は、趣味人或いは職業専門家であるが、中国では、職業専門家は存在しないし、趣味人だけのものではない。文字の読み書きが出来れば、精神の修養として誰でも詩詞は愛好する。これは孔子以来の伝統である。
 詩詞は中国人の精神を担う一翼であるから、俗と相対峙した関係を持ち、詩詞文化の権威者の多くが、詩詞を愛好するが故に、自己や家庭の経済益を犠牲にしている事実を、言い換えれば俗から離れている事を誇りとしている。
 相手に合わせると言う事は、一歩間違えば曲学阿世と誹られかねない。詩家の最も卑下する行為と成ってしまう。これに拘わる詩語が枚挙に遑がないほど多い事からも言える。
 この様な文化歴史の下に於いて、詩詞の権威者が、「相手に合わせて新たな詩形を提唱する」等と言う事は、とても考えられない。これは日常にも言える事で、滅多な事では相手に合わせると言う事はしない、と言うのが中国人一般の気性である。

其の五
 中国人がどれほど日本詩歌への認識を持っていたかに付いて言えば、日本人によって、漢字書きの日本詩形としての、曄歌・坤歌・瀛歌・偲歌などの新短詩が、提案され速やかに受容された事によって証明される。
 中国には以前より、日本詩歌の漢字書きを手掛けた者が居たのだが、未だ容認されては居なかった。だが中国側では既に日本詩歌を漢字書きにする手法を熟知していたので、日本側からの提案があった時に、速やかな受容が為されたのである。
 余談だが、中国人による日本詩歌の漢字書き手法が定型として受容されなかったのは、手法の認識とは別の要因が考えられる。即ち、同じ中国人で有れば、風土気質の弊害に依って提案並びに其の先の受容は困難を極め、偶々新短詩の提案者が外国人(日本人)が爲に可能で有ったといえる。


 以上五項目の考察によって、其一の漢俳の日本俳句追称説は排除され、「漢俳」とは日本俳句の追称ではなく、「漢字による戯れ」と理解される。
 中国側では、其の五に述べる通り、当初から漢俳と俳句は、名前は似てはいるが、中身が全く違う事は百も承知である。
 今から20年ほど前、日本俳壇と中国詩壇の交流会席上、趙朴初先生が日本俳壇への敬意を込めて“漢俳”を披露したと聞くが、其の三に述べる通り、其の時々の状況に応じて自己の心を顕す手段として詩詞を披露する事は、中国文人の日常茶飯で、殆どの文人は詩詞の創作を教養の一環としている。
 此の交流会の席上でも、趙朴初先生は日常的な一環として、文字数と漢と俳の文字を織り込んだ、日本で言うところの折り込み詩詞の如き、作品を披露したのである。其の四に述べる通り、「漢俳」は、単なる席上の余興であって、日本俳句と中国詩詞を連結させるための新たな詩形の提案ではないのある。
 折り込み作品を披露した人が、偶々著名人で有ったが爲と、日本側が反応を示したが爲に、普段ならその場で消えて無くなって仕舞う作品が、新たな生命を得て、今日の成長を見たのである。
 依って、漢俳が俳句と相互翻訳の出来ない事は、当然の事だし、漢字の五七五と平仮名の五七五の云々を論じる事自体、無意味である。
 漢俳は文字数と文字を織り込んで、その場に合わせて歓迎用に作られた即興小令の一つで、日本俳句との共通性はない。強いて言えば、其の二に述べる通り、俳の字義、即ち諧謔玩笑滑稽戯で有ろうか。
 ただ歳月の経過と共に、いつの間にか、漢俳が呼称となってしまい、恰も漢俳と俳句が相通ずる詩形であるかのような、錯覚に陥っているふしがある。
 漢俳発祥の経緯は以上の如くであるが、その後日を追って独自な成長を遂げ、発祥の経緯とは関わりなく新生独自な詩形として、多くの詩家に依って様々な研究が為されている。

