漢詩詞論攷 創作の基本姿勢 中山逍雀漢詩詞填詞詩余楹聯創作講座 TopPage

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 漢詩は日本に上陸してからの歳月が長いので、半ば日本詩歌の一隅を占めているとも言える。依って日本詩歌の一類として対応するのか?或いは本来の漢民族詩歌として対応するのか?の二者択一がある。

 日本詩歌の一類として創作に対応する立場ならば、日本詩歌として取り扱えばよいので、此処に基本姿勢をあれこれ言う必要はない。詩法も句法も日本独自に開拓しても何ら差し支えない。
 ただ此が言えるのは、「古典漢詩」だけで、「詞・聯・賦・曲・・・・」などは、日本ではその殆どが観賞で、創作では浸透が少なく、日本詩歌の一類とは言い難い情況である。

 本講は現代詩・詞・聯・曲・・・の創作法を講じて居る。そして其の事は取りも直さず、現代中国に数ある詩詞壇の中国民衆の作品と、分け隔て無い立場と技量で通用することを前提にしている。

 何をどんな心がけで綴ったらよいのか?
 其れは簡単だ! 自分の考えを人様に聞いて貰う事である!

 読者の側から言えば、語りかけてくる!

 馬鹿馬鹿しく思えるかも知れないが、此が解らないと作品は出来ない。自分の考えとは、自分自身のことではない!自分の考えていることだ!
 人様に聴いて貰うとは、自分勝手に言うのではない。相手が一緒に聴いてくれる!聴いて貰えると言うことがなければならない。

 漢民族詩歌の依拠するところは、過去に於いても現代に於いても、生活に密着している。生活とは、個人を取り巻くあらゆる事象、即ち国際情勢・国内情勢・地域情勢・政治・官民・近隣・親朋・夫婦・親子・自分自身・・・等である。
 依って故意に作らぬ限り、現実から離れた作品は作らない。詩法の一類として幾つかの詩法は有るが、古典の創作は故意の範疇に入る。

 一概に「詩」と言っても、使用する語彙によって、口語と書面語の二通りがあり、定型と非定形もある。定型も曄歌から始まって古詩まで、かなりの数がある。
 詞は竹枝から始まって十六字令、鶯啼序240字まで、通常使用する定型でも概ね100定型はある。
 楹聯は決まった定型はないが、通常作品の類例は十指に余りある。

 訴えようとする思いと定型は、内容物と器の関係にある。器を選んでから内容物を入れるのではない!内容物に合う器を選ぶのである。

 心の一隅、小さな襞を述べるのなら、小さい器の曄歌が選ばれるだろうし、人生の襞を述べるのなら、鶯啼序も良かろう。気の利いたことを述べたかったら、楹聯も良かろう。軽い気持ちで人情の機微を詠うのだったら、口語詩も良かろう。

 器への詰め方にも工夫がある。即ち詩法である。

 人には述べたいことが沢山ある。事柄も千差万別ある。器も各種必要で、詰め方にも技巧が必要なことは、当然の理である。

 次に、漢詩詞は作品題・序文・作品・注の四っに依って構成される。

 作品題とは、作品の概要を述べることが、その役割である。依ってその作品に相応しい語彙が配される。

 作品の本旨は「作者の情」で有るが、その情を顕す手段として、叙景・抒情・叙事・・・詠物等がある。

 作品題は、作品の概略を述べる、作品の入り口に当たる部分である。読者は作品題を読み、作品の幾つかの語彙を読めば、作品の大凡の趣旨は読み取れるのである。依って作品題は作品にとって重要な要素である。
 依って「無題」と記された作品であっても、題がないのではなくて、無題と謂う作品の趣旨で有ると理解すべきである。

 なお、作品題は内容に繋がり、内容は「韵に」繋がりを持ち、詩法句法にも繋がりを持つ。例えば詩法で明確に決まっている詩題に詠題が有る。

 分かり易いように、料理に置き換えてみると、次のようになる。

小皿単品 丼物 一汁三菜 幕内弁当 家庭料理 家庭来客
曄坤偲瀛 漢俳 絶句 律詩 古詩 詩詞

 最も小さい定型に、曄坤偲瀛歌がある。小さいことを述べるのに大きな器は要らない。ただ器が小さいので、大きな事は入らない。心の襞の様な、小さいことが専門で、心底の情を写すには最適である。

 腹を満たすには事足りる、丼物がある。限られた容積だから、どれも此も入れると謂う訳には行かない。食材は三品ぐらいで、其れが巧く組み合わさって、料理の態を為している。ただ丼物はどんなに頑張っても、丼以上には成らない。漢俳は此に属す。

 一汁三菜は質素ながらも一通りの要件は満たしている。だが此も毎日では物足りないし、飽きてくる。一汁三菜でも工夫次第で、どんな料理でも出来るかと言えば、そうは成らない。一汁三菜は、どんなに食材を選び、調理方を工夫しても、一汁三菜以上には成らない。自ずと限度がある。絶句はこの類に属す。

 幕の内弁当は構成が実に巧くできている。弁当箱の仕切りが程ほどにあって、食材の数も程ほどに入れられる。幕の内弁当の利点は、一つ一つの調理は、それ程上手でなくとも、仕切り升に詰め込むと、誰が作っても、程ほどの幕の内弁当が出来る。これは律詩の特徴である。

 家庭料理は母さんの愛情が最も重要である。愛情に乏しいと、コンビニの総菜を並べただけとなる。見た目は程ほどだが、美味くもなく不味くもなく、家庭料理としては落第である。
 家庭料理は、母さんの愛情が有るか無いかで、美味い不味いが決まる。愛情がなければ、既に家庭料理ではない。下手な料理でも愛情が溢れていれば、其れはとても美味しい。古詩は此に属し、作者の訴えようとする意欲が最も重要な要件となる。

 来客時の料理は、和食有り中華有り、母さんが知っている限りの料理でもてなす。かと言って何のルールも無いかと言えば、そうではない。調理法をあまり知らない母さんが作ると、却って酷くなる。

 料理の好きなベテラン母さんが作ってこそ、その真価が発揮される。詩でも詞でも聯でも曲でも、そのレパートリーは実に多い。勿論母さんの創作もその範疇に入る。

 

漢俳漢歌自由詩散曲元曲楹聯漢詩笠翁対韻羊角対填詞詩余曄歌坤歌偲歌瀛歌三連五七律はこの講座にあります