 

 


14-7/21
漢俳考 02

 今から18年ほど前、日本俳壇と中国詩壇の交流会席上、趙朴初先生が日本俳壇への敬意を込めて“漢俳”を披露したと聞き及ぶ。
 此の余興として漢字の戯れが、字義の読み違いや中国人気質の理解不足から、いつの間にか「新たな定型を披露した!」に入れ替わってしまった。更には中国詩壇が日本詩壇に手を差し伸べた等という言葉さえ出る始末。中國には古来より2千余の詩歌の定型があるが、更に中日友好の意図を込めて“漢俳”を追加したのだとも言う。
 さて、中国詩詞には詩の六義と言い、叙事三義即ち賦比興を基本とし、細大洩らさず述べて、これを一点に絞り込む手法と言える。そして鴬啼序 宋高似孫の作品は四段241字で少年游 周邦彦は59字、通用する詞の最小は16字の十六字令、七言古詩では白楽天が詠む“長恨歌”は120句で、楚辞離騒は375句、唐詩選では杜甫の“落日洛城謁玄元皇帝廟”「豪韵」が五言排律で28句の作品がある。
 現在でも中国人の作品は大半が漢字50字以上の作品で、日本の平仮名に換算すれば約100字以上の作品と言える。日本に広く流布している20字の絶句や、今世紀に新たに加わった17字の漢俳などは小令の部類に入る。
 中国詩詞には、当初述べた通り一貫した叙事法があり、文字数が少なく成ったからと云って、この手法は変わらず、単に簡略化或いは凝縮したと云うべきである。言い換えれば、長恨歌”120句の叙事法も16字の十六字令のそれも同じだと云える。
 中國詩詞は、長文から短文への移行と云う歴史的経緯があり、例えば律絶は律詩から派生し、古絶は古詩から派生したと云う経緯がある。
 通用する詞で最小と言われる十六字令と七言四句詩の関わり合いを検証してみよう。
春夜洛城聞笛 李白
誰家玉笛暗飛声,散入春風満洛城。此夜曲中聞折柳,何人不起故園情。七言詩
         声,散入春風満洛城。      聞折柳,   不起故園情。一六字令
客中行 李白
蘭陵美酒鬱金香,玉碗盛来琥珀光。但使主人能酔客,不知何処是他郷。七言詩
                   香,玉碗盛来琥珀光。              能酔客,   何処是他郷。一六字令
 七言四句の詩から16文字を残して削除すれば、残った16文字はちゃんと十六字令の作品として成り立つ。この事は十六字令が偸声と云われる所以でもあり、たつた16文字の詞でも其れは28字の作品を骨幹にして居る事の証明ともなる。
 漢俳(漢字の戯れ言)を披露した趙朴初先生が、従来とは根本的に異なる画期的な叙事法を披露したとは聴いて居ないので、文字数は17字でも手法は中國の従来の手法を踏襲したと思はれる。
 中国詩の必要最小限の要素は、韻母と声調の二っである。そして韻母を重ねて用いる事を押韻とて云い、漢俳も的確に押韻されている。
 中國から寄せられた作品を鑑察すると、次に示す2つのパターンに大別される。
歓迎日本吟誦代表団 丁芒
古韻入東瀛。千年島国伝唐音,万里飄簫情。
は古韻入東瀛yingの章と、千年島国伝唐音yin+万里飄簫情qingの章との、二つの章から構成されている。
風雅自存心,武夫槍炮任狂鳴。終不盖天声。
は風雅自存心xin+武夫槍炮任狂鳴mingの章と終不盖天声の章shengとの、二つの章から構成されている。
 韻母と句の配置は前述の如くである。この他に、箇々の字句を見ると、文字数の少ないことを補う手段として典古の使用が見られるなどして、「少令」とさほどの相違はない。即ち“漢俳”は少令の一つであると云え、十六字令が七言四句(漢字28字)と同等の叙事が出来ることから、1文字多い漢俳も七言四句(漢字28字)の叙事はされていると思われる。
 視点を移して、同じ「俳」の文字を使っている“俳句”との関係はどうかと云うと、披露の動機からして日本俳句との相互疎通は前提にしていないのだし、単純に仮名綴りに換算しても文字数が二倍ほどあり、漢俳は少令の一つだとも云えるので(中国人も少令の一つであると云う)、俳句との整合性はないのではないかと思うが、その論は俳句の専家に委ねよう。

 

 


14-9/21
漢俳考

前書き
 物事を解説するには、相手の基準に合わせなければならない。文学愛好者にシーケンスやエンタルピの話をしても恐らく、シーケンスは技術で、エンタルピは熱力学論理である事に興味を示さぬ儘、耳を素通りして仕舞うだろう。ましてやその先の、A、B、C、などとなったら、耳元にも到らない。技術屋にしてみれば、A、B、C、渦、電界、電位、減衰、自己保持などは茶飲みの話題で、また仲間を換えれば、パーミッションやSSIなど仲間内では当然の常識、知らぬ者が居るなどとは考えも及ばないのだ。
 さて前置きはこれくらいにして、俳句を中国人に教えるにはどうするか?前述の技術屋と文学愛好者の対比と同じで、俳句愛好者なら常識でも、相手を換えれば常識ではないのだ。俳句愛好者が異文化の漢詩詞圏、漢詩詞愛好者に教えるのだから、先方様、即ち漢詩詞に基準を合わせなければならない。文学愛好者にエンタルピを解説するには、誰でも知っている位置のエネルギーを代替として、説き起こす。エンタルピと位置のエネルギーの違うことは、百も承知だが、方便も必要である。
 メートル法のメジャーで仕事をしている所へ、尺間の物差しを持ち込んで、あれこれ述べても、どうにも成らぬのと同じだ。尺間をメートルに合わせるのなら、尺間に換算目盛りを付けて対応しなければならない。
 昨今の漢詩詞と俳句の交流の現状に鑑み、漢詩詞の詩法を基準にして俳句を解析した論考が欲しいのである。身辺に見あたらないので、専門外を承知で考察を試みた。

1−概論
 漢俳は近来、日本詩歌と中国詩歌の橋梁として、俄かに脚光を浴び、中国を発祥の地とする小令(詞)で有る。この詞の形式は、日本俳句の五七五の音数律數の配置に倣って、漢字五七五の三句で構成される。
 この詞の形式の音数律韻律などの要素と、日本の詩歌との整合を調べた結果、この詞形式に符合するものは無かった。

2−俳句との比較
 この詞の名称が、漢俳という以上、俳句との整合性を調査するのが妥当だろう。同一人が創った両種の作品があるので検討の材料として提示しよう。

俳句   朝顔や重たしと露揺りこぼす          李芒
漢俳   牽牛帯露開,晶瑩猶恐汚顔色,揺曳落塵埃。

俳句に記載された情報は、
1−朝顔や                                          牽牛花      
2−重たしと                                          重
3−露                                                 湿露       
4−揺りこぼす                                     揺動○落
4個の情報である。これに対し漢俳の場合は、
1−牽牛花               
2−帯露
3−開                 
4−晶瑩
5−猶恐                
6−汚顔色
7−揺曳落               
8−塵埃。
 表面上の情報量だが、俳句が4個の情報に対して、漢俳は8個の情報が叙述されている。仮に、俳句が原作で、漢俳が翻訳ならば、明らかに漢俳は原作にたいして余分な情報が追加されている。その情報量は2倍となる。これとは逆に、漢俳を俳句に翻訳したとすれば、情報量は半分である。また次に同一人の作品を一首提示して検討を試みよう。

俳句   読み終えてゲラに白髪や春の宵         李芒
漢俳   校様方看完,紙上瑩瑩飄白髪,春宵月已残。

俳句に記載された情報を提示すると、
1−読み終えて                  読結束       
2−ゲラに                     校様上
3−白髪や                     白髪        
4−春の宵                     春宵
4個の情報である。これに対し漢俳は、
1−校様                 
2−方看完
3−紙上                 
4−瑩瑩
5−飄白髪                
6−春宵
7−月                  
8−已残
 これも文字で書かれた情報は、俳句が4個の情報に対し、漢俳は8個の情報である。假に俳句を原作として、漢俳を翻訳したとすれば、明らかに、漢俳は原作に対して多くの情報を付け加えている、その情報量は2倍である。その反対に漢俳を俳句に翻訳したのなら半分である。

3−検討
 翻訳若しくは置き換えと謂う場合、原作と情報が同じで無ければならない。前項の調査結果を見ると、表面上明らかな情報量の相違がある。然しこの事を以て、記載内容が同一ではないとは言い難い。
 同じ漢詩詞ならば、殆ど同じ叙事法であるが、俳句と漢俳を比較すると、漢俳は韻律、俳句は音数律、漢俳は起転結、俳句は起転と、互いに叙事法を異にしているのである。
 俳句と詩詞の構成要素はその他にも、対象に対する視点の位置、対象の捉え方、即ち対象を広範に捉えるか、狭窄に捉えるか、捉えた対象を収束させるか、拡散させるか、などの問題がある。漢俳と俳句は、簡単に言えば、詞と俳句との詩法が交錯しており、極めて複雑な手法を必要とする。
 漢俳は小令で有るから、漢詩詞の詩法に順じるので、作品に内包する情報の集積は容易いが、俳句の場合は高度緻密な俳句の手法に依るので、情報の集積が容易ではない。比較検討という場合には、同一条件が原則となるから、俳句の場合は、文字以外の情報として読者の感得、即ち文字に依らない情報も集積の対象に含めなければならない。
 この様な条件を揃えた上で、両者を比較すれば、漢俳と俳句の双方に、情報量の相違はさほど無いように思われる。
 これらの結果を検討すると、此処に示した漢俳と俳句は、概ね翻訳若しくは置き換えの関係で有ると言える。只この結論は、俳句は文字に依らない読者の感得情報も集積の対象としており、この前提に依らなければ、例示した四作品は、各々無関係な個別の作品といえる。

4−置き換えの注意点
 漢俳から俳句への置き換えの場合は、漢俳の起転結の情報を俳句に移し替える。そしてその結果、俳句を読んだ読者の感得が、漢俳の結句と同じになるように案配する。
 俳句から漢俳への置き換えの場合は、俳句の文字情報と、俳句を読んだ読者が感得するであろう文字以外の情報をも総て移し替える。俳句を読んだ読者が感得するであろう総ての情報を移し替えなければ、俳句の情報量と漢俳の情報量は、明らかに相違があり、相互の置き換えは不可能であると謂わざるを得ない。

5−漢俳の創作
 前項記載の検討は、情報量にのみ視点を合わせたが、詩詞の構成要素はその他にも、対象に対する視点の位置、対象の捉え方、即ち対象を広範に捉えるか、狭窄に捉えるか、捉えた対象を収束させるか、拡散させるか、などの問題がある。
 漢俳と俳句は、簡単に言えば、詞と俳句との詩法が交錯しており、極めて複雑な手法を必要とし、俳句の創作よりも更に難しいのではないかと思われる。

 

 


14-9/21
曄歌

前書き
 物事を解説するには、相手の基準に合わせなければならない。文学愛好者にシーケンスやエンタルピの話をしても恐らく、シーケンスは技術で、エンタルピは熱力学論理である事に興味を示さぬ儘、耳を素通りして仕舞うだろう。ましてやその先の、A、B、C、などとなったら、耳元にも到らない。技術屋にしてみれば、A、B、C、渦、電界、電位、減衰、自己保持などは茶飲みの話題で、また仲間を換えれば、パーミッションやSSIなど仲間内では当然の常識、知らぬ者が居るなどとは考えも及ばないのだ。
 さて前置きはこれくらいにして、俳句を中国人に教えるにはどうするか?前述の技術屋と文学愛好者の対比と同じで、俳句愛好者なら常識でも、相手を換えれば常識ではないのだ。俳句愛好者が異文化の漢詩詞圏、漢詩詞愛好者に教えるのだから、先方様、即ち漢詩詞に基準を合わせなければならない。文学愛好者にエンタルピを解説するには、誰でも知っている位置のエネルギーを代替として、説き起こす。エンタルピと位置のエネルギーの違うことは、百も承知だが、方便も必要である。
 メートル法のメジャーで仕事をしている所へ、尺間の物差しを持ち込んで、あれこれ述べても、どうにも成らぬのと同じだ。尺間をメートルに合わせるのなら、尺間に換算目盛りを付けて対応しなければならない。
 昨今の漢詩詞と俳句の交流の現状に鑑み、漢詩詞の詩法を基準にして俳句を解析した論考が欲しいのである。身辺に見あたらないので、専門外を承知で考察を試みた。

1-誕生の経緯
 中国社会において、俳句の漢字書きは相当に古い時代から試行されていて、概ね十文字の漢字で書き表せるであろう事は、少なからず認識を得ていた。これに論理的根拠を与え、「曄歌」と命名し、広範な中国詩壇に提唱し、中華詩詞学会に於いて、定型詩歌としての地位を確立したのは、1997年、日中国交回復二十五周年の事業としての、中山栄造新短詩検討会の討論の結果である。依って曄歌は絶句や律詩、詞と並んで「曄歌」の名称で、定型詩歌の一類と成っている。だから、「曄歌」の名称で、漢字文化圏のどの詩壇でも、定型詩歌として通用する。
 曄歌は日本詩歌を父とし中国詩詞を母として生まれた新たな独立した詩歌である。依って相互に通じ合うという特長を具備している。(新短詩四詩形;曄歌・坤歌・偲歌・瀛歌)

2−意義
 文化の交流には幾多の方法があるが、詩歌を媒体にしての交流もその一つである。然しながら、中国人に俳句短歌を作れと謂っても、所詮無理な相談である。同様に、日本人に漢詩詞を作れと謂っても所詮は無理である。それならば、双方で出来る簡単な詩歌はないのか?其処で候補に挙がったのが、俳句の漢字書きで有る。曄歌は、要領さえ掴めば、日本の中学生でも、中国の中学生でも簡単に出来る。中国語が出来なくとも、曄歌は作れるので、中国との詩歌交流は出来る。同じく、日本語が出来なくとも、日本との詩歌交流が出来る。その最も重要な意義は、詩歌を一般大衆に広める事で、曄歌の使命は、相互交流の道具である。先ず萬首を創り交流に役立たせる事から始めなければならない。内容云々はその後の事である。

3−俳句の特徴
 曄歌は、日本詩歌の俳句を父として生まれた新たに生まれた漢字書きの詩歌であるから、俳句の詩法との共通点がある。先ずは父となる俳句の詩法を、漢詩詞の立場から分析すると、中国詩詞と異なる幾つかの相違点がある。

3-1 韻律と音数律
 中国詩詞は、韻律であるのに対し、日本詩歌は音数律である。曄歌は、中国詩詞に倣い、韻律を用い、「押韻」を規定した。次に日本詩歌に倣い、「音数律」を規定した。即ち、一句目と三句目の押韻、若しくは、二句目と三句目の押韻である。次に音数律の、五七五を漢字三四三に置き換えている。

3-2 起承転結
 中国詩詞は、四句の場合は起承転結より成り立ち、三句なら起転結で有る。勿論、俳句にも起転結は備わって居る。ただ漢詩詞と異なり、俳句や川柳は短小なため、其れを補う手段として、巧妙な手法を用いているので、起句はこれ!転句はこれ!結句はこれ!と、簡単には指し示せないのである。 ただ一首全体を通せば、起転結は備わっており、恐らくその中には、文字に依らない情報として、読者の感得情報も一部を為している。

松尾芭蕉の俳句より抽出
金屏の松の古さよ
冬籠もり

夕顔や
酔てかお出す窓の穴

時鳥啼く音や古き
硯箱

菊の香や
庭に切れたる靴の底

蒟蒻のさしみもすこし
梅の花

麦飯に
やつれる恋か猫の妻

 一句を趣の違いで二行に分けて見た。只これにも多少の粗密が有るが、この趣の違いが、筆者の如き素人に、微妙な違和感を与える原因となる。 漢詩詞には、起転結が区別されているので、それぞれに情報を提示出来るが、俳句は、起転結がはっきりと区別されていない。漢詩詞と比べて俳句の作者は、少ない文字情報で、意図する情報を、如何に読者に感得させるかが、最も難しい作業となる。
 少ない文字に依って、其の意図する情報を、抵抗無く速やかに読者に感得させると謂う技巧が俳句には必要であって、この事は漢詩詞にはない俳句の特徴である。この技巧は、高度にして緻密な作業であり、俳句関係者でなければ講じ得ない。

3-3 語彙
 俳句は、制限された文字数の中で、より多くの情報を提供する事を要求される。その為には無駄な字句を省き、より洗練された語彙を使わなければならない。その一つに、季節に関わり有る典古としての「季語」がある。それぞれの語彙は、多くの事柄を誘引するキーワードの役目を果たす。

4−曄歌の作り方
 曄歌は俳句と通じる所があるので、漢字を用いる事と、押韻をする事以外は、総て俳句の技巧を踏襲している。。
 曄歌の創作に当たって、押韻と漢字を用いる事以外、何らの前提条件を必要としない。置き換え、翻訳の場合も、俳句に記載された情報を只その儘置き換えれば、置き換え或いは翻訳の作品となる。
 曄歌の字句配置は、俳句に倣うことを原則とするが、俳句は余りにも高度で緻密なので、萬首を創ってからでないと云々は言えない。簡便にすれば次の如くとなる。
○○◎。           起句
○○○○+○○◎。 ?   転句
               結句は、文字には表さず、読者が胸中で感得する。
若しくは
○○○+○○○◎。    起句
○○◎。           転句
               結句は、文字には表さず、読者が胸中で感得する。
註:◎は押韻文字である。
 俳句において、付きすぎず離れすぎずの関係は、起句と転句の関係に置き換えた。また安易な方法として、
○○◎。○○○○+○○◎。
季語             名詞
名詞             季語
若しくは
○○○+○○○◎。○○◎。
季語                 名詞
名詞                 季語
の様な配置をすると、簡便に、程々な作品が出来る。

5−俳句の一般認識
 漢詩詞に携わり、俳句に疎い人が俳句にふれると、一行が首尾一貫していない事と、漠然とした結末に、微かな違和感を覚える。然し、俳句を嗜む人が読むと、全体を胸中に感得して、違和感を覚える事はない。その原因は、漢詩詞の立場から見て、起句と転句が有って、結句がはっきりしない様に思える事に起因する。
 漢詩詞の立場から見れば、起句と転句とには、所詮、齟齬があって当然の事である。然し、作品の巧拙によって、齟齬が齟齬でなくなるのである。齟齬が却って、結句への誘導を助け、読者に作者の意図する結句情報を感得させるのである。この事を承知していれば、首尾の齟齬を嘆かなくとも良いのである。この齟齬の案配が、付きすぎず離れすぎずに該当する。

 

填詞詩余楹聯




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